December 24, 2011

手話讃美2011

ろう教会のクリスマス会用の動画です。
歌は、「パン・パカ・パン二色パン」の「クリスマスの話」

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November 09, 2011

学び知りゆく世界は広し

更新すると、アクセス数が増えますね。こんなに拙いブログですのに、みなさま、ありがとうございます。

さて、今、nikkouは、ハングル検定に向けて勉強中なのですが、検定が終わったら、合否にかかわらず、「がんばった(?)自分への御褒美」ということで、ギターを買おうと思っている。
買って飾るんじゃないよ、
ちゃんと練習して、ゴスペルの弾き語りができるようになりたいのです。

ハングルに、手話に、ギターに、とずいぶんあっちこっちに趣味が飛ぶねえ、
と周囲から呆れられる。

いや、ちがうんですよ、みなさん。
一応、全部、首尾一貫しているんです。

ハングルを始めたきっかけは、韓国の讃美が素晴らしかったから。
手話は、手話通訳ではなく、手話讃美を習っているわけだし、
ギターも、讃美の伴奏用。
(願わくは、英語ができるようになりたいのだけど、
これも、翻訳されていない英語ゴスペルの歌詞を聴きとったり、歌詞カードを読んだりできるようになりたいからなのです)
つまり、ぜんぶ、讃美が根っこになっているのだ。

先日の「無教会全国集会2011」で、
徳島聖書キリスト集会の吉村孝雄さんが発題に立って、
「聖霊に促されて、人は信仰をもつことができる。
聖霊もなしに、研究や勉強をしても、何の意味もない」と発言して、
会場から異議申し立てがありました。
いわく、
「聖書研究だって大事だ。
あなたは聖霊、聖霊っていうけれど、聖書研究もしないで聖書を読むなんてありえない!」
それに対して、吉村さん、
「聖書研究がいけない、とは言っていない。
自分だって、勉強をしている(彼は、ラテン語もギリシャ語も勉強したらしい)。
でも、それが目的になってはいけないのだ。
聖霊に促されて、勉強したくなって、勉強する。
それが正しい。
聖霊に促されて、音楽をやる人もいる、詩を書くひともいる。
それぞれ、まず、聖霊が与えられたうえで、やりたいこと、やるべきことをやるのだ。
聖書研究するひとが特別えらい、ということはないのだ」というような主旨のことを言っていた。

ふむ、なるほど。
無教会は特に研究好きの人が多いので、それをいさめるつもりでおっしゃったのでしょう。
(そして、やはり研究好きの人の反発を食らったのでしょう。)
そういう意味では、nikkouは、
自分の楽しみのため、というよりは、
讃美したい、という聖霊の促しによって、
ハングルを学び、手話を学び、英語を学び、ギターを学びたいと思う。

ただ、面白いことに、
讃美のために学んでいたはずが、
思いがけなく、韓国の強烈な歴史を知ったり
ろうあ者の大変だったり愉快だったりする現実を知ったり、
ということになった。

nikkouの母校の校歌に「学び知りゆく世界は広し」という一節がありましたが、
まったく、その通りだと思います。

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May 24, 2011

川崎リトル・ライト・シンガーズ、キャンドル・ライト・コンサート

――ちいさなキャンドルの明かりのなかで、
ゴスペルの魂(ソウル)に耳を澄ますひととき―



川崎リトルライトシンガーズ
キャンドル・ライト・コンサート
 


日時:6月19日(日)
開演:6時半~7時半
キャンドル点灯:7時
会場:日本キリスト会川崎教会


ゴスペルのルーツ、黒人霊歌が生まれた遠い昔、
人々はきっと、ちいさなちいさなろうそくの明かりのもとで
ともに歌い、祈り、語り合っていたことでしょう。

わたしたちも、今また、
ちいさな明かりのもとに集い、
ともに歌い、祈り、
ゴスペルの魂――愛と平和について、想いをめぐらしたいと思います。


*キャンドル・ナイトとは

2003年環境=文化NGO「ナマケモノ倶楽部」が提唱したエコロジー運動です。
ナマケモノ倶楽部HPより)
「私たちは 100万人のキャンドルナイトを呼びかけます。
2003年の夏至の日、6月22日夜、8時から10時の2時間、
みんなでいっせいにでんきを消しましょう。

ロウソクのひかりで子どもに絵本を読んであげるのもいいでしょう。
しずかに恋人と食事をするのもいいでしょう。

ある人は省エネを、ある人は平和を、
ある人は世界のいろいろな場所で生きる人びとのことを思いながら。(中略)

