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December 24, 2009

メリークリスマス

R0010207 昨夜23日の川崎教会「クリスマス・イブの集い」は、こどもたちで溢れかえっていました。キャンドルが点火されるとみんな大喜び!子供たちと一緒に歌ったり、お話を聞いたり。とても幸せなひとときでした。

クリスマスに子供たちって、どうしてこんなに似つかわしいんだろう。

イエス様が、子供たちを愛したからだろうか。

「(イエスは)一人の子供の手を取って彼ら(弟子たち)の真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。『わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。』」(マルコによる福音書9章36節)

毎年言いますが、クリスマスは恋人同士で御馳走を食べていちゃいちゃする日ではありません。

イエス様が言った「わたしを受け入れる」そして「わたしをお遣わしになった方を受け入れる」、とはどういうことなのか、静かに祈りつつ、考えたいと思います。世界中の子供たちが安心で健やかでありますように、メリークリスマス!

R0010209

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December 16, 2009

クリスマス・イブの集い

2009_ol_今年も川崎教会にて、クリスマス・イブの集いがあります。

12月23日(祝・水)、川崎リトルライト・シンガーズ も歌います。

キャンドルサービスをしたり、讃美歌を歌ったり、祈ったり、と心安らかなひととき。

お近くの方はぜひどうぞ。

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December 15, 2009

He chose me

先日、ある人と飲んでいて、
「僕は、河童だから。」 と言われた。
「……そんなー」とnikkou、絶句する。

「河童」とは、芥川龍之介の作品のことであります。
彼が言ったのは、このシーンです。

…河童もお産をする時には我々人間と同じことです。やはり医者や産婆などの助けを借りてお産をするのです。けれどもお産をするとなると、父親は電話でもかけるように母親の生殖器に口をつけ、「お前はこの世界へ生まれてくるかどうか、よく考えた上で返事をしろ。」と大きな声で尋ねるのです。バッグもやはり膝をつきながら、何度も繰り返してこう言いました。それからテエブルの上にあった消毒用の水薬でうがいをしました。すると細君の腹の中の子は多少気兼ねでもしているとみえ、こう小声に返事をしました。
「僕は生まれたくはありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでもたいへんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じていますから。」
 バッグはこの返事を聞いた時、てれたように頭をかいていました。が、そこにい合わせた産婆はたちまち細君の生殖器へ太いガラスの管を突きこみ、何か液体を注射しました。すると細君はほっとしたように太い息をもらしました。同時にまた今まで大きかった腹は水素ガスを抜いた風船のようにへたへたと縮んでしまいました。……

つまり、彼は
選べるものならば、生まれないことを選んでいた、
という意味のことを、一言で言ったのだ。

じつは、これまで3人の男に、
「河童だから」ではないけれど、似たような意味のことを言われている。
ああそういえば、女の子と男の子と両方いるお母さんが、
小児科の先生に
「男の子はこんなに泣くもんですか? お姉ちゃんが赤ちゃんのときはこんなに泣かなかったのに」と聞いたら、
「男の子は、生まれつき実存的不安が強いんです」と言われた、と言っていた。
男の子、たいへんな生き物であります。

さて、飲んでいるときに話は戻ります。
彼は、先制球のつもりか、まつが絶句しているうえに重ねて
「ぼくはクリスチャンじゃないから、生きていることは素晴らしい、なんて考えてないし」と言った。
「いや、クリスチャンはみんな、『生きていることは素晴らしい』なんて無条件で思っていないですよ。」とぶつぶつ反論する。逆に、自ら命を捨てるクリスチャンだっているじゃないか。塩狩峠とか、コルベ神父とか。

その時ふと、クリスチャンにとって「命」ってなんなんだろうなあ、と思った。

帰ってきて、なにげなしに「Say Amen, Somebody」のサントラをかけていたら、
オニール・ツインズの「He chose me」が、いつになく胸に響いてきて、
泣けてきた。

