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January 14, 2012

他人に迷惑をかけない生活なんて、無理じゃない?

1月7日「眠られぬ夜のために」第1部 かれらをそのただしき裁判官にゆだね、 ためらうことなく おまえの道を歩み続けるがよい。 神は、ありきたりな考えをいただいた 時事詩人とはわけがちがうのだ。 (前田敬作訳)

2年ほど前から、
寝る前に1章、聖書を読むことにしている。
今、「ヨブ記」まで来た。
あと2年くらいで読み終わるかな。

今あらためて
「ヨブ記」を読んでみると、
つくづく、「相手の身になって考える」ってのは難しいなあと感じる。
昨年の大震災を経験したあとだと、なおさら身につまされる。
どんなに、被災地のことを想ってみても、
実際に津波に命をさらされたわけではない人間には
その辛さや複雑な思いは理解できないような気がする。

じつは今朝、電車の中で、あるイベントのポスターを見た。
宣伝文句として、
「人に迷惑をかけない、
人が不快に感じることをしない、
大切なことを、
こどもに教えていますか」
だったか、そういう趣旨のことを書いてある。

なんか時代錯誤だなあ、と思った。

nikkouは、子供時代、わりと「優等生タイプ」だったので
「人に迷惑をかけない、人が不快に感じることをしない」を
わりと実践するように努力してきたし、人にも強要する「正義漢」でありました。
ところが大人になるにつれ、
「そりゃ無理だ」ということが
ひしひしと感じられるようになったのであります。

日常的にはまあ、まず、
大人になって、キリスト教という、日本人の大多数とは異質の価値観を持つようになったこと、
ネットと、発達した交通網のおかげで、仕事でもプライベートでも、「Always3丁目の夕日」時代であれば考えられないほど多種多様の「人様」と接触せざるを得なくなったこと、そして社会の変化による世代間ギャップなんかが大きい気がする。

たとえば
nikkouは元旦には神社に初もうでに行かず、教会の新年礼拝に出席するが、「それって日本人としてどうなの?」と、友人になじられたこともある。
逆にクリスマスに恋人がいないことを憂う日本の風潮は、nikkouには不快だ。
nikkouの母は、「子供はまだか」と、我々の性生活にまで口を出してくる。
子の幸せを願う親としては当然の愛情だと思っているのやもしれないが、nikkouにはただのセクハラである。
宮城県出身のnikkouの夫は、「日本史」が関西と関東中心で、東北など無きがごとき、出てきても「道の奥」あるいは「蝦夷」と蔑視の対象にあっていることに不快(というか怒り)を表明するが、
それは東京育ちのnikkouには想像もできなかった視点である。
韓国では、友人が席をはずしている間に友人の携帯電話がなった場合、かわりに出てあげるのが友情で、
ほっとく日本人については、「友人の携帯が鳴っているのに無視をするなんて、冷たい人。」と感じるそうだ。
あげればきりがないけど、
ことほどさように「人」の「迷惑・不快」のバリエーションは豊かだ。
いちいち「人」の快・不快を気にしていたら、もう、社会生活を放棄して、ひきこもりになるしかない。

それじゃぁどうすればいいのか、ということだけど、
いまのところ、nikkouが思いつくのは、
「人」じゃなく、「自分」が「不快・迷惑」に思うことは、出来る限り、「人」にもしないこと、
もし、相手に不快な思いをさせられても、悪意がなければ気にしないようにすること、
謝ったり、説明したり、というコミュニケーションをいとわないこと
くらいでしょうか。

主イエスは、「自分がしてほしいことを人にしなさい」と言った。
それこそ、社会が狭かった時代の価値観だと思っていたのだけど、
映画「パッション」を見て、認識が変わった。
当時のイスラエルは、ローマに侵略されて、異なる言語が飛び交う国際社会だったらしいのだ。
さらには、今よりずっと身分制度が強固だったにもかかわらず、
イエスは、
上はヘロデ王やローマ総督、神官、
下は娼婦や羊飼い、
ローマの取税人や兵士のような微妙な立場にある人まで、
積極的に接触しているのである。
「こんな価値観の多様な社会で、相手が不快に思うことをしない、っていうんじゃあ、コミュニケーションは不可能だ」
と主イエスはどっかで気づいたのかもしれない。
だから、
むしろ、「してほしいことをする」と、積極的な接触を図り、
そこで起きた摩擦を糧に、相手を理解する、
という作戦に出たのかもしれない。

