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November 15, 2011

結婚という祝福と呪い

『眠られぬ夜のために』第一部

11月14日
結婚は軽く見てよいことではなくて、本当は恐ろしい事柄である。それは、個人にとっても国民にとっても祝福の源にもなれば、または全く立ち上がれないほど重く彼らの上にいつまでものしかかるように見える呪いの源にもなる。このことは、個人についても、全体としても、実にしばしば指摘することができる。
結婚の日は生涯におけるとりわけ重大な日であって、ただ女性にとってそうであるだけではない。結婚式当日のいろいろ楽しい催しも、往々にして、結婚という事柄のあまり厳粛さを当事者とその家族に対し、ただいくらかでも覆い隠そうという秘かな意味を持つものかもしれない。
(岩波文庫 草間平作・大和邦太郎訳)

今日、同僚と、隅田川沿いのフレンチに行ったら、「本日のパスタ」が「長ネギと鶏肉の塩味パスタ」だった。思わず、しみじみしちゃったよ。
今から7年くらい前だったか、今の夫とつきあって最初のデートが、このフレンチレストランで、そのときの「本日のパスタ」がやはり「長ネギと鶏肉の塩味パスタ」だったのだ。
その日、nikkouは、食べている最中に、ふと食欲がなくなって、半分以上のこして、彼に食べてもらったのでした。
なぜ、食欲を失ったのか。
じつは、その間、nikkouは「私は、この人と結婚するんだな。私の人生、これで、決まっちゃったんだなあ」と思ってたのでした。
彼が男性として魅力がなかった、というわけではない。むしろ、ナイス・ガイでした。
そしてなによりも、nikkouは「年齢=彼氏いない歴」であったので、やっと、この「恋愛戦争」から降りられる、と、ほっとしていた。
しかし、その一方で、もう、この人以外の男とつきあったり、この人以外の人との将来を夢見たりする可能性はいっさいなくなるんだなあ、と思った。そう思った瞬間、自分に与えられた人生の時間の、ある期間が終わったんだ、と感じたのでした。「ああ、こうして、ひとつひとつ、区切りをつけていって、やがて、わたしは死ぬんだ」と、つまり、その瞬間、今まで考えてきたこととまったく違うレベルで、生々しく、「死」を意識したのでした。
そういう意味で、「結婚」は、当時のnikkouにとって、「祝福」であり、「呪い」だった。

あれから7年たってみると、そんなこと考えたなんて、すっからかんに忘れてしまっていたほど、お気楽〜な結婚生活を送っております。

ただ、あの一瞬、死を、人生は時間的に限りがあるんだ、ということを、生々しく感じたというのは、案外貴重だったような気がします。

今日のヒルテイを読んで思い出したことをもう一つ。
結婚が決まったとき、教会の長老さんにこう言われた。
「今はセクハラだっていわれるから、あまりこんなこと言っちゃいけないのかもしれないけれど、nikkouさん、結婚が早く決まってよかったと思うよ。結婚するとわかるから。人間って、自分の思い通りにはならないなーって。」
「へー、そんなもんですかねー」なんて相槌をうってから半年後、
他人だった人間と生活するってのは、こんなに大変なことなのか、と感じていたころに、
あらためてその長老さんに、「おっしゃっていた意味がわかりました」と言ったところ、
「え? そんなこと、言ったっけ?」と、きょとんとされる。
そして、「いやー、自分が言っときながら、忘れていてなんだけどね、ほんと、その通りだと思うよ。結婚するとわかるよね、思ったことは、なんでもかんでも口にすりゃいいってもんじゃないってね」と、またもや金言をはかれました。
この話をすると、結婚している人は、たいがい、とても強く賛同してくれます。

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