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January 14, 2011

中身の詰まったパンのように


先日の祝日には銀座のバーゲンにいってまいりました。
銀座のバーゲンでお買い物なんて、nikkouも大人になったなあ、と
しみじみしてしまう四捨五入40歳の2011年。

さて、本日の『眠られぬ夜のために』第一部です。

1月13日


地上における天国は、人間がたえず神のみこころと合一することよりほかに、もはやなにも熱望しなくなった時から始まる。来るべき天国も、それ以外のものであるはずがない。同じように、このような心境に到達しない人間が、天国に入るのにふさわしく、そこで心地よく感じようとは、理屈からいっても考えられないことだ。
草間平作・大和邦太郎訳


nikkouは、クリスチャンになってそろそろ10年になります。
「神様のみこころにかなう人になりたい」との熱望は持っていると思うんだけれど、
この10年弱を振り返って思うのは、
そう熱望したときから、悩み多き人生を送り始めている気がする、ということだ。


クリスチャンになる前、nikkouの世界ではわりと、善・悪とか正・不正が截然としていたように思う。
親の価値観や、学校で教わったこと、社会の大多数にとって「正しい」ことが、だいたい、自分にとっても「正しい」ことだった。
まじめな子だったなあ、と思います。


クリスチャンになってみると、これまでの価値観では「悪」だったものでも、実際そんなに悪いことじゃないんじゃないか、と思うことが出てきた。
たとえばnikkouの母親は常にすっぴんで、おしゃれに無頓着な人なので、彼女に育てられたnikkouは勝手に「着飾ることは罪悪」みたいなルールをこさえていた。
クリスチャンになったある日、おしゃれしようがしまいが、それは「罪」とか「悪」とかとはぜんぜん関係ないんじゃないか、ということに、はた、と気づいた。


nikkouは27歳まで自分で洋服を買ったことが、ほとんどなかったんですが、
そのことに気づいたある日、タンスの洋服(すべて母親が購入)を取り出し、好きか嫌いか考えて、嫌いなものを実家に送り返そう、と思いたちました。
そしたらなんと、タンスがすっからかんになった。
で、ボーナス全額を費やして、自分が着たい洋服を買ったのでした。
その時期のnikkouの写真をBefore.afterで見せたいくらいだね。
「おまえはアメリカ帰りの田中絹代か」・・・nikkouにはよくわからないたとえですが、同僚にそう言われたほどの変わりようでした。

それはまあ、ごくごく他愛のないことですし、そもそも「みこころにかなう」ことと関係があるのかないのか、よくわからないのですが、
もっと深刻な例も、ままあって、
それまでは無条件に「悪」あるいは「正義」だったことについて
さて?
と立ち止まってしまうことが多くなった。


nikkou以外の人にも関係してくるのではっきりいえないのだけれど、
去年から、ちょっと難しい人間関係にまきこまれかけていて、
以前のnikkouなら全力疾走でそこから逃げただろうに、
今のnikkouは、「うーん、これはよいのか、悪いのか」ともやもやしていて、
それはもうずーっと、もやもや〜とそのままで、現在にいたっている。

でも、ま、いっか、とも、思っています。

マイ・ルールでもって、「この人は悪い人だ。わたしは悪い人とはつきあわない!」って決めちゃえば楽なんだけれど、
それこそ「神様のみこころ」をちょっと待ってみようか、と思ってる。
それは正直言って、「地上の天国」という語感のもつ「ふわふわーん」とスイーツな感じではなく、
もっと「みしっ」と緊張感のある感じです。
中身のしっかり詰まったドイツパンみたいな感じ。
だから、
「みこころ」が見えたときには、
しっかり働いた後にしっかり食った後のような満足感があるんじゃないかな、という気がしています。

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