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July 28, 2012

もう裁きになっている

『眠られぬ夜のために第一部』7月26日神から遠ざかることは、われわれが出会う唯一の大きな不幸である。しかし、これはわれわれの意志なしには決して起こりえない。(岩波文庫:草間・大和訳)

2012年7月26日朝日新聞朝刊に、森達也氏のたいへん興味深い意見記事が載っていた。
ノルウェーの銃乱射事件の犯人アンネシュ・ブレイビクの公判が結審したとある。77人を殺害しても最高刑で禁錮21年。最も重い刑が死刑でなく、禁錮21年である。
しかも、遺族からはひとりとして死刑を望む声は聞かれなかったとのこと。
殺戮から逃れたひとりの10代の少女からのこんなコメントも紹介されている。「一人の男がこれほどの憎しみを見せたのなら、私たちはどれほどに人を愛せるかを示しましょう。」
ノルウェーには死刑がない。その理由として、ノルウェーの法務官僚はこう説明したという。
「ほとんどの犯罪には、三つの要因があります。幼年期の愛情不足、成長時の教育の不足、そして現在の貧困。ならば犯罪者に対して社会が行うべきは苦しみを与えることではなく、その不足を補うことなのです。これまで彼らは十分に苦しんできたのですから。」
すごい。それって、つまり、人は愛と教育と生活費があれば、罪を犯さない、と信じているってことだ。人に対するすごい信頼感。
もちろん、被害者や遺族への救済は国家レベルでなされる。そして、満期出所者には帰る家と仕事を国家が斡旋する。この政策への反対者も多数いたそうだが、「寛容化政策の推進と並行して、犯罪数が減少し始めた」という。

nikkouは、死刑については、どちらかというと廃止論寄りの保留、と考えている。
死刑が残酷だから、という廃止論にはくみしない。だから、「より残酷ではない」終身刑を代替策とするという発想にも賛成しない。
死刑は、犯人を反省させるためには有効じゃない、と思っている。死んでおしまいなんて、軽すぎる。
犯罪に至った経緯を徹底的に検証すること、加害者にはその後、原因が徹底的に排除された世界で生きなおしてもらって、犯した罪に心底むきあわせること。それができれば、ある意味、死刑より痛烈な重荷をもって生きることになるんじゃないか。

でも、そんなことできるかなぁ、と思ってた。
制度的に実行性が薄いだろうな、だから死刑廃止は保留かな、と思っていた。
だから、びっくりした。できる、と思って実行している国があったんだ。

今後、ブレイビクは、徹底的に愛され、赦されたなかで、罪とむきあわなければならない。
すごいことだ。
そりゃもう、「愛」だの「赦し」だのという、日本語のもっているスイートなニュアンスをずっと超越した、お互い心から血を流すような格闘のような気がする。

ノルウェーの法務官僚のことばは、ヨハネ福音書で、例のニコデモさんにイエスが言った言葉を思い出させる。
「光が世に来たのに、人びとはその行いが悪いので、光よりも闇のほうを好んだ。それが、もう裁きになっている。」(ヨハネ福音書3章19節)
罪に応じた罰、なんてものがあるんじゃない、罪自体が、もう裁きなんだよ、
だって、罪を犯すっていうのは、それはそれは苦しくつらいこと、暗い闇の中にいるようなものなんだから、光とともに歩むほうが、はるかに気持ちよくて素敵なことなのに、と。

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