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May 09, 2010

不立文字

仏教を勉強するぞ、と大見得切って、大量の仏教書を積ん読しながらなにも手を付けないでいるうちに、
ひょんなことから、禅宗に首をつっこんだ。
正確に言うと、禅宗の影響をうけた茶道に触れた。同僚が、茶道体験に誘ってくれたのであります。
無粋な好奇心で茶道につっこんだのではありますが、
思いがけなくその深い宗教性に打ち震えたのでありました。

千利休から続く茶道の家元は、禅宗のお寺で得度するならいだそうで、
茶道に禅宗の影響が顕著なのは当然として、
クリスチャンのnikkouにも、
茶道の求道性に妙な親近感を覚えたのであります。

千利休の7人の高弟のうち実に5人までがキリシタン大名であったり、
娘や妻がキリシタンだったという説や、
はては千利休自身キリシタン説まであるらしく、
にじり口は「狭き門から入れ」の具現化だ、とか、
茶碗の回し飲みや袱紗捌きにはカトリックのミサの形を再現している、とか
いろーんな解釈がされているようだけど、
個人的には、そこにはあんまり興味がない。
っていうか、
茶道の思想と聖書とを、いちいち対照したくないのね。
nikkouが震えたのは、そういうこまごましたことじゃないのだ。

51ydsdj6wl__ss500_ お茶について興味をもちはじめた中で『日日是好日』(森下洋子)という名著に出会った。
20代でお茶に出会い、50代に現在に至るまで、
「一期一会」や、「勉強」「馳走」といった語句、
お茶の先生が掛けてくれた掛け軸や花、
ややこしいお点前のひとつひとつが
就職や失恋、家族の死など、節目節目で
著者自身にとって具体的な意味をもって、
理解され、体得されていく様子が
生々しく描かれていた。

「聖書の言葉を、一問一答式に理解しちゃいけない、
ひとつのみ言葉も、あなた個人の人生すべてを掛けて追い続けなければならない。」と
昨年亡くなった川崎教会のおじいちゃん先生は、
それこそ人生すべてを掛けて教えてくれた。
森下洋子さんのお茶のお稽古もそれとまったく同じだ、と思った。
「一期一会とは、一生で一度しか会えないと思って相手に接しなさい、という意味ですよー」と一問一答式で理解しても、そんなの陳腐なだけだろう。

一人暮らしをしている筆者のもとに、ある日、「今から会えないか」とお父さんから電話があった。
「今日は友だちが遊びに来ているから」と断った。
「いい、いい、また会える」とお父さんも言った。
そして、
それが、お父さんと最後の会話になってしまった。
ああ、そうか、人とは、「一期一会」なんだ、
と人生を掛けて、それはそれは深い心の傷とともに、筆者は理解した。

Image058 聖書の言葉も、そうだ。
すべて、そうだ。
ああ、これが「あなたの敵を愛せ」の具体的なことだ、
と、ある人の壮絶な愛の行為を見て、
あるいは自分自身の失敗に痛い思いをしながら、理解する。

聖書の「はじめに言葉があった」(ヨハネによる福音書1章1節)と、禅宗の「不立文字」を対立させて言う人がいる。
nikkouも、ゴスペル仲間が「言葉に言い表せない!」とむやみやたらと言いたがることに、強い反発を抱いていた。
nikkouは、言葉の力を最大限利用したいと思っている。
それは、国語教科書編集者としての意地でもあるし、
「言葉に言い表せない!」という台詞に、価値観を共有しない人とのコミュニケーションを断とうとする傲慢さをかぎとらずにはいられないからなんだけれど、
言葉ですべてを説明しようという考え方にも無理があるのかもしれない、と思えて来た。
パウロだって言っている。
「文字は殺し、霊は生かす」
ああこれを伝えたい、と切実に思うものがあったとしたら、
わたしは言葉を駆使して、限界まで伝えようとするだろう。
しかしそれでもこぼれおちたものは……口をつぐんで、一生賭けて、伝えるしかないのかもしれない

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