仏教について学ぼうと思う
先日、相方とふたりで柴又帝釈天に散歩に行って来た。
寅さんの実家のモデルとなったお団子屋でお団子を買って食べ、お土産屋をのぞき、帝釈天の大門をくぐり、そして、本堂に入ると、お坊さんが勤行している。
本堂の畳の上に座って、お線香の香りをかぎながら、お坊さんの勤行の声にしばらく耳を傾けた。
相方も後から入ってきて、一緒に座って眺めていたのだけれど、ふと、「撮影禁止」の看板の隣に、「参詣の方は、帽子をぬいで、座ってください」という看板を見つけあわてだした。
相方に促されて本堂を出、しばらく口論になる。
「ここに帽子をぬいで、座っていることは、異教の神の参詣をしていることになる」と相方。
「そんな大げさな。見学をしているだけではないか。では、帽子をかぶって立って眺めていれば、参詣にならないのか」とnikkouもちょっとムキになって反論。
「それは相手に失礼だから、本堂には入らないで、外から見学すればいい」と相方。
「それでは、見学したことにならない。そんな『見学』なんか、全然納得がいかない。だいたい、私の実家では、毎日仏壇に線香が焚かれていた。
そういう環境で育った私にとって、線香の香を嗅いでリラックスするのは、文化であって宗教ではない。」
「文化というのが曲者だ、文化だから宗教ではないという論法で、戦時中の日本基督教団は宮城礼拝をしたのではないか」
「宮城礼拝と文化の問題は異なる。わたしは、宮城礼拝の強制には断固闘う。
それでは、あなたは、京都や奈良の神社仏閣を、ブルトーザーでぶちこわしても構わないというのか」
「それはまた極論だ」
平行線であります。
まあ、この日はなんとなく、育ちの違いからくる主観的な問題ではないか、というあたりに収まったのでありますが、
そんな喧嘩をしている最中に、相方が「nikkouさんは、ゴスペルシンガーズのリーダーなのだから、言動に責任を持たなければならない」という趣旨のことを言いました。
nikkou、まあ、多少ムキになってはいますが、それじゃあ仏教について勉強してみようじゃないの、
本堂で帽子を脱いで座ることは、はたして参詣になるのか見学の範疇なのか、
仏教の教義の上から検証してみようじゃないの、と思い始めました。
ちなみに、相方が言った「福音派の人たちは、神社の鳥居をくぐることも、仏閣の大門に入ることもしない」という台詞にはうなづきかねます。
nikkouは、自分で調べ、自分の頭で検証する。
もちろん、人の意見を参考にはするけれども、どんなエライ先生の言動であっても、どんなにプロテスタント最大教派の共通認識であっても、それに無条件に従うことはしない。
nikkouは、たとえば仏式のお葬式でクリスチャンはどうふるまうか、ということを、牧師に言われたとおりにしたり、「クリスチャン大百科」を読んでそのとおりにしたりということが大嫌いである。
もちろん、参考にはするけれど、ひとつではなく複数の考えに当たるべきだと思うし、なによりも自分で聖書を読み、祈って考えるべきだし、
そもそも最終的に判断するのは、それらを自分の頭で検討を重ねて、納得したうえでのことだと思う。
牧師の考えと違ったとしても、よーく考えた結果であれば、何の臆することもなかろう、と思う。
私には、考える脳味噌を、神様から与えられているのだから。
神道に関しては、一応国文科出身なので、大まかな知識はある。
有名な神社に関して言えば、それがどのような意図で建立され、どういう行動が宗教行為になるのか、ということも、ある程度の知識は持っているつもり。
たとえば伊勢神宮と出雲大社については、古事記・日本書紀・出雲風土記を概要ではありますが知っていますし
参考書としては西郷信綱「古事記の世界」(岩波新書)が一番理解の助けになったように思います。
「日光東照宮」は、そこの宮司さんやお坊さんの話を聞いて「江戸時代は完璧に政治施設であり、現在は完璧に観光施設である。」と理解しました。
地元の「お稲荷さん」には、「江戸名所図会」や「日本の米」などを読んで当時の農民の切実な信仰が込められていると感じました。
したがって、伊勢神宮、出雲大社、日光東照宮は、歴史的建造物として見学し、興味関心を寄せていますが、手水を使ったり二礼二拍手一礼はしません。
お稲荷さんは、参詣の対象として尊重し、共感を寄せ、敬意を払いますが、やはり手水を使ったり二礼二拍手一礼はしません。
いずれにしても、鳥居をくぐらない、という形で回避することはしません。
ただ、仏教については、教養過程で「仏教概論」くらいしか学ばなかった。
その知識も、いまや曖昧であります。
なので、さっそく書店に行って、仏教書や新書・文庫・選書等の棚を眺めてきました。
いくつかの本の目次や前書きを眺めて、まず見当がついたのは、
「仏教」とは
インドで「ゴーダマ・シッタルーダ」が提唱した思想と、
中国・朝鮮を経由して日本に入ってきた際に、時の国家権力と結びついたり反抗したりするなかで、別の思想体系へと変化していった「日本仏教」というものとがある、ということ。
このふたつは分けて考えたほうがいいのかもしれない。
というわけで、「ゴーダマ・シッタルーダ」の最古の言行録である「スッタニパータ」(岩波文庫「ブッタの言葉」)を買ってくる。
まずここから読破して、その後、日本仏教の概論を読み、その中で、一番日本の仏教に影響を与えている宗派の経典を読んでみよう、と思います。
