May 22, 2009

キリスト教・無教会青年全国集会(4)―ゴスペルのひととき(後編)

(前編より続く)この祈祷会で、集まった30人ほどのディレクターたちのお祈りの課題……いや、自分がどういう状況にいて、神様からどのような恵みを与えられたか、という「証(あか)し」を聞くにつれて、
nikkou、自然に、心が変化していくのを感じました。
まず、胸にじわじわと広がってきたのは、
「なぜ、私はゴスペル讃美をするのか」
という根本的な問いかけ。
そして、
「なぜ、無教会の仲間たちと一緒にゴスペル讃美をするのか」という、
本当は一番最初に考えなければならなかったこと。

それは、…ああ、楽しいからだ。
ゴスペルを通じて、自分の力いっぱいの讃美を神様に捧げるのが、楽しいからだ。
どうして、それを忘れていたんだろう。

自分がお祈り課題をいう番になり、
「80人の、ゴスペル初心者を、アカペラで、ディレクションするという状況に置かれています」というと、
なぜか、どーっと大笑いされる。
大笑いされて、にわかに、肩の荷が下りるのを感じた。
「あ、笑いごとなんですねー、これ。超悲惨な状況かと思っていた」というと、またもや、どっかんどっかんウケる。
「今までとはまた違う、新しいステップに挑戦してみろ、という神様からのメッセージなのかな」というと、
「そうだよ!」という声があがり、
うんうん、うなづいてくれる仲間がいる。

ひとりでオロオロしていた自分が馬鹿に見えてきた。
神様は、きちんと、助けを与えてくれていた。
もっと早く、神様に相談すればよかった。

その週の川崎LittleLIghtのリハーサルでは、LittleLightのメンバーである高橋誠牧師に相談。初めてゴスペルを歌う人へのシェアの仕方を教えてもらい、「伴奏のカラオケ、作ってあげようか」とまで言ってもらう。

また、ふと思いついて今回の全国集会に参加するTさんに
「伴奏をお願いできる人、いませんか」とメールすると、即座に「私でよろしかったら、ピアノを弾きます」という返信が!
と同時に、一人で背負い込んでおろおろするな、という教訓を生かして、小舘兄にメール、
「ゴスペルのリハーサルを、小舘さんにもイメージしていただきたいので、
クワイアーのリハーサルを、見学にいきませんか?」というと、これまた、すぐに了解の返信!
直近のリハーサルが行われている小岩のクワイアーに行くことになりました。
小岩のクワイアーのリーダーである小澤寛子さんからも、「待ってます!」の返信。
ああ、助けられています。

小岩のクワイアーでは、
「こころを尽くして」というピアノ・コージさんのゴスペルと、
「Total Prase」を讃美、
nikkou自身、初対面の人たちとも、神様の前では気兼ねなく讃美する、という快感を思い出し、
小舘兄は「あまりの素晴らしさに、カルチャーショックを受けた。」と熱い感動を語ってくださったのでした。

全国集会の直前には、登戸学寮という無教会の学生寮で、学生さんたちとリハーサルをさせていただきました。
登戸学寮の学生さんたちがまた、歌がうまくて。
あっというまに曲を理解してしまうことに、舌をまきました。
私自身、すこし感覚がつかめ、Tさんの伴奏に対する信頼感も与えられました。
さらに、リハーサルに来てくれたAさんがギター伴奏で参加してくれる、とも!
さらにさらに、参加者も80人ではなく20人程度、という小舘兄の報告にほっとしながら、当日に臨んだのでした。

さて、当日。
自己紹介で、どきっとする声がありました。
「私は仏教徒で、あまり考えずに、この集会に参加してしまったのですが、ゴスペルを歌える、ということで、楽しみにしています。」
…そ、そうですか。
nikkou、緊張いたします。
と、同時に、
この彼女に楽しんでもらわなければ、
この彼女に、ああ、ゴスペルっていいなあ、と思ってもらわなければ、
と責任を感じました。

さまざまなプログラムは順調にすすみ、
とうとう、ゴスペルの時間。
nikkou、直前にトイレに駆け込んで、ひとり、祈りました。
神様、あなただけを見上げ、あなただけを心から喜んで讃美できるようにしてください。

26名の参加者の前に立ち、祈り、そして、
「This little light」(この小さな光を)、
Lyreの「もちいてください」、
「Amazing Grace(おどろくばかりの)」を讃美。
無我夢中ではありましたが、ふと気付くと、
全身をそらすようにして大きな声で讃美している兄貴、
軽快なステップを踏んでいる姉貴、
自己紹介の彼女も笑顔で大きな口をあけ、
輝くばかりの顔、顔、顔、そして、思いがけないほど大きな声に包まれていました。
(あとで、夫のところに来たある参加された方のメールには、
ゴスペルの時間について、
「歌は苦手なのですが、気がついたら、大きな声で歌っていました」という一文がありました。)

これはもう、nikkouの力ではありませんね。
やはり、神様の国からの風、「聖霊」が吹きわたっていたに違いない。
本当に、すばらしい讃美のひとときでした。

あとで夫から
「nikkouさん、ディレクションがうまくなっていて、びっくりした。まりりんさんみたいだった」と言われました。
「まりりんさん」とは、nikkouが長いことメンバーだったシャローム・ゴスペル・クワイアーのディレクター。
知らず知らず、多くの影響を受けていたのでしょう。

小舘夫妻、登戸学寮の学生さんたち、高橋誠先生、
讃美の相談を受けてくださったNさん、
ピアノを弾いてくださったTさん、
ギターを弾いてくださったAさん、

小岩のクワイアーの小澤寛子さん、
久遠Nu Praiseの坂上悦子さん、
祈祷会のリーダーの粟野めぐみさん、
ディレクターの仲間たち、
シャロームの「まりりん」さん、
わが夫、
青年全国集会で一緒に讃美してくれたおひとりおひとりに、
こころから、感謝。

そして、なによりも、
すべて、きちんと道筋をつけて導いてくださった、わが主に、感謝。
この道筋の、ひとつでも、順番が狂ったり、一人でも欠けたりすれば、このひとときは、与えられなかったのではないかと思う。

頑固なnikkouのエゴも、砕かれ、溶かされたのでした

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May 19, 2009

キリスト教・無教会青年全国集会(3)―ゴスペルのひととき(前編)

小舘兄から青年全国集会の企画を知らされた数日後、さらに一通のメールが、nikkouに送られてまいりました。

「プログラム案を書いた後で思いついてしまったのですが、
ぜひともどこかにみんなでゴスペルをうたうようなコーナーをもうけ、
nikkouさんにご指導していただきたいのです。
ご協力をお願いできませんでしょうか。」

じつは小舘兄、わたしたちの結婚式にも出席してくださって、入退場の際、友人たちが讃美してくれたゴスペルにとても感心していらしたのでした。
いつか無教会でもゴスペルを歌おう、とお考えだったのかもしれません。
正直にいいますと、nikkou、この時点で、「全国集会ったって、どうせ、10人前後の参加だろうな」とタカをくくっておりました。
10人くらいなら、川崎Little Lightだって、それくらいの規模になったことがありますし、久遠Nu Praiseでときどきディレクションを振られるときも10人前後です。
そのくらいの人数ならアカペラで小曲ならなんとかできるだろう、と、
あまり考えずに
「やりましょう!」と承諾してしまったのでした。

ついでに、全国集会のプログラム中の讃美も、
日本キリスト教団の「讃美歌」からのみで、ちょっと固いのではないか。どうせなら、新しい讃美もたくさん入れたほうがいいのではないか、
と小舘さんに進言。
「ヒムプレイヤーにそれしか入っていないのだけれど、ほかに伴奏があればいいのでは」という返信に力をえて、
(今思えば)nikkou、
…暴走いたしました。

徳島聖書キリスト集会の勝浦さんがカラオケをつくっていらしたはず!と徳島のNさんに電話、
思いつくかぎりのワーシップソングを挙げ、
プログラムの改変を提案したのでした。
当惑していらしたのはNさん。
「ワーシップソングでは、歌ったことがない人もいるんじゃないかと思うんです。変更するなら『讃美歌』を『讃美歌21』にするとか、『聖歌』を『新聖歌』にするとかくらいのほうがいいのではないでしょうか。」

…思い返すに、賢明なアドバイスだったと思います。

ただ、nikkou、すっかり舞い上がっておりましたから、「固いなー」と憮然としました。
夫にも「こうなったら、すんごいすばらしいゴスペルを紹介して、度肝をぬいてやるわ!」と息まいたりしておりました。
そんなわけで、少し気持ちが沈んでいるところに、
さらに、小舘兄から
「参加者は80人くらいになりそう(!)」という情報が入ります。
nikkou、にわかに不安に襲われました。

「ゴスペルが好きではない人がいる(と、nikkouが勝手に解釈した)80人もの、ゴスペル初体験の人を、アカペラでリードするなんて、ハードル高すぎ!」

さてこうなったら、選曲からまずとりかからねばならないとエゴむき出しでがつがつしているところへ、
ふと、久遠NU Praiseの坂上悦子さんから、メールが舞い込んできました。
「今週末、ゴスペルのディレクションをしている人限定で祈祷会があるんだけれど、来る?」
おお。天の助け。先輩ディレクターたちにアドバイスを求めにいこう!
とnikkou、「喜んで、行きます!」と返信いたしました。

ところがその祈祷会で、リーダーの粟野めぐみさんは、最初にこう言うのです。
「祈祷会のルールとして、次のことを守ってください。

1)ここで話されたことは、絶対に秘密にすること。
2)お祈りしてほしい課題をいうこと。愚痴をいわないこと。
3)アドバイスを求めないこと。

えー。アドバイスを求めちゃいけないのー、とがっかりいたしました。
ところが、nikkou、この祈祷会で、ほろりん、と頑固なエゴが溶かされたのです。
(後編に続きます)

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September 29, 2008

三味線やお琴で讃美していたら

200809281646000 日曜日の午後、久遠教会の第二礼拝に出席。
久遠NU Praiseとして、讃美しました。

この日は、久遠教会の姉妹教会、韓国の新一教会から20人ほどのお客さんを迎えて、ハングルでの讃美となりました。

新一教会のみなさんが、
民族舞踊による讃美をみせてくれました。

200809281613000 日本の女の人も、着物になるとだれもが美しく見えますが、
韓国のチマ・チョゴリもそうなのかも。
みんな、すごい美人にみえました。
民族舞踊は、優雅で、華やかで、力強く、
思わず身を乗り出してみとれました。

礼拝の中で、
韓国から来た牧師さんが熱心に、
「日本民族(イルボン・ミンジョク)と、韓国民族(ハングク・ミンジョク)のために祈りましょう!」と韓国語でいい、
通訳の方も「民族」と直訳しておりました。

200809281535000 でも、なんとなく、この「ミンジョク」ってののニュアンスは、日本語の「民族」と違う気がするんだなあ。
「日本民族」ってぴんとこない単語だ。

ところで韓国では、民族舞踊で神を讃美する、というのはポピュラーなんでしょうか。
考えてみれば、
ヨーロッパのクリスチャンも、アメリカ黒人のクリスチャンも、南米のクリスチャンも、
それぞれの地域の音楽で神を讃美しますが
日本のクリスチャンは、なぜ、三味線やお琴や謡曲や日舞で、神を讃美しなかったんだろうね。

Jacket_saiwai nikkouの友人たちが「演歌ゴスペル」を始めたとき、
「ふざけたマネをするな!」と怒った人もいる、と小耳にはさみました。
厳密にいうと演歌も西洋音楽の一種ではあるんだけれど、
ただ、なんとなく、その話を聞いた時、
nikkouも、「ゴスペルはカルトを思い起こす」と言われたことを思い出しました。
なぜ、日本では、ヨーロッパの(しかも白人の)音楽だけが、「まじめで正しいキリスト教音楽」になってしまったんだろう。

