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January 12, 2011

神を呼ぶということ

今年から、初心にもどって、もう一度ヒルティ「眠られぬ夜のために」を読みなおすことにしました。
ブログを始めて5年。
5年間で変化したこともあり、しなかったこともあり。
「眠られぬ夜のために」の理解も、変化したところがあり、しなかったところもあるでしょう。
つらつらと、また、そんなこんなを書き連ねていきたいと思います。

本日1月12日の「眠られぬ夜のために 第一部」から


おまえはあいかわらずだ。
なん度敗れてもそのままだった。
人間はだれもおまえ、自我には勝てない。
新しい夜明けが来なければだめだ。

未知の高みからやってくる
別の霊、別のこころーー
どんな価いを払っても、どんな苦痛を忍んでも
それを手に入れたい。おまえはもう去るべきだ。
(『眠られぬ夜のために』岩波文庫 草間平作・大和邦太郎訳)

「おまえ」とは「自我」のことです。
のっけから他人のフンドシだけど、昨年の「無教会キリスト教全国青年大会」でK姉がお話されたことを思い出しました。nikkouの記憶をたどって書くので、ちょっと違うところもあるかもしれない。なので、nikkouの心に映ったK姉の証、ということでお許しいただいて、このブログで分かち合いたい。

K姉いわく、
「わたしって、すっごく負けず嫌いなんですね。」。

人と話をしていても、
あー、
わたしのほうがよく知ってるなー、とか、
わたしのほうがよく考えてるなー、とか、
キリスト教の集会に行っても、
この人、偽善的だ、とか、
この人、律法的だ、とか、
この人、聖書が分かってない、とか、
裁いてばっかり。
自分より少しでも出来る人がいると、
その人の粗探しをして、少しでも自分が優位に立とうとする。
もう、ひどいんです。

ある日、
電車のなかで、すっごく痩せている人を見ました。
その時も、すぐに心の中で、
「あーいやだなー、この人こんなにがりがり。
私は、健康で、綺麗で、良かった。」
って思った。

でも、
その人、実は、自分と同じ場所に向かっていた。
その場所っていうのは、あるキリスト教の集会で、
その集会で、電車で見た、その、すごくやせている人が、証をしたんです。

その人、……末期がんだったんです。
その時はもう、いつ死んでもおかしくない状況だったのに、
みんなと讃美したり、祈ったりしたくて、その集会にきてたんです。

(…そういいながら、
K姉、ふいに涙をぼろぼろっとこぼした。)

もう、わたし、死んでしまいたい、って思いました。
こんな自分、生きていたくないって。

神様、わたし、死にたいですって、祈って祈って、祈っていたら、
ふっと思いました。
わたし、死ねるんだ、て。
それは、べつに、自殺するって意味じゃないんです。
そんな嫌な自分は、イエスさまに出会った時点で死んでしまって、
イエスさまに、かわりに、自分の中で生きてもらえばいいんだって。

それからも、またいろんなところで、
嫌な自分が頭をもたげそうになるんですね。
でも、
そのたび、「神様、神様、神様、神様」って必死に呼ぶんです。
すると、
すーっと嫌な自分が溶けてしまうことがわかった。

この間、友達と、あるギャラリーに絵を見に行ったんです。
そのギャラリ―に、その絵を描いた画家さんがいました。
最初、すごく嫌な感じの人だ、と思ったんです。
また嫌な自分がむくむく起こってきて、
「こんな嫌な人の描いた絵なんか、たいしたことないよなー」って思いそうになった。
でも、だめだだめだ、神様神様神様…、って心の中で祈った。
そしたら、
嫌だなあ、って思ったその画家さんと、
ふつうに打ち解けて話せて、深い芸術の話もできて、
その画家さん、最初思ったほど嫌な人じゃなかった。
勝手にレッテルを貼らなくって、よかった。

そんな証でした。
……nikkouなんか、
思いっきり「負けず嫌い」なので、
この話は心に刺さりました。
と同時に、K姉はいいなあ、と思った。
たぶん、nikkouが同じように末期がんの人に出会っても、電車のなかで思ったことなんか、なかったことにしちゃう。
自我が強くても、見て見ぬふり。
そんなに強い自我を、いつ克服できるんでしょうか。
もっと「神様、神様、神様、神様……」とすなおに呼び求めることができたら、
もっと自分や周囲の人たちとも自由にのびのびと付き合えるようになる気がする。

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