河童は自分で、生まれるか否か、選べることができる。
でも人間は選べない、選ぶのは神だ、そう、He chose meだ。
そんなことをふと、思った。
生まれることだけじゃない。
昨年、秀良牧師の最期の日々に接して分かった。
死さえも、選べない。
いや、選ぶ人もいるけれど、
クリスチャンにとっては、選べない。
コルベ神父も、塩狩峠の話も、べつに、自分で「自分の命、いらない」と思って捨てたんじゃないんだろうなあ、と思った。
神様が「愛のために、命を預けていいよ。いま、私のもとに戻ってきていいよ」と、彼らに語りかけたんじゃなかろうか。
自分はその立場に立ったことがないから(立ちたくもないけど)、
断言はできないけれど。

今度、彼にそう言ってみようかなあ、と思いつつ、
今一度、河童な気分の彼の立場を想像してみた。
……ああ、やっぱり言えないな。
自分が彼だったらきっと「そんなの思い込みだよ」と一笑にふす気がする。

He chose me、 Byオニール・ツインズ。ユーモラスな容貌に反して、 とっても美しい歌声。
一度、nikkouも歌ってみたい一曲です。

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December 06, 2009

おじいちゃん牧師、旅立ち

Memory_of_paster_h_takahashi_3 「末期の目でみる」というのは、誰のことばだったか。
内村鑑三かしら。

書こう、書こうと思っているうちに、一年がすぎようとしております。
nikkouが通う川崎教会のおじいちゃん先生こと、高橋秀良牧師、天に召されたのは、昨年のクリスマス前、79歳でした。
先々週は、高橋秀良牧師が最後の礼拝説教をしてまる1年、ということで、その記念の礼拝でありました。昨年の今頃は、最期の日はいつかいつかと教会もご家族も、はらはら見守っておりました。

高橋牧師は今から3年前の2006年夏、前立腺がんの告知を受けました。
告知のあった週の礼拝後、本人の口からそのことを告げられて、みな、思わず緊張してシーンと静まり返ったことを思い出します。
ところがおじいちゃん先生、抗がん剤投与の治療を拒否、「わたしは、残された時間を闘病にすごすよりも、家族とともにすごし、読書をし、そして、伝道に尽くしたい。」と主治医に告げ、
通院しながら、がんの育成を遅らせるホルモン剤の投与をすることになったのでした。

がん宣告を受けつつも我らがおじいちゃん先生、これまでとまるで変わらぬ豪快な笑顔で
「汝の敵を愛せって言われたから、私はガンを愛するよ!」とか、
「私はガン患者だから、これはみんな、遺言と思って聞くように!」とか、
「今の讃美歌は、わたしのお葬式で歌ってください」などなど、
ジョークを飛ばしまくり、
変わらず礼拝でメッセージを語り続けた。

そして主イエスのことばの中でも特に、

「君たちのうち、だれが思い煩ったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
野の花を見よ、紡ぎもせず、織りもしない。
しかし、私は君たちに言う。
栄華を極めた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は野にあって、あすは炉に投げ入れられる草でさえ、
神はこのように装ってくださるのなら、
君たちにそれ以上よくしてくださらないはずがあろうか。」(ルカ福音書12章)

とあるところを、くりかえし、くりかえし読んだ。
ガン細胞は、徐々に背骨に、足に、転移し、杖なしでは歩けなくなり、やがて車いすになった。
そして、礼拝のたびに、衰えていく身を示しながら、
「私たちははたして『自分の力で生きている』のか、
それとも『神のご配慮によって生かされて生きているのか』」
と、時に火を噴くような勢いで語った。
なんせガン患者、説得力があります。
そのとき初めて礼拝に出席していた近所のおじさんが、思わず「そうか!」とつぶやいたほどでした。

そんな調子で、がん宣告から1年経ち、2年経ち、
なんだか、おじいちゃん、このままガンを克服してしまいそうなんじゃない、とだれもが思い始めた2008年の夏、
突然、熱中症を起こして、救急車に運ばれた。
ところが一週間もたたぬうちに復活して、
「ラザロじゃないけど、『秀良! 起きなさい!』と主に言われた。」とニコニコと礼拝に出席していた。
しかしここから急速に勢いが衰え、今からちょうど1年前の11月第四日曜日、ふたたび救急車で運ばれていった。