『ドレミを選んだ日本人』(千葉優子:音楽之友社)という本に、
明治時代、音楽といえば三味線や琴、尺八、長唄小唄だったところへ西洋音楽が入ったときの、日本人の驚きや、当惑、好奇心が描かれておりました。
『讃美歌・聖歌と日本の近代』(手代木俊一:音楽之友社)でも、明治時代の日本人が、讃美歌を西洋音楽の音(とくに、ファとシ)とリズムで歌うことができず、日本人にアメリカ白人の讃美歌を歌わせることをあきらめた初期の伝道者の話などが載っていて、おもしろかった。
この時代、もし、「讃美ってのは、音楽ではなく、言葉と心だ」と気づいた伝道者がいて、
「日本人は、邦楽で讃美しよう」と思いたっていれば、日本のキリスト教の浸透度も邦楽の発展も違った道をたどっていたかもしれない。
…と相方に言ったら、
「でも、クリスチャンじゃない日本人も、もう、邦楽はやらなくなってんじゃん」とつっこまれた。
ほんとだ。
あんまり関係ないかも。

ちなみに、日本人が邦楽を捨てて、西洋音楽一辺倒になったのは、身分ごとに違う音楽を奏でていた当時の状況の中で、「西洋音楽を、この国の統一音楽にしよう!」と思いついた明治政府の必死の教育の成果だ、…というのは、複数の本に共通する見解のようです。

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September 27, 2008

世界は大きくて小さい(Music & Arts 2008 Japan)

Topim_2 先週の金曜日19日から、23日(祝)まで、
Music & Arts Japan 2008というワークショップ(体験学習?)と、ワークショップ受講者によるコンサートに参加してまいりました。

講師は、アメリカから、
Oh happy dayの作者、エドウィン・ホーキンズと、
Total praiseの作者、リチャード・スモールウッド。
それから、エドウィンの妹のリネッタ・ホーキンズや、
エドウィンの教会でゴスペルの指揮をしているジョナサン・クリアー(←nikkou、大ファンです!)、
そのほか、一流のゴスペル歌手、ピアニスト、ゴスペルクワイアー、さらには牧師にいたるまで、
まるで黒人教会ごとごっそり来日、
彼ら流の神の讃美の仕方を、こってりと教えていただいたのでした。

ワークショップには、北は北海道から南は福岡にいたるまで、全国のゴスペル・ファンが集いました。
ワークショップのリハーサル(練習)は東京聖書教会という、江古田の大きな教会、
コンサートは新宿の厚生年金会館という、これまた大きなホールで行われたのですが、
どちらもぎゅうぎゅう詰めの大入り満員。
参加者だけでも、400人、
募集を締め切ったあとも、キャンセル待ちが出たそうです。

参加者のうち、どのくらいの割合でクリスチャンがいたのかは、わかりません。
しかし、毎日、すべてのリハーサルの始まりと終わりにお祈りがあり、
この音楽は、神にささげられるものである、ということを、つねに意識させられました。

200809221536000 リハーサルでは、なるべく前のほうに座るようにしていたのですが、
毎回かならず、アメリカから来た黒人のおばさんが同じ席にいました。
nikkou、おぼつかない英語で話すのがおっくうで、おはずかしいことですが、最初、本を読んだりして無視しておりました。
ところが、このおばさん、いたって人懐っこく、
「あなたのお名前は? わたしはメロディよ。」といった調子で話しかけてくる。
で、nikkouも勇気を出して、片言英語で、
「お疲れじゃないですか」とか「観光はしましたか」とか「お土産は買いましたか」とかって話しかけ、
メロディさんも「浅草に行った、煙を頭にかけたりして面白かった」とか「うちには相撲レスラーのような大きなベイビーがいて、お土産を買うにしても、日本のものはみんな小さくて、探すのに苦労した」
とかってことをいう。
「相撲レスラーのような赤ちゃん!?」とnikkou、目がテンになりましたが、
「ベイビー」というのは、13歳の男の子だと聞いて、
なぁんだ、と大笑いしました。
日本のお母さんの言葉でいえば、「うちの坊主」とか「うちの小僧」とか、そんなニュアンスでしょうかね。

歌の練習の際も、メロディさんはもちろん、近辺の席の人たちと頭を寄せ合って、音程やら発音やらを確認、
ひとつのものを、複数の人たちで作り上げていくということの快感にわくわくしたのでした。

4日間、みっちり学んだあと、5日目のコンサートで舞台にのりました。
コンサートの最中、
すごく不思議な感覚が胸をよぎりました。

メロディさんはじめ、今回来日した黒人さんたち、
そして、ここに集まった何百人何千人の日本人たち、
ひとりひとりに、生活があり、祈りがあり、讃美があるんだなあ、
なんて、世界は広いんだろう…
という思い。
と同時に、そのひとりひとりのことを、生まれてから死ぬまで、すべて、われらの讃美している神は、知っているのだ、
なんて、世界は小さいのだろう…。

言葉にすると、そんな感じ。
一瞬にして、大きさと小ささを、同時に見てしまった、というような、
すごく、奇妙な感覚でありました。

コンサートを終えた翌日
いまごろ、メロディさんたちは、おうちに帰って、相撲レスラーのようなベイビーに日本のお土産を渡しているかしら、
なんてことを思いました。

また、いつか、
…神の国になるか、この地上にいるうちになるか、わからないけれど、
メロディさんたちに会いたいと思います。

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September 22, 2008

Music Arts Japan 2008

うかうかしていたら、直前になってしまいました。
nikkou、参加しております、「Music & Arts Japan2008」。
(ホームページは
こちら

明日、コンサートです。
400人のクワイアー(聖歌隊)に入って歌います。

明日の祝日、せっかくの休みだけれど、とくに行くところもないなあ、という方、
当日券、出ますので、ぜひどうぞ。

9月23日(祝火) 14:30開場 15:00開演
ウェルシティ東京(東京厚生年金会館)大ホール
東京都新宿区新宿5-3-1

http://www.kjp.or.jp/hp_20/access/

前売り¥3,000 当日¥3,500

「天使にラブソングを」で歌われて、日本でもすっかりおなじみになった「Oh Happy Day」(原曲は讃美歌516番「主イエスを知りたるうれしきこの日や」)をゴスペルにアレンジした、エドウィン・ホーキンズや、
詩篇121編を歌った「Total praise」
(nikkouのウエディング・パーティでも歌いました)の作者、リチャード・スモールウッドを講師に迎え、
先週の金曜日から今日まで、みっちり全10曲のゴスペル讃美を教えてもらいました。また、50人のアメリカ人ゴスペルクワイアーも来日。日本人とともに讃美をします。
エドウィンも、リチャード・スモールウッドも、いわゆるスーパー・スターであります。
そんな彼らが海を越えて、大勢の日本人を前に、連日、額に玉の汗を浮かべてクワイアーをディレクション(指揮)してくれているわけであります。

今日、400人の日本人と50人のアメリカ黒人のなかで、声をそろえて讃美の歌を歌いつつ、思いました。もう、だれになにを言われようと、わたし、ブラック・ゴスペルが好きだわ。
そのリズム、ハーモニーが、ただひたすら、楽しい。
そして、その歌詞のひとこと一言に胸が熱くなる。

最近、仕事で、明治時代、日本に讃美歌を伝えようと来日したメーソンというアメリカ人を調べているのですが、
メーソンの、その必死の思いが、メーソン来日100年後のエドウィンや、リチャード・スモールウッドに重なって、
ああ、なんと、クリスチャン・ミュージシャンとは、真摯に生きる人々なのだろう、と、つくづく感動しました。

海を越えてひとつとなるアメリカの黒人と日本人の声を、ぜひ、みなさまに聞いていただきたいと思います。

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September 16, 2008

Lyreライブ@東京基督教大学

15日(祝日)、夫とふたりでLyreのライブに行ってまいりました。

ライブ会場は、千葉県にある東京基督教大学
Lyreの6名は、この大学出身であります。
nikkou、神学校なる場所に足を踏み入れたのは初めて。
そんなこともあって、ちょっとわくわくしました。
この大学は、緑ゆたかな郊外にあって、
空の狭い東京に生活しているわれわれには、
すがすがしいほどの開放感。

会場となったチャペルも、
自然光と風とがふんだんに入り、
「半ば野外ライブのような感覚」(「いのちのことば社」社長挨拶)で、
たいへん心地よいところでした。

来年からメンバーの具志堅さんがカンボジアに、塚田さんがブラジルに宣教に出るとのことで、
当分の間、Lyreの讃美はこれが見納め・聴き納めになります。

ライブの曲目は、空の広さ・高さや、吹く風の心地よさに神の恵みを託したものが多く、
なるほど、Lyreの讃美は、この空の広いキャンパスでこそ生まれた歌だったのか、と納得。

なかでも、新しいアルバム『かけがえのないもの』に入っている「美しき日々」が心に響きました。

小鳥のさえずりで 目覚めた光の朝

陽だまりの窓際 あくびをしてる猫の顔

黄金色に続く 稲穂を揺らす風の音

流れる雲に乗り 羽広げ昇る白鷺

 ほら こんなにも あなたの前に あるものの全てに

神様の愛は 優しく注がれているから

疲れた心だけが重い時は 立ち止まって

風を感じ 空を見上げ 愛を思い 眠りにつこう

(若林栄子・作詞作曲)

そういえば遠藤周作がどこかで、「西洋人が花を通して神を思うのと、日本人の自然風物に神を感じるのとは、どこか違う」と書いていました。
たしかにゴスペルやヨーロッパの讃美歌に、自然風物を歌う歌がないわけではないですが、
「薔薇の花に置く朝露のように、神はやさしくあなたを愛する」とか、「神に力を与えられたものは、翼を張って天がける鷲のようだ」とか、基本的に比喩が中心。
「稲穂を揺らす風の音」や「白鷺」、「あくびをしているネコ」など、
比喩ではなく、自然を自然のままにみつめ、そこに注がれる神の愛を感じる、という歌詞は、日本文化の中に咲いた日本人クリスチャン特有の感受性かもしれません。

隅谷三喜男という神学者さんは、「クリスチャンでありながら、自然に神を感じてしまうのは、日本の伝統宗教に引きずられてしまっているのだろうか」というような意味の質問をされて、
「神様がつくった自然を、豊かに受け止めていくということは、日本人に与えられた特権かもしれません」と答えていました。(『隅谷三喜男 信仰のことば』)つくづく、よい賜物をいただいたものだと思います。

今回のライブでは、「ユーオーディア」という、クリスチャンによるクラッシック音楽の讃美グループから、
バイオリン奏者の方が参加、
Lyreの声に重ねてさらに美しいハーモニーを醸し出しておりました。

帰りは、あえてバスにのらず最寄り駅まで30分弱、ふたりで、てくてく歩いて帰りました。
開発がいまだ及ばぬ空地や雑木林の中、虫すだく声が
……風情を通り越して、まるでどしゃぶりの雨、ちょいとうるさいほどでした。
被造物は、ひとの感傷など慮ることなく、
ただのびのびと生きている。
そのことに、なんだか、かえって元気づけられるような夜でした。

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July 01, 2008

Happy Birthday 生まれてきてよかったね

前回、nikkouが「わかった」瞬間に立ち会っていた友人のことを書いたら、
なんだか、彼女のことが懐かしくなってしまった。
いま、彼女は子育てに奮闘中のはずだ。

nikkouが「わかった」日から2か月ほどたったころ、
あるゴスペルコンサートで、彼女も、ふと「わかった」そうだ。
ほんの2か月前はnikkouが「わかった」ことを
「わー怖いなー、ゴスペルずっとやってると、こんなになっちゃうんだー」な~んて思ってたのに
神様のなさることは、ほんと面白い。

生真面目な彼女は、主イエスのことがわかった直後、近所の教会をしらみつぶしにあたった。
日本基督教団も、バプテスト派も、聖公会にも行った。
nikkouの通う教会にもきてくれたし、モルモン教の礼拝まで参加してみたんだそうだ。
最後に行ったカトリックの教会で、すばらしい神父さんに出会った。
そこで彼女は1年近くじっくり聖書を学んで、次の年のイースターに洗礼を受けた。
つまり、聖書を学んだのは、主イエスに出会ったあとだった。
そう、彼女もまず、ぱちっ!と「第三の目が開い」て、それから「だんだんわかる」派だったのだ。

洗礼式には友人たちと一緒にnikkouも駆け付けた。
洗礼式のあと、キャンドルサービスがあって、
ひろ~い聖堂の一番前の受洗者の席から、後ろのほうに座っていたnikkouたちのところまで走ってきて、灯を分けてくれた。
これぞほんとの聖火マラソン。