その際、キリスト教との比較で批判的に読むのではなく、まず全面的に肯定する姿勢で読もうと思う。
今回は、まあ、多少夫婦喧嘩の延長のところもあるけれど、良い機会だとも思う。
検討の結果、クリスチャンをやめて仏教徒になっちゃうこともあるかもね。
まあ、時間はかかるかと思いますが、ここは自分にとって避けては通れないところだ、とも思います。


Comments
賛成。大賛成。すぎ
Posted by: 祖父ネット | May 27, 2009 at 04:57 PM
僕の教会は一応「福音派」の教会らしいですが(本人に自覚なし)、神社仏閣に対する態度は人それぞれですね。「福音派」=厳格(?)、というわけではないように思います。
「鳥居もくぐらない」根拠を聖書に求めるとするなら旧約の列王記かな? とか思いますが、そうすると新約の偶像にささげられた肉の話とかも避けて通れないしな…などと思います。そして、身近なところでは、剣道をやっている僕としては、神棚のある道場に入るのは偶像礼拝なんだろうか、というところが気になります(いま稽古に行っているところは神棚がありませんので、その意味では気が楽)。
というわけで検証結果を楽しみにしています(←自分でも調べなさいよ。苦笑)。
Posted by: h12o | May 28, 2009 at 02:56 AM
>神様から考える脳みそをいただいているのだから。
そのとおり。
誰かに言われたからじゃなく、
自分で祈って決めたらいいんだね。
私もお葬式やお通夜に行く機会が多いので、
みなさんのお話を参考にはしつつ、
ただただ祈り求めております。
Posted by: けくちゃん | May 30, 2009 at 06:25 PM
お久しぶり、てじょんです。
久々にのぞきに来たら、五月で更新が止まっているので、もしやほんとに「クリスチャンをやめて仏教徒になっちゃ」ったのかとちょっと心配。
まあ、忙しいだけですよね。そういう私も仕事で三ヶ月余りブログ休んでいましたが、最近夏休みで久々に更新しています。また来てください。
で、だんなさまの話ですけど、うなづけるところもありますね。そういう私も、クリスチャンになったぱかりの頃は、神社の鳥居をくぐったり、お寺の境内に入るのもちょっと敬遠していました。主なる神さまへの義理とでもいうのかな、旧約聖書では特にきびしく偶像を戒める「ねたみ深い神様」だから。
だんなさまの場合、無教会派であることも関係あるのかなという気がします。というのは我々、普通に教会に通うクリスチャンだと、まあ「寄り所」があるわけです。
知り合いの無教会派のクリスチャンで、教会員のように他に頼るものがないので、ものすごく勉強をして聖書をよく読んでいるという人もいます。
私たちだと、「まあ、少しくらい世間の行事につきあってもいいか、あとでまた日曜に教会に行くから」となるのが、無教会だとそれがないので、その分、ふだんの生活で厳しく自分を律しようというところがあるのではないかな。
ご夫婦だから、そこはお互いに譲歩し合えるといいですね。
そういう私は、最近割とアバウトになっています。まあ、ひとりクリスチャンなので、家族や親戚や同僚の行事にはつきあいますしね。昨年の秋には、父に先立たれ、仏式の葬式で、長男なので肩書きは喪主となって送り出しました。
私が好きなエピソードに、ナアマンの故事があります。列王記五章。ここのエリシャとナアマンの会話が良いですね。特に十八節。
心に真の神に対する忠誠のこころがあれば、主なる神さまは赦してくださるのではないかしら。
Posted by: てじょん | August 01, 2009 at 02:30 PM
てじょんさん、こんにちは!
ご無沙汰しております。
ほんと、突然更新がとまっちゃったらなにごとかと思われますよね。
すみません、たんにサボっているだけなんです。
お父様のこと、あらためて、お祈りいたします。再会の日を、主が設けてくださいますように。
列王記5章、おもしろいですね!「わたしがリンモンの宮で身をかがめるとき、どうぞ主がそのことをしもべにおゆるしくださるように」ってところですね。いつの時代、どこにあっても、同じような問題があったんだなあ。
無教会の方でも、全然気にされない方はいますよ。無教会の方も、毎週礼拝をささげていますし(あまり、無教会と教会の間に「境界」をひくのはよくないかなあ、と思う今日この頃)。相方の場合は、たぶん、クリスチャンホーム育ちなのが大きく影響しているように思います。初詣の習慣はもとより、仏式の法事に出たこともなく、私の妹の結婚式で初めて神社の神殿の中に入った、というような人です。宗教的空間っていうのは、習慣にないと、違和感を感じるんでしょうね。
てじょんさんのブログの更新も、楽しみにしています。
Posted by: nikkou | August 04, 2009 at 12:44 PM
杉祖父、h12o兄、けくちゃん
コメントありがとう。
なんだか、ほったらかしにしちゃってごめんなさい。仏教書は入門的なものをいくつか読んで、専門書を数冊買ったところでストップしています。仏教書を積読していたら、相方から「なんで、いきなり仏教の勉強はじめたの?」と素で聞かれました。夫婦喧嘩なんて、そーんなもんだよなー。
まあ、ぼちぼち読み始めようと思います。
Posted by: nikkou | August 04, 2009 at 12:46 PM