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January 18, 2011

早く早く、信仰を与えてよ

ある友人から、「キリスト教では、信じる者はみな、救われるのか?」と聞かれた。
こういう根源的な質問って、結構難しい。
いろいろ考えてみたんだけれど、
やっぱり「Yes」だな。
ただ、「信じる」こと自体が難しいんじゃないかなあ、
高名な神学者さんでも信じることができなくて七転八倒したり、
まったく無学の子どもが、すらっと信じてしまったりってことはあるんじゃないかな、
と返信してみた。

すると友人は、“そう、その「信じる」ことができなくて、七転八倒しているんだ”という。
彼は、浄土真宗に救いを求めているんだけれど、
浄土真宗は、「信じる者はみな、救われる」のではないんだそうだ。
nikkouは浄土真宗のことはよく分からないのだけれど、
彼の話によると、
自分の力で信じる「自力の信心」っていうのがあって、これは「信じていても救われていない」。
そして、阿弥陀如来の力によって、「いただく」信仰というのがあって、
これを「信心決定(けつじょう)」と言うんだそうで、
これこそが「信じていて、救われている」人なんだそうだ。

それをいうなら、
キリスト教って、「信心決定」しかない、と思う。

1月17日


信心におごる気持ちを絶やし、
わがままな心と争いとをなくして下さい。
この世のいつわりの快楽を、わたしに
しんから苦いものにして下さい。

おのれの力では浄い人になれません
その前にあなたの祝福を受けなければ。
そうすればあなたは忍耐づよく、愛をもって
わたしのすべての罪をゆるされる。

『眠られぬ夜のために 第一部』草間平作・大和邦太郎訳

今日のヒルティもそう言う。
聖書ではパウロがそう言った(新約聖書「エフェソ人への手紙」第2章8節)。
そもそも主イエス自身、
自分の力で得たと思っている「信仰」を誇っている人たちにものすごく厳しかった。

じゃあ、
信仰が欲しくて七転八倒している人は、
どうしたらいいんだろう。

主イエスはどうしても自分の力では信仰が得られない、と思っている弱い人たちに、
「求めなさい、そうすれば与えられます」と優しく、力強く宣言したけれど、
目の前で七転八倒している友を前にすると、
「じゃあ、早く早く、信仰を与えてよ! この人、求めてるじゃないのさ」と
神様に詰め寄りたくなる。

昨年末の「無教会キリスト教青年全国大会」でも、
長年求めていて、ずーっと与えられずに苦しんだ、という兄貴がいた。
この兄貴は、3代続いてのクリスチャンホームで、学校もミッションスクールで、
キリスト教は常に身近にあったのに、
まったく信じられなかったんだそうだ。
のみならず、自分の内面を厳しく監視する恐ろしい神のイメージがつきまとって、
キリスト教のことを考えると気が滅入るくらいだった。
自分のまわりの人は、いともたやすく信じているのに、
なかなか信じられない自分は、落ちこぼれのような気がしていた、という。

ところがある日、無教会の集会で、すっと、主イエスの言葉の明るさ、強さ、優しさが心に入って来た。
「罪、というのは悪いことを考えてしまうこと、ではなくって、
的外れ―神様が私に望んでいる生き方からそれてしまうこと。
悔い改める、というのは、かつて犯した悪いことをくよくよ思い悩むことではなくって、
神様のほうに向きなおって、あたらしく歩き出すこと、
平和、というのは、戦争のない状態ではなくって、
満たされていること。」
一度分かると、もつれた糸がほぐれるように、するすると聖書がわかった。
聖書の話を聞くたびに、涙がこぼれた。

まるで、「ベトサダの池の病人」みたいだった、と兄貴は言った。
「ベトサダの池」というのは「ヨハネによる福音書」5章に出てくるお話。
風がベトサダの池の水面を揺らした時、一番乗りに入ると病気が治る、という言い伝えがあって、
池の周りにはたくさんの病人がいた。
そこに38年寝たきりで、どうしても池には入れない人がいた。
自分が入ろうとすると、誰かが先に入ってしまう。
そこへ、主イエスが来て、
その人に、「歩きなさい」と言った。
そうしたら、池に入らなくっても、歩けた。
病が治った。

…僕のところにもね、イエス様が来てくれて、「歩け」って言ってくれたんだよ。

そういいながら、兄貴は、大きな手のひらで、ぐいっと眼を拭って
「ああ、ベトサダの話をするときは、いっつも泣いちゃうんだよなあ」と照れくさそうに笑った。

この兄貴に、
信仰が与えられなくて七転八倒している友人の話をしてみた。
すると、兄貴は、まるで自分が傷ついたような顔をして、
「うーん。祈るしか、ないのかなあ」とつぶやいた。

祈ってるのに。
祈ってるのに。
こんなに祈ってるのに。
信仰って、自分の力で勝ち取るわけにいかないのに、
どうして、神様は、ときどき、
求めている人に、ぱっと与えてくれないんだろう、と思う。

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