三味線やお琴で讃美していたら
日曜日の午後、久遠教会の第二礼拝に出席。
久遠NU Praiseとして、讃美しました。
この日は、久遠教会の姉妹教会、韓国の新一教会から20人ほどのお客さんを迎えて、ハングルでの讃美となりました。
新一教会のみなさんが、
民族舞踊による讃美をみせてくれました。
日本の女の人も、着物になるとだれもが美しく見えますが、
韓国のチマ・チョゴリもそうなのかも。
みんな、すごい美人にみえました。
民族舞踊は、優雅で、華やかで、力強く、
思わず身を乗り出してみとれました。
礼拝の中で、
韓国から来た牧師さんが熱心に、
「日本民族(イルボン・ミンジョク)と、韓国民族(ハングク・ミンジョク)のために祈りましょう!」と韓国語でいい、
通訳の方も「民族」と直訳しておりました。
でも、なんとなく、この「ミンジョク」ってののニュアンスは、日本語の「民族」と違う気がするんだなあ。
「日本民族」ってぴんとこない単語だ。
ところで韓国では、民族舞踊で神を讃美する、というのはポピュラーなんでしょうか。
考えてみれば、
ヨーロッパのクリスチャンも、アメリカ黒人のクリスチャンも、南米のクリスチャンも、
それぞれの地域の音楽で神を讃美しますが
日本のクリスチャンは、なぜ、三味線やお琴や謡曲や日舞で、神を讃美しなかったんだろうね。
nikkouの友人たちが「演歌ゴスペル」を始めたとき、
「ふざけたマネをするな!」と怒った人もいる、と小耳にはさみました。
厳密にいうと演歌も西洋音楽の一種ではあるんだけれど、
ただ、なんとなく、その話を聞いた時、
nikkouも、「ゴスペルはカルトを思い起こす」と言われたことを思い出しました。
なぜ、日本では、ヨーロッパの(しかも白人の)音楽だけが、「まじめで正しいキリスト教音楽」になってしまったんだろう。
『ドレミを選んだ日本人』(千葉優子:音楽之友社)という本に、
明治時代、音楽といえば三味線や琴、尺八、長唄小唄だったところへ西洋音楽が入ったときの、日本人の驚きや、当惑、好奇心が描かれておりました。
『讃美歌・聖歌と日本の近代』(手代木俊一:音楽之友社)でも、明治時代の日本人が、讃美歌を西洋音楽の音(とくに、ファとシ)とリズムで歌うことができず、日本人にアメリカ白人の讃美歌を歌わせることをあきらめた初期の伝道者の話などが載っていて、おもしろかった。
この時代、もし、「讃美ってのは、音楽ではなく、言葉と心だ」と気づいた伝道者がいて、
「日本人は、邦楽で讃美しよう」と思いたっていれば、日本のキリスト教の浸透度も邦楽の発展も違った道をたどっていたかもしれない。
…と相方に言ったら、
「でも、クリスチャンじゃない日本人も、もう、邦楽はやらなくなってんじゃん」とつっこまれた。
ほんとだ。
あんまり関係ないかも。
ちなみに、日本人が邦楽を捨てて、西洋音楽一辺倒になったのは、身分ごとに違う音楽を奏でていた当時の状況の中で、「西洋音楽を、この国の統一音楽にしよう!」と思いついた明治政府の必死の教育の成果だ、…というのは、複数の本に共通する見解のようです。
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