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August 09, 2010

トマトの成長

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先日載せたトウモロコシ畑が、
今朝はこんなになってた。

ちなみにbeforeの写真。

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暦の上では秋、です。

nikkouも、今年の春は、ベランダにトマトの種をまきました。
それが、夏になって、こんなになりました。

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トマトの種ってのは、みなさまよく御存知かと思いますが、
あの、実のどろっとした中に入っている小さいヤツです。
鼻息で飛んじゃいそうなくらい、ちっこいの。
それを鉢に植えたら、
スプラウトみたいな(いや、実際スプラウトなんですが)ちいさい芽が出て、葉が出て、
あらかわい~なんて思っているうちに、
みるみる、すね毛の生えた高校生男子のふっとい脚みたいになり、
葉っぱなんか、すでにトマトの香りを放っています。
いやー、びっくり。
これに実がついて、また種がとれちゃったりするんでしょ、いやーふしぎ。

畑に囲まれた郊外に越して1年半。
東京モンのnikkouにはけっこうびっくりが多い畑のなかの一年でした。
結構ショックだったのが、畑に植わっているとなんだかよくわからない作物が多いんだよ。
大きくなって、やっと、スーパーで見る形のものが見えてきて
あ、ブロッコリー、あ、こっちはカリフラワー、あ、枝豆!
って分かる。
芽や葉の状態では、さっぱりわからんのです。
トウモロコシだったのか!人参かあぁ!
白菜ってこんなにでかいんか!
といちいちびっくりしました。
あまりに感動したので、会社で、子ども向けに、
「野菜をどうやって作るのか、その過程と苦労を描いた本」という企画を出したら、
「30過ぎて、そういうことに感動できるなんて、幸せな人だねえ」
と満場の失笑を買う。
つまり、
そんな本、当たり前すぎて誰も感動しません、したがって売れません……と。
すいません、世間知らずな都会のもやしおばさんで。

Rimg0091 それでもやはり、朝、ベランダの戸を開けるたびに驚いてしまう。
手品を見ているみたい。
種も仕掛けもありません。
いや、種はあった。
でも、あの種から、いったいどういう仕掛けで、こんなぶっといすね毛脚になっちゃうんでしょう。

イエスのたとえに、「神の国とはからし種」ってのがある。
からし種ってのは、ホットドックに入ってるマスタードのなかの粒々のことで、
あれが大きくなって、もじゃもじゃ茂る。
小さな神の愛の力が、世界を変えてしまう、そのダイナミズムを描いている、
……なんて散文的に説明してしまうと、
ああ、そうですか、てなもんですが、
トマトの種の成長を見ると、
イエスがなにを言いたかったか、分かるような気がする。

不思議だよねー、ってことだ。

あーんなちっちゃなもんが、
こーんなになっちゃうんだから、
こりゃー、パンが5000個になるに匹敵する奇跡ですよ。

だから、まあ、会社の企画会議の満場の失笑も当然だと思いつつnikkouは、
だって本当にすごいんだよ、
と心の中でつぶやいたのでした。

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August 05, 2010

For the sky is blue

Corn 今朝の青空。
そよぐ葉はトウモロコシ畑です。

nikkouが朝の通勤時間によく聴くゴスペルのひとつに、
Did you stop to pray this morning?
という歌がある。

ーー今朝、お祈りするために、手を休め、足を留めたかい?
「今日一日、わたしを導いてください、わたしを守ってください」とお祈りしたかい?
ほら、空が青いでしょう?
神様があなたを見守っているから(一緒に歩いているから)だよ。
あなたがお祈りするのを忘れさえしなければね。

そんな歌詞。
For the sky is blueの部分がとくに、弾むようなリズムが華やかで気持ちいい。
ただ、毎朝聴くうちに、ちょっと子供じみたつっこみをしたくなった。

この歌詞じゃまるで、空が青くない日は、神様はわたしをみていないみたいじゃない?

つい2週間ほど前のことだ。
会社でちょっとイヤな思いをした。
翌朝も気が晴れず、会社への足取りが重かった。
その朝も、For the sky is blueを聴きながら駅への道を歩いていて、
ふと、思った。
祈ってないなあ、今朝。
そこで、Stopはしなかったけれど、祈った。
「今日の仕事はまだ始まってもいないのに、くよくよするだけ余計な心労だ。」という気になった。
まあ、それで足どりが軽くなるほど単純じゃないけど、少なくとも気持ちを切り替えるくらいのことはできた。

その日の終わり、
相方に、For the sky is blueの話をする。
「空が青いでしょう、ってのは、心の中のこと何じゃないかな、って思うんだよね。
祈れば、ほら、心の中が晴れ晴れとするでしょう、みたいな。」
同意してくれるかと思いきや、
うーん、と首を傾げられる。
「聖書のことばにせよ、詩にせよ、
心の中のことだとか、何かの象徴的表現だとかって、よく言う人がいるじゃない?
あれって、あまりやりすぎると、
言葉の持つ力というか、迫力みたいなのがなくなる気がするんだよね。
その歌の場合も、ふつうに、空を見上げて、ああ青いなあ、神様が自分を見ているんだなあ、でいいんじゃない?」
「でも、雨の日や曇りの日は?」
「雨の日も曇りの日も、雲の上の空は青いんだよ。」
気象衛星ひまわりですか。

nikkouはどちらかというと、聖書にせよ、歌詞にせよ、言葉通りに受け取りたくない方だ。
聖書についても「この説話には執筆者のどういう意図がこめられているのか」みたいなことを書いた解説書が好きで、好奇心が満たされる。
でも、「言葉の力」といわれると、国語教科書編集者として、ちょっと揺さぶられるところがあるよね。
裏読み深読みするばかりじゃなくって、執筆者には、本当に書いた言葉通りに見えたんだ、と受け止めたほうが、かえって世界が広がることもあるのかな、みたいな。

Batta バッタさん発見。
完全に保護色。

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