受洗してすぐ、
神様は彼女に赤ちゃんをおあたえになった。
生まれるぎりぎりまで、大きなお腹を抱えて、ゴスペルを歌いに来ていた。
「自分が子供を産むことになるなんて、考えたこともなかったの」とあるとき、彼女、nikkouにぼそっと言った。
「だって、自分が生きていること自体、ゆるせなかったから。」

いつも穏やかで、優しそうな彼女が、
そんな重たいものを背負っていたなんて、
まったく、思いもよらなかったから、nikkouは言葉を失った。

ベイビー、神様は、ママの命を救い、君に命を与えたんだね。

主よ、愛するMちゃんを救ってくださって本当に感謝します。どうぞ、MちゃんとMちゃんの家族をこれからもずっとお守りくださいますように。

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May 08, 2008

GMWC2008(『泣いた分だけ笑わしたる!』)

51cnm0jsf7l_sl500_aa240__2 ゴスペル・ミュージック・ワークショップ・オブ・名古屋に、
吉本新喜劇の人気芸人さんだった岡八朗さんのお嬢さん、市岡裕子さんが、ディレクター(指揮者)として参加されていました。
華やかな笑顔と、すばやい機転、場をなごませる明るいエネルギーに、さすが、芸人さんのお嬢さん、と
ほれぼれとみとれていたのですが、
3日目の夜のコンサートで、市岡さんが歌とともに語った話はあまりに壮絶で、
nikkou、ひさびさに、人の話に涙する、という経験をしました。

岡八朗さんを、nikkouはくわしくは知らないのですが、
たいへんな人気芸人だったそうです。
でも、市岡さんは、そんなおとうちゃんをもったことが、嫌で嫌でしかたなかった。
「華やかなのは、テレビの中、舞台の上だけ。
ほんとのおとうちゃんは、お酒もたくさん飲むし、彼女もたくさんいてはる。
お家にはお金をいれるだけの人でした。」

市岡さん16歳のとき、市岡さんのお母さんが突然自殺します。
事業に失敗したせいか、いろいろと重なって精神的に不安定だったからなのかわからない。
お母さんの自殺をみつけたのは、当時13歳だった、市岡さんの弟さんだったそうです。
それ以来、弟さんはその精神的なショックから立ち直れず、30代で夭折。
さらに、お父さんの岡八朗さんは、舞台のストレスからアルコール依存症になってしまった。

市岡さん、そんな家族から逃れるように、アメリカにわたります。
そして、ニューヨークのハーレムで、ゴスペルを聴いた。
「わたしの5倍くらいふとった黒人のおばちゃんが、顔の半分を口にして、うとうとったんです。
『神様~~、わたしはぼろぼろです~~、もうたてません~~、
せやから、立ち上がらせて、導いてください、救ってください!』
それを聴いて、わたし思いました。
それは、わたしや。
神様、ほんとに、いてはるの?
いてはるなら、わたしを立ち上がらせて。
救って。」

この歌は、そう、例の「Precious Lord(慕いまつる主なるイエスよ)」であります。
そうして、市岡さんは、聖書を読み始めた。

「最初はなんのことやら、さっぱり分からなかった。
イエス・キリストがわたしの罪のために、十字架で死んだ、ってどういうことか、さっぱり分からなかった。
なのに、神様はすごいですよ、みなさん!
段々、このわたしにも分かってきたんです。
わたし、やりなおせる! ぼろぼろのところから、立ち直れる!って分かったんです。」

そうしてアメリカから帰国、ゴスペルシンガーとして再生した市岡さんの舞台を見て、
岡八朗さん、お酒をやめます。
そうして、もう一度、舞台に立った。

「もう、わたしも44歳やし、Jポップとか、ようわからへん。
演歌なら、ちょっとはだいじょうぶかも。
でも、ゴスペルは、わたし、おばあちゃんになるまで、歌うたる!」

こう宣言して、市岡さんは、Amazing Graceと、もう一曲、nikkouの知らない歌を、歌った。

なんていうか…、大阪っぽいゴスペルでした。
生活に、自分の命に根ざした感じ。自分のモノにしているって感じ。

岡八朗さんと、市岡裕子さんの共著が出ています。
岡八朗さんの半生記『泣いた分だけ笑わしたる!』(マガジンハウス)

nikkouもさっそくアマゾンで注文して、本日届きました。

アルコール依存症生還の体験記としても読むもよし、、
芸人さんの意外な一面をのぞきみるためでもよし、
みなさまぜひご一読を。
nikkouは、ゴスペル仲間の証しとして、読もうと思う。

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May 07, 2008

GMWC2008(新しい革袋について)

Dscn0785 5月4日から昨日の6日まで、3泊2日、
名古屋で行われた「ゴスペル・ミュージック・ワークショップ・オブ・中部」(GMWC)に行ってまいりました。(写真は会場となった在日大韓基督教会名古屋。)
ワークショップというのは、体験講座、という意味。
nikkouの今回の目的は、いくつか開かれる講座のうち「ディレクター・セミナー」を受講することでした。

講師は大阪のディレクター、足立学さん
期待以上の大きな収穫を得ることができました。
主に、精神的な面や、マネージメントの点からの講義でしたが、
たぶん、今の自分に最も必要だったのは、そこなんだろうと思います。

もちろん、技術的なこととして、ハーモニーのつくり方、声の出し方、リズムのとり方などの話もありました。
足立さんが言うには、
ハーモニーで歌うこと、大きな声を出すこと、裏(2拍目)を打つというリズムなどは、
これまでの日本にはなかった文化であり、
わたしたちの身体には、リミット(制限)がかかっているんだそうです。
ゴスペルを歌うときには、そうした「リミット」を解除していきましょう、とのこと。

そこで、nikkou、はたと思いついて質問してみました。
「たしかに、私たちの体には、文化的なリミットがかかっていますが、
感性的には、すでにゴスペル音楽のリズムやハーモニーや発声に抵抗を感じることはなくなっているように思います。
でも、日本には、わたしたち以上に、文化的にも、感性的にも、ゴスペル音楽に抵抗を感じる世代がいますよね。
ご年配の方たちの前でゴスペルを歌うと、居心地の悪い思いをさせてしまうような気がします。
私は世代を超えて、ゴスペル讃美の喜びを分かち合いたい、と思っているのですが、
それは、難しいことなのでしょうか」

すると、20人ほどいたクラスの中から、
「私の教会でも、年配の方のご協力が得られない」という声があがりました。

足立さんは
「こんなことを言うと、怒られるかもしれないけれど…」と一瞬いいよどんで、
主イエスの次の言葉を引きました。
「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長持ちする。」(マタイによる福音書9章17節)
足立さんが言いよどんだのは、
「古い革袋」という言葉が、多少ネガティブに解釈されることが多いためだと思いますが、
ここでは、ネガティブな意味合いよりも、もっと深い状況を言い当てているように思いました。

足立さんは続けて言います。
「たぶん、日本の文化のなかで、ゴスペルというのは、『新しいぶどう酒』なんだと思う。
それを、なんの配慮もなしに、これまでの日本の教会の礼拝につっこんでは、やはり『破れる』んじゃないだろうか。
そこは、慎重な配慮が必要だと思う。

そこで『新しい革袋』を用意する、というのも、ひとつの手段。
たとえば、ゴスペルは普段の礼拝ではなく、キリスト教を知ってもらうことを目的にしたコンサートや、若い人が多い夕拝(朝の礼拝に対して、夕方の礼拝)で用いるとか。
普段の礼拝で用いたいのであれば、
『証し』(歌の作者の個人的な体験談)をもとにした歌ではなく、
シンプルな『讃美』(神をたたえること)を歌ったものにして、
礼拝に出席している人たちに、歌詞について、十分に説明するとか。」

そこへ、足立さんの奥さんが補足をしました。
「教会でゴスペル・コンサートをすることになった場合は、
若い人たちだけで進めないで、
長くその教会を支え、信仰を守ってきた方たちにも、ゴスペルの歴史とか、目的とか、意味を、ちゃんと言葉で説明して、
音楽そのものを一緒に分かち合うことはできなくても、
『目的が果たされるよう祈りで支えてください』というふうに協力を求めてください。
そして、『支えてもらって当然』という態度ではなく、
素直に感謝を示すこと。
それでうまくいっている教会はたくさんありますよ」

これはnikkou、大いに反省を迫られるお話でした。

質問をしたのは、以前、ゴスペルに対して年配の方から「カルトを思い起こす」と言われたショックが尾を引いていたからなのだけれど、それよりもずっと大切なこと、まず、私は、ゴスペルを用いて、何をしたいのか、ということと、それをこれまで綿々とつながれてきたクリスチャンたちの想いと、どのように接続していくのか、ということを改めて考えさせられたのでした。
nikkou自身、ゴスペルを通して主イエスに出会ったということもあって、
ゴスペルへの思い入れが人一倍強い。
それゆえ、あまり配慮の行き届いていない部分があったかもしれない。謙虚さというか、礼儀のようなものが、十分でなかった。
広く視野をもって、ゴスペルも適切に用いながら讃美していこう、と思わされました。

(人間関係についても、示唆に富むお話がありましたが、それはまた、項をあらためて)。

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May 01, 2008

Lyreライブ@早稲田奉仕園

200804252039000_2 4月25日、早稲田奉仕園にて、nikkouの大好きな讃美グループ「Lyre(リラ)」のニューアルバム記念ライブがありました。(リラ公式ホームページ、コンサート報告http://www.wlpm.or.jp/life_st/concert/lyre/index.htm

早稲田は、nikkouの母校。
早稲田駅から早稲田奉仕園の教会まで向かう道のりをたどりつつ、卒業式の日を思い出しました。
あの日、この道を歩きながら、
「将来、早稲田の日々を思い出しても『思い出を美化しているのかもしれない』なんて思う必要はないぞ、4年間、本当に幸せだった!」なーんて思ったのでした。

ま、そんなわけで、ライブが始まる前からすでにちょびっと涙腺がゆるみがちだったのですが、
早稲田奉仕園の教会のなつかしいレンガ造り、黒光りする木の梁と、高い天井に響き渡るLyreの歌声がまた、素晴らしく、幸せなひとときでした。

Lyreは、日本基督教大学で結成した6人の讃美グループ。
現在、メンバー全員が牧師や伝道師をしている。
古典的な賛美歌でも、ゴスペルでもない、いわば「現代日本賛美歌」とでもいうような、オリジナルの、素直で美しい讃美の歌を歌うグループである。

大学を卒業後、メンバーは世界中にちらばり、事実上活動が休止状態であったものを、昨年末メンバーの一人である塚田献氏が、赴任先のブラジルから一時帰国したのを機に再結成、今回のニューアルバム、リリースとなった。
ライブの前日までレコーディングをしていた、とのことで、6人のうち1人が残念ながら体調不良で出られず、残りのメンバーもかわるがわる「もう、ぼろぼろです」と言っていたのだけれど、
どうしてどうして、
さすがに、レコーディング後ならではの、一致したハーモニーを聴かせてもらえました。

一曲ごとにはさまれるショートメッセージがまたよかった。
nikkou的にぐっときたのは、若林栄子さんが「ただひとつのこと」という歌によせてお話なさったこと。
若林さんは、Lyreの作詞作曲者のひとりでもあるのですが、
あるとき、ご自分の作った歌が、たくさんの人に歌われることに、「怖れ」を感じるようになった、と言います。
「たとえば、自分の作った歌が、神学的に間違っていたらどうしよう、それで、だれかに怒られたらどうしよう…って」。
会場を埋めた200人の聴衆はどっと笑い、nikkouも思わず笑いました。若林さんの歌はのびのびと美しく、とてもそんな話からは遠いように思えたから。
でも、同時に、「どきっ」ともした。
nikkouもこうやってブログを書き、ゴスペルのディレクションをし、教会の礼拝ではみんなの前でお祈りをする。
そんな中で、へんに人の目を気にしはじめると、「怖れ」が生まれ、「怖れ」は、ときに私をがんじがらめにして言葉を失わせ、またときには逆に誰かを攻撃する不気味で醜い言葉となる。
若林さんは言います。
「でも、わたしが言いたいことは、ただ一つのことなんだ。そう思い立って作った歌です。」

そうして5人のハーモニーで語りだされた讃美の歌に、
このときばかりはnikkou、人目憚らず泣くことのできるアメリカの黒人さんの文化がうらやましかった。
唇をかみしめて、ぐっと涙をのんでおりました。
そう、私がまず目をむけるべきは、主なる神。主を見つめているかぎり、縛られたり攻撃的になったりすることもない。

この歌のみならず、一曲一曲の完成度はとても高く、どこか懐かしい日本音階風の曲あり、心弾むクリスマスソングあり、歌詞もハーモニーも見事で、
今回のCDは、nikkou、たくさん買って配って歩きたいくらいだよ。

とくに5人のシンガーズそれぞれの、集中力が極まって、魂の深みにぐっと入り込んで歌っているとわかったその瞬間、
聴き手nikkouも、その歌の核にふれるように思いました。
ああ、これが讃美の基本なんだ、
どれだけ、歌い手が、その歌の核を実感として感じて歌っているか、なんだなあ、と
最高の讃美から、讃美の基本を再確認させられた思い。

Lyre、ニューアルバム、6月20日リリース。みなさま、乞うご期待です。
ライフ企画

ライブに行かれた方の感想↓(この方のブログのお写真に、nikkouが写ってる・笑。さ、どこでしょう。)

What Would Jesus Do?