それはなかなかに、コミュニケーション能力を試される方法です。
そして、相手にかなり強い信頼感を抱けなければできない方法です。
でも、案外、主イエスの2000年前の価値観は、現代の多文化社会に適応したコミュニケーション方法かもしれないね。

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January 09, 2012

愛は老いることがない

1月9日 「……愛は、ほかのどんなものにもまして、ついにそれをわが物とした人間に力だけでなく、英知と忍耐心をあたえる。というのは、愛は、永遠の存在であり生命であるものの一部分であり、このものは、すべての地上の事物のように、老いるということがないからである。」 (『眠られぬ夜のために』第二部 前田敬作訳)

あけましておめでとうございます。
2011年はたいへんな一年でありましたが、
自分にとっては、様々なことを考えさせられた年でもありました。
一生の課題を与えられたといっても過言でないかもしれません。
今年も、それこそ「一生懸命」考え、学び、進みゆきたいと思います。

さて、
お正月は、夫の実家におりました。
夫の祖母宅で、おせちを御馳走になりつつ、
祖母より、自選歌集を頂戴しました。
これが、なかなか素晴らしい短歌で、
ああ、文芸の道には、こういう方法があったんだなあ、とつくづく感動いたしました。

…大きな声では言えませんが、
じつはnikkou、子供のころ、歌人になりたかった。
そこで、当時有名歌人が教授をしておりましたW大学に入り、
4年間、仲間たちとともにあれやこれやとミソ一文字をひねっておりましたが
結局、文芸なり芸術なりってのは才能なんだなあ、という、ごく当たり前のことに気づいて、断念。
ただ、「読む」能力のほうは、努力で磨ける気がする、と
文学研究者か、編集者か、国語教師になるか、の三叉路にしばし悩み、
やがて一番「面白そうだー」と感じた編集者の道を選んだのでした。

というわけで、
作歌からは遠ざかって十数年、
すでに、そんなことに手を染めたことさえ忘れかけていたのですが、
今回の祖母の歌集を読んで、
若いころには思いもよらなかった「歌の役割」に気づかされたのであります。

たとえば、亡くなった友人のこと、
たとえば、子供や孫の成長、
たとえば、老いのこと、
たとえば、感動した歌や詩の本歌どり、
たとえば、庭に咲いた花のこと……

nikkouは若いころ、このテの歌を、
正直、バカにしておりました。
なにせ、加藤次郎、水原紫苑、穂村弘、桝野浩一といった若い歌人がばんばん出ておりまして、

ハーブティーにハーブ煮えつつ春の夜の嘘つきはドラえもんのはじまり(穂村弘)
洪水だあ、とはしゃいでいたのは私です むろんヨーグルトになっちまいましたが(加藤次郎)
真夜中の電話に出ると「もうぼくをさがさないで」とウオーリーの声(枡野浩一)

なんて歌をばんばん発表していたころであります。
私小説よりはファンタジー、あるいは純文学、あるいは大河ドラマ、
短歌1首で小説1冊分の、いや、映画1本分の創造性を、
直立せよ一行の詩(佐佐木幸綱)、
おまえはあかまんまの歌を歌うな(中野重治)
と、それはそれは力んでいたのであります。

祖母はアララギ派の先生に師事したとのことですが、
アララギ派というよりは、いくぶん「未来」とか「中部短歌」とか、そのあたりを思わせるような
若々しくユーモアのにじむ詠みぶりでありました。

しかしなによりnikkouが感動したのは、
本人を知っている人間だけが、共有できる感覚を、きちんと、いや見事に、言葉でもって、いまここへつなぎ留めているということでありました。
とくに、我が夫や、その弟を詠んだ歌、

七草の粥つくるとふ鳥取にひとり住まひの男の孫が
フロイトを熱く語れる孫のいて死ぬのはずっとあとからにしよう


などというものを目にすると、
おもわず、胸にぐっときてしまう。
お祖母ちゃんの愛がひしひしと、ひたひたと、あふれております。
ぶっちゃけ、こうしたものは、商業出版としては価値のない作品なのでありますが、
家族の関係の中では、Pricelessであります。
祖母と、ともに歩んだ家族との、
生活、いや、命が、
深く深く掘りこまれた詩であります。

商業出版にのらない、こうした美しい詩と、そこに刻まれた命は、
きっと、この日本中にあふれているんだろうな、
短歌って、それができるんだな、
それって、ありだな、
いや、それって、素晴らしいな、
大きく言うなら、一回性の命、地に足のついた生活、ヒルティの言葉を借りるなら、「老いることのない愛」
そんなことに、初めて気づいた新春でありました。

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