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January 15, 2011

現在と未来に対する正しい洞察力

1月15日


教会の最高位者から宣教師やディアコニッセ(奉仕女)慈悲の友の会修道女にいたるまで、
およそ聖職にある人たちを評価する場合、
われわれ平信徒にとって主として標準となるのは、
かれらが次のような偉大な宗教的能力のいずれかを備えているかどうかである。
すなわち
慰めの力、
効果ある祈り、
病気の治療、
罪のゆるし、
預言の能力、
一層正確にいえば現在と未来に対する正しい洞察力、
いいかえれば真理のみ霊(たま)を宿しているかどうかということである。
少なくとも、以上の諸能力のいくらかを備えていると認められないような聖職者のどんな指導にもあなたは信頼してはならない。
『眠られぬ夜のために』岩波文庫 草間平作・大和邦太郎訳


nikkouのゴスペル仲間にも、nikkouと変わらない年齢で神学校に通ったり、伝道者になったり、という人がいて、いつもすごいなあ、と思う。
ぶっちゃけ経済的には不安定だろうし、精神的負担も大きいし。ヒルテイみたいなおじいさんに「以上の諸能力のいくらかを備えていると認められないような聖職者のどんな指導にもあなたは信頼してはならない。」なんて言われちゃうわけだから。


nikkouがここ10年通う教会は、
「おじいちゃん先生」とその息子の「ティーチャー」牧師の2人で牧会していた。
礼拝は2人交代で1週おきにはなす。
深刻な問題をかかえていそうな人が教会に現れれば、2人で話を聴く。
なんとなく、バランスのいい感じがしていたのは事実だ。


2年前、おじいちゃん先生が亡くなり、教会の牧師がティーチャーひとりになったとき、
「わー、ティーチャーたいへんだなあ」とみんな密かに思った。
年度始めの教会総会で、
長老さんのおひとりが、ティーチャーとも親しい、姉妹教会の牧師をときどき礼拝に招聘してはどうか、と提案した。
ティーチャーひとりでこの教会を牧会するのはたいへんだろうし、
なにより、ティーチャーにもし何かあったら、教会が困る、と。


お気持ちはたいへんありがたいのですが、とティーチャーは言った。
ぼくは、毎週礼拝でお話をすること自体は負担ではないし、勉強にもなるから、だいじょうぶです。
なにかあったとき、××先生(招聘しよう、と提案された牧師)にお願いする、ということはあるかもしれないけれど、
でも、教会自体の存続については、あまり心配していないんです。
ぼくの子供たちは、小学生なのに、大人でもびっくりするような信仰をちゃんともっている。
nikkouさんたち若い世代もいるし、
nikkouさんたちのこどもたちも将来生まれてくると思う。
教会を中心に、地域から人が集まってくることだって、これからあると思う。
今、ぼくが死んだあとのことを考えることは、あまり意味がない。
神様がこの教会を必要だと思われるなら、ぼくたちが心配しなくても、きっと、次の世代につながる配慮を、神様はしてくれる。


そんな話をして2年。
今振り返ってみると、当時教会を覆っていたのは、
神様への信頼をすこし上回るほどの、
おじいちゃん先生を失った不安感だったのかな、と思う。


そして、わたしたちの教会には「現在と未来に対する正しい洞察力」が与えられているんだと、nikkouは信じている。

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