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April 23, 2008

Precious Lord

先週水曜日の4月16日、手話讃美「風の音」で、メンバーが「この曲がすき」と、一曲リクエスト。
国分友里恵さんのCD「あなたもそこにいたのか」に収録されている新聖歌191番(聖歌557)「慕いまつる主なるイエスよ」を手話で讃美しました。

51r4mqto3al__ss500_ 原曲は、1938年作詞のゴスペル。トーマス・A・ドーシーの「Precious Lord」であります。

この歌が生まれたいきさつは、ドキュメンタリー'SAY AMEN, SOMEBODY'に詳しい。
なんとも、切ないお話なのだ。

トーマス・A・ドーシーは、ゴスペルの父と呼ばれた男。(左はnikkou愛聴CD「Precious Lord」。中央の横向きの男性がドーシー)。
ブルースのメロディに聖書のメッセージをのせ、
激しい差別と困窮のなかにいる黒人の仲間たちを励ます歌をたくさん作りました。
これが、今の「ゴスペル」のルーツになっているわけですが、
そんな「ゴスペル」が大ヒットしつつあったある日、
トーマス、ゴスペルをたずさえた伝道演奏旅行に出かけることになります。
そのころ、トーマスの妻は、臨月でした。
「旅から帰るころには、いいお母さんになってるね」なんて言いながら、
彼は愛する妻を家に残し、出かけたのでした。

ところが、その演奏旅行の最中、
トーマスのもとに電報が届きました。
電報を受け取ったトーマスは、気を失いそうになります。
「急いで帰れ、あなたの妻が今亡くなった。」

信じたくない思いに気も動転しながらようやく家にたどり着き、
彼は、最愛の妻の死という現実に直面します。
赤ん坊は生まれていた、といいますから、nikkouの想像ですが、おそらく奥さんは難産で命を落としたのだろうと思います。
しかしその赤ん坊も、2日で死んでしまいます。

トーマスは、すっかり力を失い、呆然と日々をすごします。
(彼は、それから50年を経た晩年になっても、振り返ってこう言います。
「友人たちは慰めになるような言葉をかけてくれたが、
私の心の慰めになる言葉はなにもなかった。
その日から、今日にいたるまで。」)

さて、妻子を失ってしばらくたったある日、2人の友人が訪ねてきました。
友人に、苦しい胸のうちを打ち明け、思わず「主よ」とつぶやいたトーマスに、
一人が言いました。
「そんなもんじゃ、だめだ。
愛する主よ(Precious Lord)って呼ぶんだ!」

そうして、彼の口からこぼれおちたのが、
あの名曲「Precious Lord(慕いまつる主なるイエスよ)」だったそうです。

この歌詞は、もう、すさまじい慟哭です。
息も絶え絶えに泣くばかり。

ところがその歌詞に比して、メロディは明るく、美しい。
まるで、泣きじゃくったあとにふと訪れる安らぎのような、
そんな不思議な感じのする歌です。なぜトーマスは、この壮絶な歌詞を、この美しいメロディにのせたのか。ひょっとしてそこに、トーマスの信仰が現れているのではないかとおもいます。

nikkou、歌うたび、なぜか、胸が痛くなります。悲しいのとも、感動とも違う、なんていうのかなぁ、えもいわれぬ共感、ことばにならない切なさ、嘆き悲しみを訴える相手のいる幸い、そんな感じ。

この歌、当時、はげしい差別の中で理不尽な思いに苦しんでいた黒人たちの大きな共感を呼び、
トーマスの代表曲の1つとなったのでした。

Precios Lord,take my hand
Lead me on,let me stand,
I am tired I am weak I am worn.
Through the storm, through the night
Lead me on to the light,
Take my hand,precious Lord,
Lead me home.

尊き主よ、わたしの手をとってください。
わたしを導いてください、わたしを立たせてください。
わたしは疲れました、わたしは弱り果てています、わたしはうめいています。
嵐の中、夜の中、
わたしを光へと導いてください
私の手をとってください、尊き主よ、
わたしをあなたの家へと導いてください。(nikkou私訳)

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April 20, 2008

ゴスペルが広まるまで

一年前、nikkouが今井館聖書講堂という無教会の施設で証し(イエス・キリストについてのスピーチ)をした「若者と語る信仰と現代」の記録が届きました。下記の形で購入できます。nikkouの証しも掲載されています。ご興味のあるかたは、ぜひどうぞ。

「女の視点で語る」

*******************************

Dscn0717 一冊700円(送料込み)

購入希望の方は、郵便局の払い込み用紙で下記にお願いします。

口座番号 00110-4- 141098

加入者名 今井館ウィークデイの集い

ご依頼人 住所 氏名 電話番号

      

通信欄には冊数をお書きください。

*******************************

証しの前に、リトルライトのメンバーで「This little light of mine」(わたしのこのちいさな光を)を讃美したのですが、
まあ、わりに好評を得、「無教会の人たちはゴスペルを聴いたことがない、って聞いていたけど、わりと柔軟なのね」と驚いたものでした。
ところが、今回、この冊子を見ると、シンポジウムの聴衆からの感想がいくつか載っていて、
そのなかに、ちゃんと(?)「違和感を感じた」という感想がありました。
まあ、そうだろう。
だいたい、ご高齢の方はそうおっしゃる。だから、それには驚かない。
ただ、ちょっとびっくりしたのは、
「かつて無教会から派生したあるカルト団体を思い出した、nikkouが、今後そのようなカルトの道に進まないよう祈る」という趣旨の一文があったこと。

8412902742qz7_2 今、少なくとも関東地方では、日本キリスト教団でも、アッセンブリー教団でも、バプテスト派でも、なかにはカトリック教会でもゴスペル・コンサートを行ったり、教会にクワイアー(ゴスペルの合唱団)を持っていたりしている。
ゴスペルがカルトなら、日本のキリスト教はすっかりカルト化していることになる。
ゴスペル発祥の黒人教会や、お隣の韓国の教会だって、讃美は熱情的だ。それをカルト的だと言ったら人種差別になりかねない。
もちろん、音楽的には好きじゃない、という人もたくさんいる。
でもそれは、「賛美歌って文語で意味わからないし、旋律も辛気臭い」という人がいるのと同じレベルで、単なる好みの問題だ。
信仰とはまったく別問題だと思う。

聖書でいえば、マリアムやダビデは踊り、イエスは、エルサレム入城の際、叫び喜んで迎えた人たちに、「彼らを黙らせれば石が叫びだす」とジョークを言った。
なぜこの方は、ゴスペルを聴いて、カルトと結びつけてしまったのだろう。

しかし、あとでふと、思い出した。
じつは、教会だって、つい5~6年くらい前までは、ゴスペルに対する風当たりは相当強かった。

001 nikkouが初めてゴスペルを歌ったオアシス・ゴスペル・クワイアーのオーナーだった羽田さんは、
ゴスペルスタジオを始めるというので、教会の人たちから激しく非難され、一時教会に通うこともできないほどだった、と聞いている。
そういえば、nikkouがゴスペルを始めたころ、スタジオの入り口に「飲酒は罪です」と書いたプリントが大量に積まれていて、
歌ったあと、仲間たちと飲み屋でごはんを食べるのを楽しみにしていたnikkouはいや~な気持ちになったものでした。
あれは、羽田さんの教会のひとたちのさしがねだったのではないかと思う。
しかし、やがてオアシスで主イエスに出会う若者が増え、羽田さんも教会にみんなを誘ったり、教会でのコンサートを企画したりするうちにわだかまりも解け、
オアシス解散後は、羽田さん、その教会でのゴスペル・クワイアーの立ち上げに尽力したそうである。

nikkouと同じ時期にクリスチャンになったTちゃんは、最初カルチャーセンターでゴスペルを知り、地元の教会に「おたく、教会でしょ? ゴスペルやってないの?」と乗り込んでいったというツワモノ。
やがてその教会で受洗、教会付属の幼稚園のお母さんたち中心のゴスペル・クワイアー設立にたずさわることになる。
ところが、牧師を筆頭に激しい抵抗にあい、まあ、Tちゃん、しょっちゅう疲れたり怒ったりしておりました。
ところが、いまやその教会は地元一のゴスペルの拠点となり、礼拝での讃美はもちろん、アメリカや韓国からゴスペルのスターたちを招聘、
その際の牧師のメッセージは聖霊に満ちたすばらしいものとなった、とTちゃんは断言する。

071014_14460001 nikkou自身は、というと、
まあ、あまりそういう苦労はしてないのね。
川崎教会は、牧師のティーチャー(←愛称)がゴスペルを歌う人だったから。
でも、ティーチャーがアメリカ留学からゴスペルをたずさえて帰国したときは、両親や、教会の人たちはだいぶ戸惑ったらしい。
しかしそれも、nikkouたちがゴスペルを通じてイエスに出会い教会に通い始めることで、すっかり見直して、
いま、みなさんリトルライトを熱心に支えてくださっている。

羽田さんも、Tちゃんも、ティーチャーも、よく戦ったなあ、と思う。
それはたぶん、彼らがゴスペルがカルト的なものじゃない、本物の福音だ、と魂で分かっていたから、
そして、自分たちの居場所、ホームである教会を愛していたから、できた戦いなんだと思う。
彼らは一様に、精神的にとても成熟していて、揺るがない固い信仰をもち、よく聖書を読み、とても祈る人たちだ。
「ゴスペルで得た信仰は一時的な感情におぼれた怪しいものだ」という周囲の思い込みを砕いたのは、
彼らの熱心な祈りと、真摯に聖書を学ぶ姿勢によるものだと思う。

さて、無教会の人たちに、今nikkouはそのような戦いをすべきか。
しばらく考えたのですが、まあ、ありえないだろうな、と思った。
まずはマイ・ホーム、川崎リトル・ライト・シンガーズを成熟させていかなきゃ。

でも、もし、20代、30代の無教会の人が、「自分の集会の礼拝でゴスペルを歌いたい!」「無教会クリスチャンの仲間を募ってゴスペル・クワイアーを作りたい!」と思い立ち、
また、よく祈ってそのように示されたなら、nikkou、協力を惜しみません。いつでもご連絡ください。
そのときには、一緒に祈り、聖書に学び、心のままに讃美することで、どんなに壁が厚かろうが、抵抗の風が激しかろうが、ともに乗り越えていくよ。
でも、nikkou自身が先陣を切ることはないので、君ががんばってください(って、誰に言ってるんだ、あたし?)。

(2008.4.20)

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April 19, 2008

演歌ゴスペル

nikkouの愛する讃美グループ、「演歌フレンズ」がCD二枚目をリリースしました。

Ekw002bこれまたまことに幸いだ 幸い小唄

本日4月19日は、久遠教会にて、発売記念ライブ。
前回の「讃美しよったら讃美しよ」ですっかり「演歌フレンズ」のファンになってしまったnikkou、
大いに期待して、ライブに駆けつけました。