でんきを消して、スローな夜を。
100万人のキャンドルナイト。」

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April 26, 2011

ゴスペル・チャリティ・コンサート、ありがとうございました。

このたび、募金は2万1006円、集まりました。

ありがとうございました。

全額、各団体にお送りいたします。

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August 05, 2010

For the sky is blue

Corn 今朝の青空。
そよぐ葉はトウモロコシ畑です。

nikkouが朝の通勤時間によく聴くゴスペルのひとつに、
Did you stop to pray this morning?
という歌がある。

ーー今朝、お祈りするために、手を休め、足を留めたかい?
「今日一日、わたしを導いてください、わたしを守ってください」とお祈りしたかい?
ほら、空が青いでしょう?
神様があなたを見守っているから(一緒に歩いているから)だよ。
あなたがお祈りするのを忘れさえしなければね。

そんな歌詞。
For the sky is blueの部分がとくに、弾むようなリズムが華やかで気持ちいい。
ただ、毎朝聴くうちに、ちょっと子供じみたつっこみをしたくなった。

この歌詞じゃまるで、空が青くない日は、神様はわたしをみていないみたいじゃない?

つい2週間ほど前のことだ。
会社でちょっとイヤな思いをした。
翌朝も気が晴れず、会社への足取りが重かった。
その朝も、For the sky is blueを聴きながら駅への道を歩いていて、
ふと、思った。
祈ってないなあ、今朝。
そこで、Stopはしなかったけれど、祈った。
「今日の仕事はまだ始まってもいないのに、くよくよするだけ余計な心労だ。」という気になった。
まあ、それで足どりが軽くなるほど単純じゃないけど、少なくとも気持ちを切り替えるくらいのことはできた。

その日の終わり、
相方に、For the sky is blueの話をする。
「空が青いでしょう、ってのは、心の中のこと何じゃないかな、って思うんだよね。
祈れば、ほら、心の中が晴れ晴れとするでしょう、みたいな。」
同意してくれるかと思いきや、
うーん、と首を傾げられる。
「聖書のことばにせよ、詩にせよ、
心の中のことだとか、何かの象徴的表現だとかって、よく言う人がいるじゃない?
あれって、あまりやりすぎると、
言葉の持つ力というか、迫力みたいなのがなくなる気がするんだよね。
その歌の場合も、ふつうに、空を見上げて、ああ青いなあ、神様が自分を見ているんだなあ、でいいんじゃない?」
「でも、雨の日や曇りの日は?」
「雨の日も曇りの日も、雲の上の空は青いんだよ。」
気象衛星ひまわりですか。

nikkouはどちらかというと、聖書にせよ、歌詞にせよ、言葉通りに受け取りたくない方だ。
聖書についても「この説話には執筆者のどういう意図がこめられているのか」みたいなことを書いた解説書が好きで、好奇心が満たされる。
でも、「言葉の力」といわれると、国語教科書編集者として、ちょっと揺さぶられるところがあるよね。
裏読み深読みするばかりじゃなくって、執筆者には、本当に書いた言葉通りに見えたんだ、と受け止めたほうが、かえって世界が広がることもあるのかな、みたいな。

Batta バッタさん発見。
完全に保護色。

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June 10, 2010

川崎リトル・ライト・シンガーズ、ゴスペルライブ!

Little_light_gospel_live

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November 13, 2009

Steal away

お待たせいたしました、「Steal away」(歌:「無教会全国集会2009 第9分科会ゴスペルシンガーズ」)です。ニフティは、1MBしかアップロードできないために(つまり、おおきなファイルは載せられないために)、1番だけです。

歌詞は、次の通り。

Steal away

Steal away
Steal away
Steal away to Jesus

Steal away Steal away home
I ain’t got long to stay here

1. My Lord He calls me
He calls me by the thunder;

The trumpet sounds
within a my soul

I ain’t got long to stay here

*(Bridge)

2 .Green trees a bending
Poor sinner stands a trembling;

The trumpet sounds
within a my soul

I ain’t got long to stay here
*(Bridge)

3. My Lord He calls me
He calls me by the lighting;

The trumpet sounds
within a my soul

I ain’t got long to stay here

Steal away
Steal away  home

(日本語訳)
こっそり こっそり こっそり
イエス様のもとへ 逃れていこう

こっそり こっそり、ふるさとへ逃れていこう
もう、ここには いなくてもいい

1 わが主なる神様が呼んでいる
神様が 雷で呼んでいる

トランペットが 私の魂のうちから 鳴り響く

もう ここには いなくてもいい

2 青い木がたわんでいる
あわれな罪びとが ふるえながら 立っている

トランペットが 私の魂のうちから 鳴り響く

もう ここには いなくてもいい

3 わが主なる神様が呼んでいる
神様が 光で呼んでいる

トランペットが 私の魂のうちから 鳴り響く

もう ここには いなくてもいい

こっそり こっそり  ふるさとへ

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May 22, 2009

キリスト教・無教会青年全国集会(4)―ゴスペルのひととき(後編)

