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September 02, 2008

「愛」という言葉について

ゴスペルのリハーサル(練習)やコンサートでは、よく、
リーダーから、
「あなたを愛しています」とか「あなたは(神に)愛されています」という歌詞を、“隣の人に言いましょう”
といわれたりする。

ぶっちゃけ、nikkou、あれが、すっごく苦手です。
「あなたをあ」まで、隣の人の顔を見ながら言い、「いしています」で、ずるずる~っとあらぬ方向へ視線をそらす。
ときどき、まったくすっとぼけて、空を見ながら、「あなたは愛されています」と言い放っていたりする。
言い訳するわけじゃないが、これは、nikkouだけじゃない気がする。
「あなたを愛しています」と最後まで、隣の人をじいっと凝視しながら言っている人は、あまりいない。がんばって、「あなたを愛していま」までで、「す」で目をそらしてたりする。

アメリカの黒人教会で、「I pray for you, You pray for me, Ilove you, I need you to survive」(あなたのために祈ります、あなたは私のために祈ってください。あなたを愛しています。あなたがこの世界をなんとか生き延びてほしいと願っています)
という歌を歌ったことがある。
やはり、「隣の人に向って歌ってください」というリードがされた。
で、nikkou、隣にいた黒人のお姉さんに向って歌ってみた。
「I love you」あたりで恥ずかしくなって、目をそらし、
もう一度目をやると、
お姉さんは、もう、ずーっとnikkouを凝視、両手をnikkouにまっすぐ伸ばし、なんの照れもなく、はっきりnikkouに向って歌っていた。
しかも、繰り返し、繰り返し。
かなわねー、と思った。照れてる方が、恥ずかしいくらいだ。
文化ですかね。

クリスチャンになって7年になる。
クリスチャンになった当初から、どうも、「愛」という言葉に違和感を感じていて、
このブログでも、時々、ちょっと使ったりするが、まあ、それでもめったに使わない。

明治時代、女性の伝道者が田舎で説教をしていて、「神はわたしたちを愛されました。わたしたちも互いに愛し合いましょう。」と言ったとたん、
「じゃあ、一発ヤラせろや」とちゃかしたおじさんがいた、という笑い話があるが、
たぶん、nikkouの「愛」という言葉に感じているニュアンスというか、雰囲気は、そっちの感覚に近いんだろう。
「神の愛」という言葉が言い表しているものは、これまでのnikkouの人生には、まったく無かった概念なのかもしれない。
そして、nikkouの個人的な想像なんだけれど、
イエスの時代にも、この概念は無かったんじゃないだろうか。
だから、彼は、次々とたとえ話をした。
その概念をずばり、言い表す言葉がなかったから。

Htbookcoverimage 夏休みに、『イエスはなぜわがままなのか』(アスキー新書・岡野昌雄)という本を読んだ。
この著者、岡野氏のイエス観というか、聖書観は、nikkouとすごく近くって、強い共感を抱いた。

岡野氏いわく、
イエスは道徳的に正しい人ではないし、聖書は道徳的の本じゃない。
nikkouも、そう思う。
道徳的に見えることはあっても、それは、結果的なものだ。
むしろイエスは、世間の道徳観、良識や常識みたいなものを、がばっとくつがえすようなことをやったり言ったりする。
女の人が男の人たちの集会に参加するのは「不道徳」だ、という当時の強固な「良識」を蹴散らし、
「貧しい人にお金を恵んでやれ」と実に「道徳的」なことを言った弟子たちを「余計なことを言うな」とばかりに叱りつけたり、
「ランプの油が足りなくなった」と言っている同僚を家の外におっぽりだすような意地悪な女の子たちをたとえ話にしたりする。

なんで? どうして? そんなん理不尽じゃない?
と、聖書やイエスに出会った私たちは、
時に不満やらいらだちやら怒りやらを胸に、問い続けなければならない。

たぶん、それが、イエスのねらいだったんだろう。
キーワードは、「神の愛」なんだろうが、
日本語の「愛」という言葉は、イエスが伝えようとした「ナニか」の一部をかすって、あらぬ方向へ飛んでいってしまう。

イエスがわたしたちに伝えようとした「ナニか」を体と心でがっつり受け取って生きる人には、
妙な迫力がある。
日本語の「愛している」「愛されている」という言葉が持つ甘い空気はみじんもない。
どちらかというと「凛としている」という感じ。
キング牧師とかマザー・テレサを上げるまでもない。
大村はまさんとか、ペシャワール会の中村哲医師とか、nikkouの身近にいる2,3人のクリスチャンの友とか。

主なる神は、名づけようのないその「ナニか」を完全に把握しているんだろう。
わたしは、把握していない。
ただ、せめて、毎日の生活のなかで、
“主よ、わたしのこの思い、この行いは、あなたがわたしに伝えようとした「ナニか」に近いでしょうか? ”
と問い続けるしかない。
でも、そんな「対話」ができるってことは、
幸いなんじゃないか、とは思う。

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Comments

I pray for you,You pray for me,( ),
I need you to survive.
問題の( )の中。
I love you. 私はあなたを愛しています。
面と向かってじゃなくっても、恥ずかしくなる言葉だ。
でも、あなたを「大切に」しています、なら言えるかもしれない。
この言葉の感覚の違いはなんなんだろうね?

Posted by: Graham | September 03, 2008 at 02:05 AM

>Graham兄

ねー、なんだろうねー。
「愛」という語は、びみょーに、訳し違いな気がしてならないんだよね。
そう、江戸時代のバテレンたちがなんとか苦労して訳した「お大切」のほうが、たしかに、原語に近い気はするんだよね。
よっぽど、日本語にない発想だったんだろうって気がする。

Posted by: nikkou | September 03, 2008 at 07:36 AM

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