祖父母から民謡を教えられつつ育ったというみゆきちゃん(ゴスペルピアニストでもあります)、
かつて中山大三郎に弟子入りし、吉幾三、前川清、堀内孝雄が大好きというアメリカ人ギルバート、
つい最近神学校を卒業、そういえばメッセージするときも突然中島みゆきを歌いだす京子ちゃん、
という三人グループ。

200804191727000みゆきちゃんの「朝目が覚めて、起き上がり、歩くことが出来るのは、あなたの恵みです。あぁ…、こんな私を生かしてくださって…涙がこぼれます」という語りが入る「朝ごとに」
京子ちゃんの「悪いわたしね 十字架で 赦されたのよ そうよ私は 愛され、赦され、生かされて」という歌謡曲テイストの「愛され、赦され、生かされて」
「前川清ふうに歌います」と、もう、物まねを越えた域で、「あなたに…あなたに 主イエスに逢いたい」と聞かせるギルバートの「あなたに逢いたい」…。
最初は大笑いしながら手拍子(もちろん、表打ち)で聴いていたのですが、
ふと気付きました。

リラックスする~~

そう、
以前父の実家に行った時、出されたきゃべつの白和えが、
有名なイタリアンの店や、高級中華料理の店で出された料理のおいしさとはまったく違ったレベルの旨さ、
いうなれば、「口にあう」「舌になじむ」という意味で、むっちゃくちゃ旨くって、
おもわずがつがつと大量に食ってしまったのとおなじ感触。
体のどこにも無理がない、
気楽で自然な心地よさを感じたのでした。

200804191748000 ふりかえれば、nikkouの実家で常時かかっていた音楽は、
小柳ルミ子の「いまさらジロー」や「おひさしぶりね」
欧陽菲菲の「Love is over」や橋幸夫の「いつでも夢を」でした。
(だからnikkouは、これらの歌をいまでもカラオケで歌えます)
母は吉幾三が大好きで、NHKで吉幾三が出ると、絶対チャンネルを変えてもらえない。
父は音痴だと母からからかわれるので、日曜日、テープをかけながら小声で「くちなしの花」を歌ってました。
そんな環境で育ったnikkou、好むと好まざるとにかかわらず、演歌や歌謡曲のリズムと節回しが自分の体のリズムと節回しになっていたのかもしらん。
なんだか、自分再発見。

200804191802000_2  京子ちゃんは言います。
「ふつうの演歌は、『わたし莫迦(ばか)よね~』とうたうのを聴いて、『そうよ、わたし莫迦よ』と泣いて、酒飲んで、寝ちゃいますね。
でも、演歌ゴスペルは違います。『わたしは莫迦だけど、神様は赦してくださる。わたしは人を愛せないけど、神様から力をいただけばできる』となる。
それって、ブラック・ゴスペルとおなじでしょ? わたしにとって、演歌ゴスペルを歌うのも、ブラック・ゴスペルを歌うのも、同じです。」

最初は、84歳になる自分のおばあちゃんに、福音を知ってもらいたくて演歌ゴスペルを始めた、というみゆきちゃん。
でも、演歌・歌謡曲的環境で育った30歳nikkouにも響きました。

200804191756000 考えてみれば、もっと早くにこういう讃美が生まれてよかったんだよね。アメリカの黒人さんも、さかのぼればヨーロッパの人たちも、自分たちの音楽で讃美をしてきたわけで、日本ばかり借り物の音楽で異国情緒を楽しみながら(まあそれもありだけど)讃美しなくったっていいわけです。ますます演歌フレンズが活躍してゆきますように。そして、今後は、三味線讃美や、民謡風讃美も出てくるといいな、と思う。

演歌のこぶし回しで歌った「ここも神の御国なれば」、天下逸品です。
みなさま、ぜひ御一聴を。

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April 18, 2008

一歩前へ

14日の久遠リハーサルは、えっちゃんがすでに入院。
nikkouとはんなちゃんがディレクション、そしてみゆきちゃんのキーボードとあいなりました。
みゆきちゃんは相変わらず「お好きなように♪」と、泰然としているし、
はんなちゃんは、
“「日々みことばに生きる」を持ってきました、あとはnikkouちゃんやってください。”と余裕しゃくしゃく。
nikkouばかり緊張でワナワナ。
そのうえ、その日は団交で(nikkouは、今年、組合の執行委員までやっているのだ。だいじょぶかあたし)、ヘトヘト。
緊張と疲労でイイ感じに追い込まれて、
nikkou、―ふっきれました。

はじめて、ハンド・マイク(マイクを手に持つこと)でリードしたよ。(今まで、スタンド・マイクに口を近づけて歌ってた)。
のみならず、はじめて、クワイアーが讃美しているうえに、MC(ことば)やリードを重ねる、ということをしました。
それがなに? とお思いかもしれませんが、
nikkou、変なところで典型的なニッポン人女子、「みんなと違うことをする」ということに、強烈な羞恥心を覚えるタイプだったのでした。
しかし、そんなことを言ってたらはじまらん、と初めて、一歩前へ出たといいますか、一枚むけてみたのでありました。

そしてなにより、今回、大発見だったのは、
「歌には、コードという仕組みがある」ということがわかったことであります。
先週、えっちゃんとみゆきちゃんに「コードを聴いて」といわれて、
「コードって何?」と、だいぶ前に購入した教本のホコリをはらい、先週一週間、キーボードを前にコードというものについて勉強したのでした。
それでようやく、“なんとまあコードを見ればハーモニーも転調もこんなにわかりやすいんだなあ”ということを理解したのでした。
日曜日の礼拝で、ティーチャー(川崎教会の牧師で、リトライのギタリスト&ソリスト)に、「コードを勉強しているんです!」と伝えると、
「コード、知らなかったのかぁ、道理で時々話が通じないと思った!」とあきれられながら、
「このコードが黒人音楽っぽい」とか「こういうふうに動くのがコードの基本」とか「この歌にコードでハモりをつけてみて」とか、
それはそれは勢いこんで教えてもらう。

で、久遠のリハーサルの前日、キーボードで、「神の国と神の義」のコードを確認、
いささか調子にのって、リハーサル当日、いきなり、テナーのハモりをつける、ということにチャレンジしたのでした。
ソプラノとアルトは、リトルライトでも歌っているので、なんとかクリアー、
さて、テナーは、となったとき…、当然といえば当然ですが、最初の音からしてわからん、という状況に。
クワイアーは止まってしまい、みんながいささか当惑顔に見守るなか、
みゆきちゃんの続ける伴奏のなかから、必死にコードを拾いあて、
おそるおそる歌いはじめ、やがて、みんなと一緒に、全パートで合唱したところ、
ハレルヤ…、ちゃんとハーモニーになっていた。
思わず、「できたーーー!」と叫んでしまいました。
みゆきちゃん…、じっと我慢して待っててくれたクワイアーのみんな…、ありがと…。

まあ、そんなわけで、突然、いろんなことが分かり始めた今日この頃です。
追い込まれて、発揮するタイプか、nikkou?

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April 08, 2008

というわけで、久遠から帰りました

みなさま、お祈り励まし感謝でした、ただいま、ディレクターの代打を頼まれていた久遠のリハーサル(練習)から帰還しました。

今日に至る一週間、いろいろありました。
まず、えっちゃんの手術の日程が延びた。
なので、今日のリハは、えっちゃんも来ることになりました。
んじゃ、えっちゃんがやるのか、と思ってたら、
「いや、私は補助だから。」とえっちゃん。
ふえ~、やっぱりHちゃんと、nikkou
がやるのか。

ところが、相棒のHちゃんから「用事があってお休みする」という連絡がくる。


いや、よかったよ、Hちゃんが来られないのに、えっちゃんは予定通り手術、なんてことになったら、nikkou一人で重圧につぶされていたかも。
主の助け。

一応、曲目は、久遠でやったことのあるワーシップ中心、と考えて、
「Oh give thanks」と「Prase the Lord with me」の二曲をたずさえて、リハの一時間前に到着。
「Oh give thanksは、みんな音分かってるし、だいじょうぶだよ」とえっちゃんに言われ、胸をなでおろすも、
「Prase the Lord with meのほうは、もうだいぶ前にやったからなあ、もう忘れちゃってるんじゃないかなあ」と言われる。

nikkou
「アルトしかわからないんだけど、3声教えて」
えつ 「nikkouちゃんの好きなふうに作っちゃっていいよ」
nikkou「好きなように…って、わからないよ」
えつ 「音きいてさ、これでハモるかな、みたいに。適当でいいから」
nikkou「…それじゃ、今日はこれ、やめます…」
…ハイ、逃げました。すみません。

そのかわり、ふと思い立って、武義和さんが教えてくれたノルウェーのワーシップをやることにする。
すると、こんどはみゆきちゃんとのやりとり。

み  「んじゃ、歌ってみて。ついてくから」
nikkou「えっと、じゃ、ユニゾンで…(歌う)」
み  「繰り返す?」
nikkou「え!? あ、じゃ、後半のここから繰り返して。」
み  「繰り返しはすぐ入る? 間奏いれる?」
nikkou「そ、それじゃ、すぐに…あ、やっぱ、間奏いれて…。」
み  「転調はする?」
nikkou「ええっ!? あ、じゃ、してください」


その横で、えっちゃん、ハモりをつけ始める。
うわ、うわ、ハモってる、とあわててると、みゆきちゃんから喝(かつ)が飛ぶ。
「リハ(練習)は録音して!」
あわてて、録音機のスイッチを入れる。

そして、えっちゃんとみゆきちゃんから、かわるがわる言われる。

「ディレクターの役割ってのはさ、とにかく、よく聴くこと」
「聴きながら、ハモリを考えて」
「楽譜を見ながらじゃなくって、伴奏を聴きながらコードをひろっていくの。」
「礼拝の賛美歌でも、適当にハモってみ。慣れだから。」
「あと、いろんなクワイアーのバージョンも聴いて」
「リハの録音もちゃんと採って、何度も聞き返して」
「あ、ノルウェーの賛美、シェアするときは、歌の背景とか、ちゃんと説明するんだよ」

そして、最後に、ふたりともにっこり笑っていう。
「きっと楽しいから。」

「いや、無理っす、nikkou、ゴスペルの専門家じゃないし」という思いと、「ほんとに、そんなことできたら、いいなあ」という思いが、激しくせめぎ合う。

そうこうするうちに、メンバーが集いはじめ、
始まってしまいました。

なんとか、1時間で2曲、無我夢中でディレクションをし、
必死でノルウェーの賛美をシェアしながら、 武さんのことを思い出して泣きそうになったりし、
でも、メンバーに伝わっているのかどうか不安になってすごい羞恥心に襲われ、
それでも、なんとか乗り切り、
後半1時間、えっちゃんにバトンタッチ。

えっちゃんの力強いディレクションにあらためて見とれつつ、
神様は、nikkouに、どのくらいの高みまで上っていくことを求めているんだろう、と思う。

今、道はふたつにひとつ、
逃げるか、食いついていくか、
どっちかな気がする。

リトライをはじめた時は、 正直、気安いものでした。
なにより、川崎教会でゴスペルやりたい、って気持ちが強かったし。
それが、いつのまにか、リトライでも、リトライの外でも、讃美をリードする位置に立っていた。

だったら、逃げるな、と
主に言われている気がする。

歌いたい歌の意味をさぐり、
よく聴きこんで、
ちゃんとハーモニーをつけ、
抑揚をつけ、
神様がnikkouに任せてくれたクワイアーやシンガーズを
ちゃんとリードして、
主に最上の捧げものをできるように、してみろ、と。

いまだに思うんだけどね、
なぜ、こんなことになっちゃったんだ? って。

でも、もう、進むしかない気がする。
進んだ先に、なにか良いものが、ある気も、する。

(2008.4.7)

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March 29, 2008

Come to Jesus 発売記念ライブ

東京では、桜が満開。思わず、メグ&ピアノ・コージの新曲「喜び叫べ」を口ずさんでしまいました。
「全地よ、主にむかい、喜び叫べ! 聖なる御名を、ほめた・た・え・よ!」
まさに、そんな感じ。