(前編より続く)この祈祷会で、集まった30人ほどのディレクターたちのお祈りの課題……いや、自分がどういう状況にいて、神様からどのような恵みを与えられたか、という「証(あか)し」を聞くにつれて、
nikkou、自然に、心が変化していくのを感じました。
まず、胸にじわじわと広がってきたのは、
「なぜ、私はゴスペル讃美をするのか」
という根本的な問いかけ。
そして、
「なぜ、無教会の仲間たちと一緒にゴスペル讃美をするのか」という、
本当は一番最初に考えなければならなかったこと。

それは、…ああ、楽しいからだ。
ゴスペルを通じて、自分の力いっぱいの讃美を神様に捧げるのが、楽しいからだ。
どうして、それを忘れていたんだろう。

自分がお祈り課題をいう番になり、
「80人の、ゴスペル初心者を、アカペラで、ディレクションするという状況に置かれています」というと、
なぜか、どーっと大笑いされる。
大笑いされて、にわかに、肩の荷が下りるのを感じた。
「あ、笑いごとなんですねー、これ。超悲惨な状況かと思っていた」というと、またもや、どっかんどっかんウケる。
「今までとはまた違う、新しいステップに挑戦してみろ、という神様からのメッセージなのかな」というと、
「そうだよ!」という声があがり、
うんうん、うなづいてくれる仲間がいる。

ひとりでオロオロしていた自分が馬鹿に見えてきた。
神様は、きちんと、助けを与えてくれていた。
もっと早く、神様に相談すればよかった。

その週の川崎LittleLIghtのリハーサルでは、LittleLightのメンバーである高橋誠牧師に相談。初めてゴスペルを歌う人へのシェアの仕方を教えてもらい、「伴奏のカラオケ、作ってあげようか」とまで言ってもらう。

また、ふと思いついて今回の全国集会に参加するTさんに
「伴奏をお願いできる人、いませんか」とメールすると、即座に「私でよろしかったら、ピアノを弾きます」という返信が!
と同時に、一人で背負い込んでおろおろするな、という教訓を生かして、小舘兄にメール、
「ゴスペルのリハーサルを、小舘さんにもイメージしていただきたいので、
クワイアーのリハーサルを、見学にいきませんか?」というと、これまた、すぐに了解の返信!
直近のリハーサルが行われている小岩のクワイアーに行くことになりました。
小岩のクワイアーのリーダーである小澤寛子さんからも、「待ってます!」の返信。
ああ、助けられています。

小岩のクワイアーでは、
「こころを尽くして」というピアノ・コージさんのゴスペルと、
「Total Prase」を讃美、
nikkou自身、初対面の人たちとも、神様の前では気兼ねなく讃美する、という快感を思い出し、
小舘兄は「あまりの素晴らしさに、カルチャーショックを受けた。」と熱い感動を語ってくださったのでした。

全国集会の直前には、登戸学寮という無教会の学生寮で、学生さんたちとリハーサルをさせていただきました。
登戸学寮の学生さんたちがまた、歌がうまくて。
あっというまに曲を理解してしまうことに、舌をまきました。
私自身、すこし感覚がつかめ、Tさんの伴奏に対する信頼感も与えられました。
さらに、リハーサルに来てくれたAさんがギター伴奏で参加してくれる、とも!
さらにさらに、参加者も80人ではなく20人程度、という小舘兄の報告にほっとしながら、当日に臨んだのでした。

さて、当日。
自己紹介で、どきっとする声がありました。
「私は仏教徒で、あまり考えずに、この集会に参加してしまったのですが、ゴスペルを歌える、ということで、楽しみにしています。」
…そ、そうですか。
nikkou、緊張いたします。
と、同時に、
この彼女に楽しんでもらわなければ、
この彼女に、ああ、ゴスペルっていいなあ、と思ってもらわなければ、
と責任を感じました。

さまざまなプログラムは順調にすすみ、
とうとう、ゴスペルの時間。
nikkou、直前にトイレに駆け込んで、ひとり、祈りました。
神様、あなただけを見上げ、あなただけを心から喜んで讃美できるようにしてください。

