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July 23, 2012

風がどこから吹くのかだれもしらない(上)

『眠られぬ夜のために』第二部 あなたが、しばらくの間、真にたのしい気分になれないことがあっても、なおその時、神とわれらの主に対して、完全に愛と信頼の正しい間柄にあるのだったら、不安になったり、悲しんだりしないがよろしい。それは精神的進歩の新しい良い段階への、生みの苦しみなのだから。(岩波文庫:草間・大和訳)

滋賀県大津市のいじめについて、報道で聴く限りでは、もう本当に陰惨としか言いようのないものに思える。
かわいそうに。命を絶つ前になんとかならなかったのか。

ただ、今回の事件が、これまでのいじめ事件と大きく違うのは、最初の報道があってしばらくしてから、加害者の情報がわーっとネットで拡散したことじゃないかと思う。
nikkouもちょっと検索しちゃったよ。
これがまたすごくて、個人名、顔写真、部活、住所、家族の職業、表札の写真まで、どんどん出てくる。さらに、加害者とされる彼らに対して、すさまじいまでの罵倒の嵐。
これが冤罪だったら、えらいことだ。
でも、冤罪でなかったら?
……正直にいうと、すこし、「ざまあみろ」という気持ちがないわけではない。「自業自得」だ。

でも、「自業自得」という言葉を自分で発して、ちょっとひっかかる。この言葉、クリスチャンは使ってはいけないのである。
イエスは、古代イスラエルにもあった「自業自得」とか「因果応報」とかいう概念を否定したから、と教わってきた。
でも、この場合も?
この事件の場合は、どう考えたらいいんだろう。
やはり、自業自得なのではないのか? 自分で播いた種は、自分で刈り取るべきではないのか?

加害者に対するバッシングについて、だれか、何か言っていないか、調べてみた。

唯一あったのは、「法治国家として、あるまじきことである」という意見。
一般の人が、犯罪者を罰して良い、ということになったら、法は意味をなさなくなる、リンチし放題となってしまう、という。

ふむ、なるほど。
……でも、なんだかしっくりこないんだよな。
だってそれってひっくり返せば、法が定めた罰ならOK、ということになっちゃう。
なにもかも法に支配される国家が、最善だとは思わない。

もっと、根本的に、この加害者へのバッシングをどう考えるべきか、ヒントはないのかなあ、と
ここ数日、考えていた。

そんななか、礼拝で、「ニコデモ」という老教師の話を聞いた。このストーリーに耳を傾けながらふと、ここにヒントがあるんじゃないかなあ、と感じた。
ちょっと長くなるので、ニ回に分けることにします。

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