Mpk001 3月23日、イースターの午後、久遠教会にて、この曲を収録したメグ&コージ夫妻の新CD記念ライブがありました。
nikkouがゴスペルを始めたのは、コージさんがピアノを弾いていたクワイアー。ゴスペルの楽しさを始め、とかく多くを学ばされてきたおふたりです。

COME to JESUS/Meg&Piano Koji with New Vision Singers
曲目…1 overture-Come To Jesus 2 喜び叫べ 3 みことばに生きる 4 あなたの愛で 5 Thank you Lord 6 出来る! 7 あなたを愛します 8 新しいちから 9 愛する君へ 10 Come to Jesus

Dscn0710 ライブでは、CDに出演したSingersほぼ勢ぞろいでした。
Singersは皆、各地でクワイアーのディレクター(指揮者)をしている実力者ぞろい。抜きんでた歌唱力を誇る人々です。
歌唱力のみならず、何よりも、ゴスペルの歌詞をとても丁寧に歌う人たちだ、と感じました。
明瞭な発音や、聴きやすい強弱、一致したハーモニー…、「伝える」という意識がとても高いグループならではの表現力ですね。

コージさんもゴスペルを通じてクリスチャンになった一人。
現在も、芸能界で華やかに活躍するプロのピアニストですが、ゴスペルを通じてクリスチャンになった当初からしばらくは、「讃美は英語だ!」と思っていたそうです。
日本語讃美なんて、ダサい! そんなもの、歌いたくないし作りもしない! …と。
ところが、今回のCDはもちろん、前回のCD「JOY」も、すべて日本語歌詞。メグさんが作詞したものもあるけれど、コージさん作詞の歌もたくさんあります。
今回のライブで、コージさんは、なぜ日本語詞を作り始めたか、というお話をしてくれました。

きっかけは、あるときコージさんのもとに、ゴスペルを歌いにきたある女の子だったそうです。
深く心を病み、自殺未遂を繰り返していた、という彼女の心の重荷に触れ、コージさん、ひそかに泣かずにはいられなかった、と言います。

この子は、こんなにも一生懸命ゴスペルを歌い、主を讃美しているのに、なぜ、その心に主の愛が伝わっていないのだろう。
―どうしたら、この子に、主イエスのこと、神様のこと、伝えられるだろう。

主よ、主よ、…どうか、彼女を救ってください。

コージさん、祈りに祈り、悩みに悩んで、ごくシンプルで易しい日本語の讃美を作詞作曲したそうです。
(おそらく「主の御手の中で」という曲だと思います。nikkouも、昨年自分の結婚式の退場曲として、友人たちに歌ってもらいました。)
その歌をたずさえ、コージさん、彼女のもとを訪れました。
ところが彼女からは、
「たしかに、イエス様は素晴らしいと思う。神様もいると思う。でも、神社の神様も神様だし、お寺の神様も神様だと思う。わたしはひとつに決められない」
と言われちゃった、
といいます。

「それは、もう、しかたないよね。」
とコージさん、さらりと言っていました。

そう、しかたない。
nikkouも、何度もそう言われてきた。
あとは、神様の仕事だ。
自分にできることは、伝えること、それだけだ。

それ以来、コージさんは、次々と日本語詞の讃美を作るようになる。
伝えることが、一番大切な仕事だ、そう思うようになったから。

メグさんに言わせると、「作詞作曲中は、私にも入れない神様との密な関係の中にいる」そうです。

今回のCDでは、nikkouは、「みことばに生きる」が好き。
「となりのトトロ」みたいに、子供が大きな声で歌えそうな、元気で明るい讃美です。

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March 19, 2008

さらに、「試され」続ける

「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」

イエスはお答えになった。

「第一の掟は、これである。

『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽し、精神を尽し、思いを尽し、力を尽して、あなたの神である主を愛しなさい。』

第二の掟は、これである。

『隣人を自分のように愛しなさい。』

この二つにまさる掟はほかにない。」

(マルコによる福音書12章28~31節)

nikkouが2年ほど前から参加している久遠NuPraiseというゴスペルクワイアーのディレクター(指揮者)、えっちゃんが、肩を痛めて一か月お休みすることになりました。

というわけで、―nikkouちゃん、かわりにディレクターやってくれる?

…というお話が、先日えっちゃんから来る。

まじっすか。

nikkouともう一人、Hちゃんという、久遠NuPraiseのメンバーで、それこそ「賛美で伝道する人になりたい」とゴスペルの音楽専門学校に通う若い女の子と、ふたりでやってくれ、という。まあ、Hちゃんは、わかりますよ。でも、nikkou、音大も、音楽専門学校も出てませんけど…。

「ほかのクワイアーのディレクターさんに代打を頼むとか、考えなかったの?」と聞くと、えっちゃんいわく「そんなん、つまらないじゃん。それに、無茶ぶりはしてないよ。」

ええ、えっちゃんの人を見る目の確かさは、この5~6年の付き合いの中で、よーく実感しております。でも、ほんとに、だいじょうぶなのかなあ。

不安に思う一方で、これは勉強になるかもなあ、という気もしていたりする。ゴスペル・ピアニストみゆきちゃんの胸を借りられるわけですし、久遠のメンバーとは、もう長い付き合いなる人も多いから、暖かく見守ってもらえそうだし。ってなわけで、引き受けてしまいました。

「試され」続けております、nikkou。主が、否応なしに、どんどこ、道を開いてしまいます。まるで岩山にトンネルを掘り進む勢いであります。箱根登山鉄道開通であります。新幹線も走れそうです。(すみません、意味不明です。)

いいんでしょうか、このまま進んでも。

昨日はその打ち合わせ。

曲目や事務的なことを話し合った後で、最後にえっちゃんがお祈りをしてくれる。

「いま、Hちゃんと、nikkouちゃんと、ふたりの姉妹が、音楽奉仕者として、御前(みまえ)に立たされましたこと、感謝します。ますますあなたが、ふたりをお用いくださいますように。」

…音楽奉仕者。とうとう。いや、いつのまに。

趣味で始めたゴスペルから、とうとう、ここまで歩んできてしまったよ。

しかし、ディレクター=奉仕者、という発想は、ゴスペルならではですね。

リードする者でありながら、仕えるもの。

ただの「リーダー」になれ、というのなら、nikkouも引き受け兼ねるけれど、仕えよ、というのならば、まあ、なんていうか、神様からのお仕事だからね、やるべきかなあ、と思ったりする。

やれるところまで、「心を尽し、精神を尽し、思いを尽し、力を尽して」みようと思います。それが、nikkouなりの、神を愛する方法であります。

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Holy Noise ご報告

200803141847000 ご報告遅くなりました。

Holy Noise、無事終了いたしました。

たいへん華やかなコンサートとなりました。

まだ集計中で、正確な数字ではないとのことですが、

ディレクターのまりささんの報告によりますと、

3/14の動員数 964名

指定席 476名 / 自由席 440名 / 当日  48名

スタッフ&出演者 170名

コンサートの収益金以外の

見に来られたみなさんからの献金の合計

当日募金箱 55,293円

出演者からの募金 31,500円

合計 86,793円

とのことです。

みなさま、ご協力、お祈り、ありがとうございました。

会場となりました文京区シビックセンターは、とても音が反響するホールで、客席のほうから、クワイアーの声が響いてくるような感じがしました。それなのに、自分の周囲のクワイアーの声が聴こえない、という、なんともこころぼそ~い環境。おかげで、ディレクターの指揮と、自分のこれまでの練習だけが頼り、という、まさに「歌い手として自立する、という決意を試されている!?」という状況に追い込まれてしまいました。

…今回の自分の歌、点数をつけると…、うーん、60点。いや、もっと低いかも。

歌詞と音階に必死になってしまって、表現まで気が回っていたかどうか。まだまだ練習が必要であります。

ただ、一曲、「When I think about the Lord」(主のことを想うとき)という歌だけは、もう、大好きで大好きで、練習のときも、つい、ぐっときてしまうという歌なので、歌詞と音階はもちろん、ハートもこめまくって歌えた気がする。…ということは、一曲一曲、うんと好きになれば、ハートも込められるのだろうか。

課題であります。

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March 10, 2008

もう、趣味は卒業。

3月9日(日)は、リトルライトのリハーサル後、
ルワンダへのチャリティ・コンサートである「Holy Noise」のリハーサルに、シャロームへ。
午後7時半から10時まで、みっちり歌ってきました。

今日のリハーサルで、nikkou、ようやくHoly Noiseの全貌を理解しました。
クワイアーが歌うコンテンポラリー・ゴスペルにのせて、
ダンスチームがヒップ・ホップとかブレイク・ダンスを踊るShowなわけね。

目の前で舞い踊るダンスチームに、
すごいなあ、日本人って、こんなにヒップ・ホップとかブレイク・ダンスとかができるようになっちゃったんだー、とあっけにとられました。
ヒップ・ホップやR&Bがお好きな方、きっと楽しいので、ぜひいらしてください。

今回のHoly Noise は、nikkouの、ゴスペルに対する認識を大きく変えました。
というのは、
最初、ヒップ・ホップやR&B系のコンテンポラリー・ゴスペルで、わいわい歌ってお金を集めて、ルワンダへの「チャリティ」だっちゅうのは、
いささか、不謹慎なのではないかしら、と思っていたのであります。
ところが、
リハーサルを重ねるうちに、
違う、そうじゃない、と気づいたのであります。

振り付けのYOUさんの、華麗なダンスにみとれ、
ディレクターまりりんの見事なソロを聴きほれていると、
これなら、お金をいくら払っても惜しくない、
いいものを見せてもらい、聴かせてもらえてよかったなと思う。
YOUさんやまりりんや、その他、大勢のミュージシャンが、
自分の持てる最大の力を尽くしている。

逆に言うと、
趣味の集団が素人くさいへたっぴな歌を適当に歌って、
「まあ、チャリティだからこんなもんかな」なんてお客さんに思わせちゃったりしたら、
それこそ不謹慎、それこそ偽善だ。

真剣に練習して、クオリティを高めて、ちゃんとShowとして成立させなければ、お客さんにもルワンダの人たちにも、そしてゴスペルを捧げる主に対しても、失礼だ、って思うようになったわけであります。

で、nikkou、つくづく思いました。
趣味で歌って、自分だけ癒されて、
「すっきりストレス解消ああいい気持ち」っていうゴスペルは、
もう卒業しなきゃ。
謙虚に努力して、ちゃんと自分の信仰をゴスペルにのせて、的確に表現するテクニックを身につけなきゃ。
神様と隣人とに、共感と感動をもって聴いてもらえる歌を歌えるようにならなければ。
それが、ゴスペル歌いつづけて5年目のnikkouへの、神様からの課題ではないか、と思う今日この頃なのであります。

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February 21, 2008

豊饒の手話

弱い者でも 強いと言える
貧しい者でも 豊かだと言える
見えない者でも 見えると言える
それが 主イエスの なされた みわざ

ホザナ ホザナ 神の小羊
ホザナ ホザナ よみがえりの主
(「よみがえりの主」"What the Lord has Done in Me"~ Reuben Morgan)

今週、手話讃美「風の音」で教わった讃美。
もともと洋楽だったものを、日本語に翻訳したものらしい。
健聴者としてメロディに乗せ歌ってみると、
最初の「弱い者でも~」の部分にうるっとくるんだけど、
手話だけで讃美してみると、
なんと、
「ホザナ ホザナ」に感動するのだ。

「ホザナ」というのは、イエスが地方都市を巡回した後、イスラエルの首都エルサレムに入城した際、
彼を歓迎して、群衆がなつめやしの枝を振りながら叫んだ、という言葉。
「おお、救い給え」という意味です。
(ちなみにルカ福音書では、このとき「あいつらを黙らせろ」という宗教指導者に対し、イエスが「この人たちが黙れば石が叫びだす」と言い返します。nikkouは、これは、イエスのジョーク、ユーモアだと思ってます。)