26名の参加者の前に立ち、祈り、そして、
「This little light」(この小さな光を)、
Lyreの「もちいてください」、
「Amazing Grace(おどろくばかりの)」を讃美。
無我夢中ではありましたが、ふと気付くと、
全身をそらすようにして大きな声で讃美している兄貴、
軽快なステップを踏んでいる姉貴、
自己紹介の彼女も笑顔で大きな口をあけ、
輝くばかりの顔、顔、顔、そして、思いがけないほど大きな声に包まれていました。
(あとで、夫のところに来たある参加された方のメールには、
ゴスペルの時間について、
「歌は苦手なのですが、気がついたら、大きな声で歌っていました」という一文がありました。)

これはもう、nikkouの力ではありませんね。
やはり、神様の国からの風、「聖霊」が吹きわたっていたに違いない。
本当に、すばらしい讃美のひとときでした。

あとで夫から
「nikkouさん、ディレクションがうまくなっていて、びっくりした。まりりんさんみたいだった」と言われました。
「まりりんさん」とは、nikkouが長いことメンバーだったシャローム・ゴスペル・クワイアーのディレクター。
知らず知らず、多くの影響を受けていたのでしょう。

小舘夫妻、登戸学寮の学生さんたち、高橋誠先生、
讃美の相談を受けてくださったNさん、
ピアノを弾いてくださったTさん、
ギターを弾いてくださったAさん、

小岩のクワイアーの小澤寛子さん、
久遠Nu Praiseの坂上悦子さん、
祈祷会のリーダーの粟野めぐみさん、
ディレクターの仲間たち、
シャロームの「まりりん」さん、
わが夫、
青年全国集会で一緒に讃美してくれたおひとりおひとりに、
こころから、感謝。

そして、なによりも、
すべて、きちんと道筋をつけて導いてくださった、わが主に、感謝。
この道筋の、ひとつでも、順番が狂ったり、一人でも欠けたりすれば、このひとときは、与えられなかったのではないかと思う。

頑固なnikkouのエゴも、砕かれ、溶かされたのでした

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May 19, 2009

キリスト教・無教会青年全国集会(3)―ゴスペルのひととき(前編)

小舘兄から青年全国集会の企画を知らされた数日後、さらに一通のメールが、nikkouに送られてまいりました。

「プログラム案を書いた後で思いついてしまったのですが、
ぜひともどこかにみんなでゴスペルをうたうようなコーナーをもうけ、
nikkouさんにご指導していただきたいのです。
ご協力をお願いできませんでしょうか。」

じつは小舘兄、わたしたちの結婚式にも出席してくださって、入退場の際、友人たちが讃美してくれたゴスペルにとても感心していらしたのでした。
いつか無教会でもゴスペルを歌おう、とお考えだったのかもしれません。
正直にいいますと、nikkou、この時点で、「全国集会ったって、どうせ、10人前後の参加だろうな」とタカをくくっておりました。
10人くらいなら、川崎Little Lightだって、それくらいの規模になったことがありますし、久遠Nu Praiseでときどきディレクションを振られるときも10人前後です。
そのくらいの人数ならアカペラで小曲ならなんとかできるだろう、と、
あまり考えずに
「やりましょう!」と承諾してしまったのでした。

ついでに、全国集会のプログラム中の讃美も、
日本キリスト教団の「讃美歌」からのみで、ちょっと固いのではないか。どうせなら、新しい讃美もたくさん入れたほうがいいのではないか、
と小舘さんに進言。
「ヒムプレイヤーにそれしか入っていないのだけれど、ほかに伴奏があればいいのでは」という返信に力をえて、
(今思えば)nikkou、
…暴走いたしました。

徳島聖書キリスト集会の勝浦さんがカラオケをつくっていらしたはず!と徳島のNさんに電話、
思いつくかぎりのワーシップソングを挙げ、
プログラムの改変を提案したのでした。
当惑していらしたのはNさん。
「ワーシップソングでは、歌ったことがない人もいるんじゃないかと思うんです。変更するなら『讃美歌』を『讃美歌21』にするとか、『聖歌』を『新聖歌』にするとかくらいのほうがいいのではないでしょうか。」

…思い返すに、賢明なアドバイスだったと思います。

ただ、nikkou、すっかり舞い上がっておりましたから、「固いなー」と憮然としました。
夫にも「こうなったら、すんごいすばらしいゴスペルを紹介して、度肝をぬいてやるわ!」と息まいたりしておりました。
そんなわけで、少し気持ちが沈んでいるところに、
さらに、小舘兄から
「参加者は80人くらいになりそう(!)」という情報が入ります。
nikkou、にわかに不安に襲われました。

