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November 30, 2011

民主主義ってなんだ?

『眠られぬ夜のために』第二部

「10月29日

悪は今のところ、たしかにこの世の巨大な力であり、ひろい範囲を領している。それはいぜんとしてこの世の王であるが、しかし『裁かれた』王であって、その支配権を『しだいに』放棄しなくてはならないだろう。
 それゆえ、この王はいつも恐れているのだ。(中略)

しかし、善のほうでもまた恐れるならば、それによって、善は、悪にたいするその優越性の主な根拠を、たちまちうしなってしまう。最もよい事柄でも、勇気がかけていると、それだけですでに、全く、あるいは半ば、くりかえしだめになってしまった。そこで、いくどもまた新しくやり直さねばならない。若い人たちに勇気を教え込むことが出来れば、それは現代のあらゆる教育のとりわけよい仕事となるであろう(以下略)。」
(岩波文庫:草間平作・大和邦太郎訳)

ハングル教室の李先生から、韓国の民主化のため、どれだけ多くの犠牲があったか、というお話を聞いて、ふと、思った。
民主主義ってなんだ?

生まれたときには、もう日本は「民主主義」だった。だから、あらためて考えると、それがどういうものか、よくわからない。命をかけて勝ち取るべきものなのかどうか。
李先生は、韓国の民主化運動の中心となったのがキリスト教教会だった、という。
教会でその話をすると、nikkouのゴスペル仲間で牧師である通称テイーチャーが、「民主主義の根幹はイエスの福音なんだよ」という。
えー、まじでー?
nikkou の乏しい知識では、民主主義のルーツはたしか、ギリシャのポリスだったはず。主イエスとは関係ないんじゃないの?
そうこうするうちに、大阪では橋本さんが当選。うーん、ほんとに民主主義と福音に、関係があるのかなあ。そういえば、以前、内村鑑三の読書会で、「キリスト教がある国は、民主主義国家でなければならない」というようなことを言うひとがいて、学生さんが、「でも、多数決とキリスト教の倫理は対立することがありますよね」と反論した。それがnikkouの心にずっとひっかかっていたのでした。

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ということで、あらためて勉強してみました、民主主義。
まずは『民主主義という不思議な仕組み』(佐々木毅)から。
それで、ようやく頭の整理がされた。
まず大事なポイントとして、「民主主義」と、「民主制」は別だってことだ。
民主主義」は、「人はすべて、生まれながらに自由で平等で、だから、政治に参加する権利がある」という考え方のこと。
民主制」は、「民主主義を反映させる政治システム」。ただ、鏡のように完璧に反映するシステムというのはなくって、大統領制にせよ、議院内閣制にせよ、一長一短なのだそうだ

この「民主主義」の「だれもが自由で平等という考え方」、大きな動きとなって実現したのはイギリスのピューリタン革命が最初だそうだけど、この本を読むと、なんだか唐突にでてきたような感じがする。それ以前の政治には、まず、「戦争にいくのだから政治に参加すべきだ」という成人男性が中心だったギリシャのポリス、
そして、「力のあるものが政治を行うべきだ」という王政
「貴族も大きなの力と経済力があるのだから、特権を認めろ」という貴族制などがあった。

しかし、「人はみな、自由で平等だから政治に参加すべきだ」という理屈は、よーく考えてみると、あまり説得力がない。「戦争に行くから」「お金があるから」「力があるから」という理由に比べて、「人はみな自由で平等」という理由には目に見える証拠がないのだ。
ああ、ここに、福音があるんだなあ、とぴん、ときた。この本には書いていないけれど、民主主義を唱えた人たちの脳裏には、主イエスの「神の前には、男女も社会的地位も、経済力も軍事力もなく、みな、等しい」という理念があったのだろう。

さて、そこで問題の多数決だけど、これは「民主主義」の問題ではなく、「民主制」のほうの問題なのだそうだ。
本書では、「一見多数の意見のようだけれど、じつは少数派による情報コントロールがあるのかもしれない(たとえばナチス・ドイツとか)」、「そもそも投票率が低いのかもしれない(日本の選挙なんかいつでもそうだ)」、という見方を紹介する。そして、なにより、衝撃的だったのは、「正理をもって身を棄つる」(福沢諭吉)という発想だ。
これは、政治よりも良心を上に置く、ということで、具体的には、19世紀アメリカにおいて、奴隷制に反対して納税を拒否したヘンリー・デイビット・ソローという人を紹介している。同じ発想の持ち主には、ガンジーやキング牧師がいる。日本では君が代日の丸問題などが関係してくるだろうか。

つまり、多数決で決まった法律であっても、倫理的じゃない、良心に反する、と考えたなら、反対していい。いやするべきだ。そして、情報コントロールされていないか、注意深く見守る。「良心には反しているけど、決まったんだから仕方ないんじゃない?」と考えている人たちを説得する。そして、ときには、その決定に従わない(←!)。

でも、これは、正直、難しい。民主主義国家の日本に生きる一市民としても、つくづく難しいと思う。法と対立する良心。福音や隣人愛に反する社会と闘う。まさに信仰レベルの話だ。

法律で決まっちゃったもんは仕方ないんじゃない? と考えて良心を殺してしまうことは、民主主義を殺すことにもなるのだろう。民主制の欠陥に、民主主義が負けちゃったらだめなのだ。結局、民主主義をつくるのは、制度ではなく、人間だということだ。

主イエスのことば「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない」(マルコ福音書2章27節)にならっていえば、「民主主義は人のためにあるもので、人が民主主義のためにあるのではない」というところか。

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さて、日本で民主主義について深く考えた人、といえば、丸山真男という政治学者である。
ということで『丸山真男』(岩波新書 苅部直〉も読んでみた。
丸山は、揺れ動く「政治」に対抗するために、人は「人格的内面」を持たなきゃならない、ということを言っているのだけれど、
その「人格的内面」を徹底して守りうるのは宗教の立場、とりわけ「ラジカルなプロテスタント、例えば無教会主義者であろう。」と書いているそうだ。
丸山の師匠は、南原繁という学者で、無教会のクリスチャンだった。師匠の影響から出た言葉なんだろうけれど、丸山自身はクリスチャンではない。
丸山は、信仰と政治について、なにを思い、どう考えていたのだろう。もう少し、民主主義の勉強をするため、丸山真男の著作を読んでみようと思います。

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