「風の音」の「ホザナ」という手話は、
なつめやしの枝をふる仕草から転じて、
両手で大きな旗をふるような手話をします。
まるで、応援団旗か大漁旗をば~たばたふる感じ。
われらが師匠Tさんがやると、文字通り、「風の音」が聞こえてくる。ごぉぉ…ごぉぉ…バータバタバタ…って。
そして、その風を正面に受けて、白い亜麻布をまとった男がすっくと立ち上がるのが目に浮かびますね。
手話、すごい。
まさに、豊饒の言語表現。これは、歌ではなかなか描けない「ホザナ」であります。

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February 20, 2008

ルワンダのためのチャリティコンサート

ルワンダの孤児支援のためのチャリティコンサートが開催されます。映画「ホテル・ルワンダ」で涙した身としては、参加しないわけにはいきません、nikkou、微力ながら歌います。ぜひおいでください。

━━━━━━━━━━━━━━━
3月14日(金) 2008 HOLY NOISE Vol.6
ダンス&ゴスペルコラボコンサート
============================

■日にち 2008年3月14日(金)
■時間  開場 7:00pm  開演 7:30pm
■会場  文京シビック大ホール
文京区春日1-16-21 03-5803-1100

http://www.b-civichall.com/

■入場  指定席 ¥3,000
  自由席 前売 ¥2,500 / 当日 ¥2,800
HOLY NOISE Vol.6 指定席/自由席 TICKET購入については

こちら↓

http://marisak.at.webry.info/200802/article_5.html
(座席表など見れます)

■お問合せ:チケットは、新宿シャローム教会内
      ホーリーノイズ事務局 03-3363-6493
      または、shalom.gosministry96(at)gmail.com まで

◆~プロデュース~◆
☆Gospel=黒澤 まりさ(新宿シャロームゴスペルミニストリー)
96年相模原米軍基地でゴスペルと出会って以来、シンガーズ、ソロシンガー、さらにはクワイヤーディレクターとその活動の幅を広げ活躍中。
日記ブログ
http://blog.goo.ne.jp/marisa050520maria_luisa
コンサートブログ
http://marisak.at.webry.info/

☆企画/演出/振り付け=You
2002年よりHoly Noiseをスタート。企画・演出を手がける。
m-floバーバル等の振付担当、現在はチャーチスクールやスポーツクラブにて
Jazz.Hiphop.Latinなど幅広いダンスのジャンルを指導。
HP http://www.jesuscom.net/you/index.php
ブログ http://blog.goo.ne.jp/dance4christ

☆新宿シャローム教会 Music Director=山本 夫実
リビングプレイズ歌集掲載曲の訳詩、ゴスペルピアニストなど、日本の新しい賛美の定着に貢献。
教会の音楽ディレクターとして、幅広い活動を展開中。

◆~出演~◆
☆ GOSPEL ☆
「Holy Noise Mass Choir 」

多数のゴスペルクワイヤーの有志で構成されています。
心と声の一致。ゴスペルのダイナミズムをお届けできればと思います。
☆ Musician ☆
LoveHim 岩田 峰親(シンガー、クワイヤーディレクター、ピアニスト)

フロリダで行われたアメリカ最大規模のワークショップGMWAでソリストを担当。
2004年 Kaz Katoの2ndアルバム “Pray In The Spirit”に参加。2005年Love Him Firstを結成。
名古屋を拠点にクワイヤーディレクター、ゴスペルピアニストとして活躍中。
HP http://www.geocities.jp/lhfgospel/
ブログ http://lovehim.at.webry.info/200801/article_1.html

星山 哲也(Drum/Per)
ツーバスを駆使したテクニカルなプレイスタイルが話題になっています。
劇団四季ミュージカル「ライオンキング」にPercで参加。
浜崎あゆみ、宇多田ヒカルほかのサポートや録音、CMなどでスタジオミュージシャンとして活躍中。
2006年11月より、自分のバンド「TRIVAL ROCK ORCHESTRA」を始動して積極的に活動しています。
http://www.tetsuyahoshiyama.com/

SHABADABA(E.Bass/W.Bass)
キムゴードン、マーティーブレイシー等内外のアーティストと共演多数。
SOULとGROOVEをこよなく愛し、作詞作曲、編曲をもこなすマルチベーシスト。
Seeds/Shalomのライブには欠かせないアーティストです。

木村 徳行(パーカッション)
8歳でSANTANAに影響を受けてラテンパーカッションを、12才でドラムをはじめ、現在はESPミュージカルアカデミー講師のかたわら、数々のミュージシャンのサポートや若手の育成に活躍中。

☆ Dance ☆
BREAKIN'=Feeling Of Soul

BREAKIN'を中心にフリースタイルやエンターティナー性を重視した独自のスタイルは必見。
Gachtの振付、バックアップダンサーなどで構成されたチーム

HIP HOP=7 Pieces
このライブのために編成された男性4人、女性3人のユニット。
スポーツクラブの現役インストラクターがここに集結します。

Latin=新垣 幸三
2005年プロデビュー。イギリス選手権に出場等、国内外で活躍中。

ダンスチーム
SHALOMタンバリンチーム、JESUS FAMILY,NEW HOPE JAPAN DANCE TEAM,
JDM HIPHOP,エアービートクルー,WESTAND その他多数出演。

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January 29, 2008

パラサイヨ・ゴスペル2008年

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1月26日(土)、フィリピンの孤児院のためのパラサイヨゴスペルコンサート、無事終了しました。

Photo by NOG

お客さんは、8割9割がノン・クリスチャン、もしくはゴスペルを初めて聴く人、と聞いておりましたが、なるほど、そうなんだろうな、と舞台上で客席を眺めつつ思いました。

5512810045qz2 というのも、

ゴスペルファンの多いコンサートでは、歌が盛り上がると

クラシックの「ブラボー」にあたる場所で「ハレルヤ!」(ヘブライ語で「主を讃美せよ」という意味)の声があがり、

ゴスペルファンでなくとも、クリスチャンの多いコンサートでは、

リーダーがスピーチをすると、「アーメン」(ヘブライ語で「そのとおり!」という意味)の声が、大きく小さくあがったり、拍手がおこったりするものですが、

今回は、とても静かな雰囲気だったのでした。

しかし、それは決して悪い雰囲気ではなく、

むしろ、キリスト教というモノの考え方、ゴスペルという歌に、

興味深く耳を傾けている空気が、ひしひしと伝わってきたのでした。

521290334qz7後半のワークショップ(客席参加)では、

みんなで大きな声で、「shake the foundation(地面を揺らせ)」と「大切な人」を歌いました。

リーダーのまりりんも、

ゴスペルファンの多いコンサートと違って、慎重に言葉を選びつつ、

「むかし、ふたりの男の人が、なにか犯罪をしたわけでもないのに、捕まって牢屋にいれられました。みなさんはどうしますか? 鍵を盗んで、脱獄する? でも、ふたりは、そうしなかった。なんと、歌ったんです。すると、地震が起きて、鎖は解け、牢屋から逃げられたのです。そんなお話を基にした歌です。」

と、噛んで含めるように解説。

そう、聖書に親しんでいる人ならよく知っている、パウロとシラスの話であります。

こういうコンサート、必要だなあと、つくづく思いました。5412810045qz1

ゴスペルファンではないけれど、ゴスペルに興味があるという人が、いきなりディープなコンサートに行き、「ハレルヤ!」の洪水に飲み込まれると、取り残されたような、寂しい気持ちになることもあるでしょう。また、歌うほうも、ゴスペルファンだけ、クリスチャンだけ固まっていたら、視野が狭くなっちゃいそうです。ディープなコンサート、nikkouは個人的には大好きだけどね。でも、裾野を広げていくためには、いろんなコンサートが企画されてしかるべきだと思いました。

今回のコンサートで、ゴスペルを歌いたくなった方、ぜひ、一緒に歌いましょう。本当にいろ~んな個性のクワイアーがあるので、ぜひ、好きなクワイアーを見つけて仲間になってください。

写真で羽織っているのは、フィリピンの孤児院の子どもたちが作ってくれたショール。

子どもたちが歌う人全員のために100枚以上も作ってくれました。

チャリティによって一方的な施しを受けるのでなく、子どもたち自身も何かの形でコンサートに参加して、それによってお金を得る、という形が、彼らの尊厳のためには、とても重要なことなのだそうです。

ご覧の通り、本当に美しい、素晴しいショールです。

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January 19, 2008

パラサイヨ・ゴスペル2008

あなたのために 今できるのは

たったひとつ うたうこと

心の叫び 時を祈り

命のすべて 捧げるまま

(This song is for you)

来週、1月26日(土)に

ゴスペルのチャリティ・コンサートが開催されます。

コンサートの収益金は、フィリピンの孤児院に、子供たちの学費として

寄付されます。

nikkouも歌います。

ぜひいらしてください。

ホームページ パラサイヨ・ゴスペル2008

PARASAIYO GOSPEL CONCERT 2008
(パラサイヨ ゴスペルコンサート 2008)

主 催 PARASAIYO (パラサイヨ)

日 程 コンサート 2008年1月26日(土)
     開場 15:30  開演 16:00  終了 18:30

会 場 こまばエミナースホール
東京都目黒区大橋2-19-5
井の頭線駒場東大前駅より徒歩3分

今日はそのリハーサルでした。

コンサートで歌う1曲、「This song is for you」を歌って、

ああ、これぞゴスペルだ、と思ったね。

「あなたのために、いまできるのは

たったひとつ うたうこと」

「あなた」とは、なによりもまず主なる神であり、

そして、フィリピンの孤児たちであり、

われわれの歌を聴きに来てくれる人々である。

「パラサイヨ・ゴスペル」は数年前から恒例となっている

チャリティ・コンサートで、

2005年の初回は確か、

nikkouがはじめてゴスペルを教わったオアシス・ゴスペル・クワイアーの

解散コンサートでもありました。

オアシスの仲間が、フィリピンの孤児院の支援団体「パラサイヨ」と

知己を得て始めたのでした。

以来、毎年、ゴスペル仲間たちが協力して、毎年行っています。

チャリティコンサートなので、「ゴスペル」どころか、

キリスト教の「キ」の字、神様の「か」の字も興味のない人、

知らない人も、大勢聴きに来てくださるとのこと。

だからなおのこと、

「あなたのために今できるのは たったひとつ うたうこと」なのであります。

nikkouは、強引に人を礼拝に誘ったり道端で聖書を説いたりするのは

あまり好きではないのですが(自分がされて、非常に不愉快

だったから)、ただひとつ、こころをこめて、

だれかにイエスの語ったこと、イエスのしたことを伝えるとしたら、

歌うことなのです。

自分自身、ゴスペルを通じてイエスに出会い、いまもなお、ゴスペルに

助けられているから。

パラサイヨという支援団体も、

(こんな言い方をしては口はばったいのですが)

当初出会ったときより、はるかに成熟してきたようにみえます。

“わたしたち、フィリピンの孤児院に寄付ができてよかったねー”

だけでは済まされないフィリピンの子供たちの状況

―孤児として差別されて、就職もままならず、絶望の淵にいる彼ら―

を見据え、

祈りのなかで、できるかぎりのことを謙虚に進めていこうという意志が

強く表れた、賢明なひとたちの集まりのように思えます。

(活動内容については、こちら「パラサイヨ公式ホームページ」)

心の限り、歌いたいと思います。

チケット残り僅少です。

ご興味のある方、お急ぎください。

ホームページから購入できます。

(2008.1.19)

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January 01, 2008

今年もよろしく

創世記1章31節
神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった。
(新共同訳)

ヨハネによる福音書1章16節
わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。
(新共同訳)

200801011048000

新年にふさわしい美しい朝ですね。

昨夜は、相方が宿直だというので、
同僚をさそって、シャローム教会のカウントダウンライブに。
6グループが出演。
紅白歌合戦、讃美編、といったところでしょうか。
ロック系が多く、なるほど、ロック少年がクリスチャンになったら、急に坊ちゃん刈りにしてバッハとメンデルスゾーンを聴き始めるんじゃなくって、そのままロックで主を讃美するんだなあ、と感心する。

nikkou的には、「the Miracles」というおじさんロックバンドが一番気に入ったので、CDを買いました。
40代、50代になっても、ロックとかジャズとかソウルとかのバンドをやってるおじさん、好きです。
でも、なんでバンドというと、"おじさん"なんだろうな。
40代50代の女性バンドってのは、なかなか見ないよね。
これがコーラスになると"ママさん"なのにね。