「ゴスペルが好きではない人がいる(と、nikkouが勝手に解釈した)80人もの、ゴスペル初体験の人を、アカペラでリードするなんて、ハードル高すぎ!」

さてこうなったら、選曲からまずとりかからねばならないとエゴむき出しでがつがつしているところへ、
ふと、久遠NU Praiseの坂上悦子さんから、メールが舞い込んできました。
「今週末、ゴスペルのディレクションをしている人限定で祈祷会があるんだけれど、来る?」
おお。天の助け。先輩ディレクターたちにアドバイスを求めにいこう!
とnikkou、「喜んで、行きます!」と返信いたしました。

ところがその祈祷会で、リーダーの粟野めぐみさんは、最初にこう言うのです。
「祈祷会のルールとして、次のことを守ってください。

1)ここで話されたことは、絶対に秘密にすること。
2)お祈りしてほしい課題をいうこと。愚痴をいわないこと。
3)アドバイスを求めないこと。

えー。アドバイスを求めちゃいけないのー、とがっかりいたしました。
ところが、nikkou、この祈祷会で、ほろりん、と頑固なエゴが溶かされたのです。
(後編に続きます)

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September 29, 2008

三味線やお琴で讃美していたら

200809281646000 日曜日の午後、久遠教会の第二礼拝に出席。
久遠NU Praiseとして、讃美しました。

この日は、久遠教会の姉妹教会、韓国の新一教会から20人ほどのお客さんを迎えて、ハングルでの讃美となりました。

新一教会のみなさんが、
民族舞踊による讃美をみせてくれました。

200809281613000 日本の女の人も、着物になるとだれもが美しく見えますが、
韓国のチマ・チョゴリもそうなのかも。
みんな、すごい美人にみえました。
民族舞踊は、優雅で、華やかで、力強く、
思わず身を乗り出してみとれました。

礼拝の中で、
韓国から来た牧師さんが熱心に、
「日本民族(イルボン・ミンジョク)と、韓国民族(ハングク・ミンジョク)のために祈りましょう!」と韓国語でいい、
通訳の方も「民族」と直訳しておりました。

200809281535000 でも、なんとなく、この「ミンジョク」ってののニュアンスは、日本語の「民族」と違う気がするんだなあ。
「日本民族」ってぴんとこない単語だ。

ところで韓国では、民族舞踊で神を讃美する、というのはポピュラーなんでしょうか。
考えてみれば、
ヨーロッパのクリスチャンも、アメリカ黒人のクリスチャンも、南米のクリスチャンも、
それぞれの地域の音楽で神を讃美しますが
日本のクリスチャンは、なぜ、三味線やお琴や謡曲や日舞で、神を讃美しなかったんだろうね。

Jacket_saiwai nikkouの友人たちが「演歌ゴスペル」を始めたとき、
「ふざけたマネをするな!」と怒った人もいる、と小耳にはさみました。
厳密にいうと演歌も西洋音楽の一種ではあるんだけれど、
ただ、なんとなく、その話を聞いた時、
nikkouも、「ゴスペルはカルトを思い起こす」と言われたことを思い出しました。
なぜ、日本では、ヨーロッパの(しかも白人の)音楽だけが、「まじめで正しいキリスト教音楽」になってしまったんだろう。

『ドレミを選んだ日本人』(千葉優子:音楽之友社)という本に、
明治時代、音楽といえば三味線や琴、尺八、長唄小唄だったところへ西洋音楽が入ったときの、日本人の驚きや、当惑、好奇心が描かれておりました。
『讃美歌・聖歌と日本の近代』(手代木俊一:音楽之友社)でも、明治時代の日本人が、讃美歌を西洋音楽の音(とくに、ファとシ)とリズムで歌うことができず、日本人にアメリカ白人の讃美歌を歌わせることをあきらめた初期の伝道者の話などが載っていて、おもしろかった。
この時代、もし、「讃美ってのは、音楽ではなく、言葉と心だ」と気づいた伝道者がいて、
「日本人は、邦楽で讃美しよう」と思いたっていれば、日本のキリスト教の浸透度も邦楽の発展も違った道をたどっていたかもしれない。
…と相方に言ったら、
「でも、クリスチャンじゃない日本人も、もう、邦楽はやらなくなってんじゃん」とつっこまれた。
ほんとだ。
あんまり関係ないかも。

ちなみに、日本人が邦楽を捨てて、西洋音楽一辺倒になったのは、身分ごとに違う音楽を奏でていた当時の状況の中で、「西洋音楽を、この国の統一音楽にしよう!」と思いついた明治政府の必死の教育の成果だ、…というのは、複数の本に共通する見解のようです。

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