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November 09, 2011

学び知りゆく世界は広し

更新すると、アクセス数が増えますね。こんなに拙いブログですのに、みなさま、ありがとうございます。

さて、今、nikkouは、ハングル検定に向けて勉強中なのですが、検定が終わったら、合否にかかわらず、「がんばった(?)自分への御褒美」ということで、ギターを買おうと思っている。
買って飾るんじゃないよ、
ちゃんと練習して、ゴスペルの弾き語りができるようになりたいのです。

ハングルに、手話に、ギターに、とずいぶんあっちこっちに趣味が飛ぶねえ、
と周囲から呆れられる。

いや、ちがうんですよ、みなさん。
一応、全部、首尾一貫しているんです。

ハングルを始めたきっかけは、韓国の讃美が素晴らしかったから。
手話は、手話通訳ではなく、手話讃美を習っているわけだし、
ギターも、讃美の伴奏用。
(願わくは、英語ができるようになりたいのだけど、
これも、翻訳されていない英語ゴスペルの歌詞を聴きとったり、歌詞カードを読んだりできるようになりたいからなのです)
つまり、ぜんぶ、讃美が根っこになっているのだ。

先日の「無教会全国集会2011」で、
徳島聖書キリスト集会の吉村孝雄さんが発題に立って、
「聖霊に促されて、人は信仰をもつことができる。
聖霊もなしに、研究や勉強をしても、何の意味もない」と発言して、
会場から異議申し立てがありました。
いわく、
「聖書研究だって大事だ。
あなたは聖霊、聖霊っていうけれど、聖書研究もしないで聖書を読むなんてありえない!」
それに対して、吉村さん、
「聖書研究がいけない、とは言っていない。
自分だって、勉強をしている(彼は、ラテン語もギリシャ語も勉強したらしい)。
でも、それが目的になってはいけないのだ。
聖霊に促されて、勉強したくなって、勉強する。
それが正しい。
聖霊に促されて、音楽をやる人もいる、詩を書くひともいる。
それぞれ、まず、聖霊が与えられたうえで、やりたいこと、やるべきことをやるのだ。
聖書研究するひとが特別えらい、ということはないのだ」というような主旨のことを言っていた。

ふむ、なるほど。
無教会は特に研究好きの人が多いので、それをいさめるつもりでおっしゃったのでしょう。
(そして、やはり研究好きの人の反発を食らったのでしょう。)
そういう意味では、nikkouは、
自分の楽しみのため、というよりは、
讃美したい、という聖霊の促しによって、
ハングルを学び、手話を学び、英語を学び、ギターを学びたいと思う。

ただ、面白いことに、
讃美のために学んでいたはずが、
思いがけなく、韓国の強烈な歴史を知ったり
ろうあ者の大変だったり愉快だったりする現実を知ったり、
ということになった。

nikkouの母校の校歌に「学び知りゆく世界は広し」という一節がありましたが、
まったく、その通りだと思います。

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