このときおじいちゃん先生は「お別れが近い」と悟ったらしい。
息子である誠牧師を通じて、
「なるべくたくさんの人に、病院に会いに来てほしい。眠っていたら、起こしてほしい。お別れを言いたいから。」と伝言した。
nikkouも、翌日から青森に研修に発つ相方と一緒にお見舞いに行った。
そのとき秀良牧師はすでに「お別れモード」で、
それは、しみじみしたものでも、悲しいものでもなくて、
なんだかとても決然とした様子、
「とめてくれるな、いざ、旅立たん」って感じだった。
nikkouも、すでに祖父祖母を見送っていたけれど、
病室でこんな決然とした雰囲気に接したことはなかったので、
どうしていいのか、正直分からず、
ただ、「はい、はい」と話を聞くばかりだった。

「先生、また夏の時のように、復活してください。」
と言うと、
「あーーっ、もういい、もういい、もう、夏とは違うんだ。」
と遮られた。
「この世が楽しい、と思うのは、健康だからだよ。
体が少しずつ朽ちていくと、
もう、あっちのほうが楽しいだろうな、と思うんだよね。
ごはんもおいしくないしね。

いま、うとうとしながら、讃美歌を口ずさんでいたんだけど、
ああ、行き先がわかっているって、
うれしいなあ、ありがたいなあ、と思った。
信仰がない人は、きっと怖いだろうね。
われわれは、また会えるからね、怖くないね。」
と、淡々という。
そう、「今日はいい天気だったね」みたいな話をしている調子で、
本当に当たり前のこと、という感じで。

旅立ちの時は神様が決めるのだから、人間にはどうもしようがないのだけれど、
こんなふうに旅立ちの支度が出来るなら、
決して死ぬのは怖くない、と思った。
そう、正直に申し上げると、 我が意を得たり、とばかりに、
「死ぬのも、証しだからね」とにんまりした。

それから数週間後。
ほとんどベットから起き上がれなくなったころ、
息子の誠牧師がお見舞いに行き、いつものように静かに話して、「では、また明日来るね」と病室を出ようとすると、
秀良牧師、突然、病人とは思えぬ大きな声で

「人生で、もっとも幸せなことはっ!!」

と、叫んだそうであります。
「なんだい?」と誠牧師、あわててベットに駆け戻ると、

「主イエスが、最後まで、ともにいてくれることだな。」

と、今度は静かに言ったそうです。
そこで誠牧師、「アーメン!」と答え、
ふたり、がっちりと握手をしたそうであります。

秀良牧師が召されたのは、それから数日後でありました。
病院から危篤を知らされ、駆け付けた家族が手を取り、秀良牧師の愛唱歌「アメージング・グレイス」を歌うと、呼吸が静かに歌に合ったそうであります。
歌うのをやめると、呼吸が苦しそうになる。
歌うと、一緒に歌うように呼吸が上下する。
そんななか、すーっと、霊が身体を抜けるのを、その場にいた家族の方たちは感じたそうです。

高橋牧師、亡くなるまで「臨床体験」の本をずいぶん熱心に読んでいたそうで、
「死ぬときは、身体から魂が、すーっと抜けるらしいぞ! これはおっもしろいぞー!」と笑っていたそうであります。
そんなわけで、この瞬間、奥様、思わず、

「あなた……、……面白かった?」

と聞いてしまったそうであります。

最期の最期まで、
なぜか希望に満ちた、明るいお別れでした。

死の報に接したその日、nikkouは日記にこう書いた。

「悲しいというよりは、 もっと熱い気持ちです。
感謝とか、もろもろ。

『顔をエルサレムに向けて』、
神様から与えられた道をきっちりと歩みきって、
神様から「よし、ここが地上の生活のゴールだ」とOKが出たら、
天に帰る。

そんな、主イエスが示された生き方をお手本に生きたい。

寄り道しつつ、脇道にそれつつで、なかなか難しいけれど、
きっちり歩みきれば、
生きているときも、死ぬ時も、すごく、すごく幸せなんだなあ、と
おじいちゃん先生の地上の最後の日々に接して思った。
「永遠の命」が、すこぅし分かった。

最期の日まで、わたしも、きっちり歩みきりたい。
今夜が地上の生活のゴールでも、がっかりしないように、生きようと思う。」

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