200712312021000
日付をまたぐ12時前後には、
nikkouも所属するシャローム・ゴスペルクワイアーとシーラブ・ゴスペルクワイアーで、
「Count it all joy」(すべてを喜びとせよ)
「詩篇103編」
「Jesus is the reason of the season」(クリスマスシーズンはイエスのためにある)
を讃美し、
カウント・ダウンと、「今年もよろしく~」という挨拶のあとに、
「Shake the foundation」(讃美で地を揺るがせよ)
「Joy」(コージさん・めぐさんの名曲)
で、新年を迎えました。
楽しかった。

今朝は、さっそく、スタディ・バイブルで「創世記」と「ヨハネ福音書」を2章ずつ読む。
なんていうか、初詣気分ですな。
明るい気持ちになりました。

大掃除の続きでもしながら、相方が宿直から帰ってくるのを待とうかと思います。

みなさま、今年も、「恵みの上に、さらに恵みを受け」られますように。
今年もよろしくお願いします。

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December 23, 2007

トラメイン・ホーキンス ゴスペルコンサート

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昨夜は、トラメインホーキンスのゴスペルコンサートでした。
とりいそぎ、ご報告だけ。

トラメインホーキンスについては、「久遠Nu Praise」ホームページを引用します。

アメリカゴスペル界の偉大なボーカリストの1人レディ・トラメイン・ホーキンスは 1968年に、「Oh, Happy Day」のエドウィン・ホーキンズ・シンガーズに加わり、 ウォルター・ホーキンズ&ラブセンタークワイアのアルバム「Love Alive 」シリーズや 70.80年代のホーキンスファミリーのリードヴォーカリストとして一躍有名になった。

また、ソロアルバムもヒットを重ね、"Fall Down (Spirit of Love)"は初めてダンスチャートで
ゴスペルソングがチャートインし、今日のコンテンポラリーゴスペルリズムのドアを開くきっかけとなった。
2つのグラミー賞、2つのDove賞と2つのCommunications Excellence to Black Audiences (CEBA)賞 を
獲得し、1999年には、インターナショナル・ゴスペル・ミュージック栄誉殿堂入りを果たした。
2007年、世界のトップアーティストを擁するZomba Recordsから9枚目となるソロアルバム
「I Never Lost My Praise」をリリース。
2007年クリスマス、初のジャパンツアーとボーカルワークショップを行う

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今回、初来日となるトラメイン、ピアニストさんが飛行機に乗り遅れるなり、連絡がつかなくなる、というハプニングに見舞われ、どうなることやら!と驚きましたら、われらがディレクターのえっちゃんいわく「コンサートのことは全然心配してないの。だって、ゴスペルコンサートでしょ、神様がどうにかしてくださるし。
(実際、われらがピアニスト、みゆきちゃん、piano Kojiさんの活躍で、すばらしい伴奏がつきました。)
だから、わたしたちが祈るべきなのは、ピアニストさんの安全と、トラメインがきっとナーバスになっていると思うから、その心の平安」
ふむ。なるほど、であります。
(その後、無事、ピアニストさんとは連絡がつき、昨夜、無事来日とのこと。)

さて、リハーサルに現れたトラメイン、「ナーバスになっている」と思われておりましたが、どっこい、たいへん落ち着いている様子、華やかで、キュートで、そして、聞きしに勝る、すばらしい「天使のソプラノ」でありました。
nikkou、「hu~~~~~~~~~」という声だけで、鳥肌が立ったのは初めてであります。
オペラのきーんと響くソプラノとはまったく違う、玉を転がすような、とか、絹のような、という陳腐なたとえが、本当にそうとしか言えないような、まろやかで、なめらかな高音、
それが、どこにも力みがない、華やかな笑顔とともに、ふんわり響くのであります。

コンサートでは、「Amazing Grace(アメージンググレイス)」
「Jesus oh what a wonderful child(イエス、なんて素敵な子・クリスマスソングです)」の2曲と、
ふいに思いついた、とかで「Can't nobody do me like Jesus(イエス様ほどのことをしてくれた人はだれもいない)」(リハーサルもなかったけれど、突然!奏楽のふたりも、クワイアーも、トラメインの賛美の波にのまれて、元気に賛美!)
そして、クワイアーとともに、
「I never lost my praise(私は讃美だけは失わなかった)」
「 Oh happy day(オーハッピーデイ)」
「Changed(私は変えられた)」の3曲を賛美しました。

美しいのみならず、
「わたしは、エンターテイメントとしては歌いません、
神様のため、
そしてみなさんに、神様のことをお伝えするためだけに歌います」
と言うように、
地に足のついた、深い深い讃美に、
nikkou、生まれて初めて、舞台上で、嗚咽をこらえるという経験をしました。
あんなにも素晴らしい「Amazing Grace」、一生忘れません。

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December 18, 2007

クリスマスイブは教会でゴスペルを

みなさま、ご無沙汰しておりました。
いよいよ、クリスマスです!

川崎リトル・ライト・シンガーズのクリスマスキャロルを聴きたい、という方、ぜひ川崎教会へおいでください。

*高田英語学園、日本キリスト会川崎教会のクリスマス・イヴの集い
12月24日(月)5:00p.m.~6:45頃

楽しいクリスマス・イヴの集いです。内容は、キャンドル・サーヴィス、クリスマスの讃美歌とミニ・コンサート、お話し、お祈り、そしてティー・タイムです。
ご家族の皆さん、お友達もどうぞご一緒に!!

+日本キリスト会川崎教会 川崎市川崎区本町1-4-13

JR川崎駅下車徒歩12分、
川崎地下街アゼリア39番出口より徒歩7分
京急川崎駅下車徒歩7分

リトルライトは
☆Go tell it on the mountain(世界に告げよ・古い黒人霊歌)
☆Oh holy night (さやかに星はきらめき・讃美歌)
☆おひさまのうた (ハイジの賛美歌)
☆We wish you a merry Christmas (ウィ ウィッシュ ユー ア メリークリスマス・子供のためのクリスマスキャロル)
4曲を歌います。

この日は、ほかにも素敵なクリスマスソングがたくさん聴けて歌えます。
nikkouのおすすめは、牧師の奥さんとお友達のトリオ。
某キリスト教系女子大時代に結成、
学長のA・献先生も大ファンだったという名トリオが、川崎教会のクリスマス限定で復活します。
歌が上手なのはもちろん、温かくやわらかく、喜びにあふれた素晴らしいトリオです。

23日には、クリスマス礼拝もあります。(10:30~)


クリスマスはいちゃいちゃする日ではありませーーーーんっ! (←nikkouがオアシスゴスペルクワイアに所属していたとき、ディレクターのひろこちゃんが、クリスマスリハーサルで絶叫した名セリフ。ちゃんと録音を採ってあります。)
そして、2億円のクリスマスツリーをめでる日でもありませーーーんっ

川崎教会のクリスマスイブはちいさな赤ちゃんから、お年寄りまで、
小さな小さなろうそくの火を囲んで、
「イエス・キリストが生まれてくださってよかったね~」としみじみ喜ぶ、こころがほっとするひとときです。
ぜひ、おいでください。

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November 12, 2007

イエズス会でゴスペルを歌う

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11日、日曜日、カトリックのイエズス会修道院のなかにある、退職した神父さんたちのお住まいで、ゴスペルを讃美してきました。

まあ、ノンクリスチャンの仲間たちや、わたしのようにあまり教派に興味のないクリスチャンからいうとどうでもいいことではありますが、
一応解説しますと、ゴスペルとは、アメリカ南部の黒人教会発祥のプロテスタント音楽なのであります。
だから、修道院のなかでゴスペルを歌うというのは、ちょっとめずらしいことのようです。
たしかに、ゴスペルを歌うのは、プロテスタント教会がほとんどです。
でも、日本でゴスペルが流行り出したのは、カトリック教会を舞台にした「天使にラブソングを」でありました。
また、nikkouのゴスペル仲間にはカトリックの友人たちも何人かいるし
三軒茶屋教会のようにゴスペルの練習会場になっているカトリック教会もあって
要は、主を讃美するのに、教派は関係ないのだと思っています。

さて、nikkouが到着したとき、すでにコンサートは始まっていて、中盤から参加することになりました。
かなりのご高齢の方が多いと聞いていましたが
たしかに、最前前列の方は車椅子でした。
そして、ほとんどが、外国から日本に伝道にいらした方たち。
長年、日本での伝道に尽くし、今、日本でその余生を送っておられるということです。
何十年ものお仕事を終えて深いしわの刻まれたお顔を、
天に向け、眼をつぶり、仰ぐようにして聴いておられる神父さん、
腕組みをして、うんうんうなずいておられる神父さん、
終始にこにことわたしたちの顔を見回しておられる神父さん、
ピアノ演奏を熱心にみつめておられる神父さん、
ふらりと入ってきては、ふらりと出て行かれる神父さん(認知症で、徘徊中だとか)、
みな、それぞれの想いのなかで、聴いておられる様子で、
思わず胸があつくなりました。

「Psalm89」「Total Praise」「目をあげて」「Until we meet again」「Joy」と、アンコールで「大切な人」を讃美。

一曲終わるたびに立ち上がって、「ブラボー!」とすばらしい巻き舌で歓声を送ってくださった神父さんは、スペイン出身。
200人の聖歌隊を指揮していたこともあるのだ、
とコンサートのあと、わたしたちに「アーメン・ハレルヤ」という歌をシェアしてくださって、
見事に指揮をしてくださいました。
そして絶えずジョークを言い続けてみんなをおおいに笑わせてくれました。
「みなさん、がんばってくださいね!」
「神父さまも。」
「あたしは、これ以上がんばったら、死んじゃうから、がんばらない」
だそうです。
最後にひとりひとりを暖かくハグして、見送ってくれました。(写真はそのとき撮ったもの。ちょっとわかりにくいけど)

あとで聞いたところでは、この神父様、わたしたちの顔を見るなり、
信徒を牧会していた日々を思い出したのか、急にかくしゃくとなり、
ユーモアたっぷりにもてなしてくださったのだそうで、
普段は、すっかり霞の中に沈んだようになっておられるとか。
あの陽気なご様子からはちょっと信じがたい気がします。
この日が、お互いよいひとときとなってとてもうれしく思います。

「また来てください」と何人もの神父さんたちから握手を求められました。
また行きたい、と心から思います。

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October 15, 2007

川崎リトル・ライト・シンガーズ、コンサート、感謝のうちに終了

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リトルライトのコンサート、無事終了いたしました。
聴きに来てくださったみなさま、
お祈りにおぼえていてくださったみなさま、
ありがとうございました!

よちよち歩きを始めたばかりだったシンガーズが、
不思議と守られて、結成後1年に、ふたたび小さなコンサートを開くことができました。
今回は、一年前の結成コンサートの時と違って、
たくさんの方が聴きに来てくださいました。
ちらしや、ブログや、ホームページで知ってくださった方、ソウルシンガー誠先生のお友達、そして、nikkouの友人たちも、たくさん駆けつけてくれました。
たくさんの出会いが与えられたこと、心から感謝です。

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コンサートは、まこと先生のギター弾き語りで始まりました。
誠先生に、ゴスペルの基本中の基本、イエス様とはだれか、ということをお話してもらったところで、
リトライ、Steal away(イエスのもとに逃れていこう)のアカペラからスタート。
ふるーい黒人霊歌だけれど、歌い継がれてきた重みと深さをもった名曲なのです。
歌うにつれて、会場がきゅーっと集中していくような感覚がありました。
(写真は、相方が携帯電話で撮影。だからちっちゃいの。)

そして、This little light of mine(わたしのこのちいさな光を)。
リトライのテーマソングです。
みんな手拍子で答えてくれて、ほんとうれしかった。

Amazing Grace(アメージング・グレイス)では、真ん中あたりに座っていらしたおじさんが、目を閉じて天を仰いでいるのが見えました。
(このおじさん、始まる前、「どんなものか、聴かせてもらいますよ」なんて、こわーいことをnikkouにおっしゃった方だったのでした。)
誠先生のソロも、ソウルフルで、一気にブラックな音に。

Down in the river to pray(川辺に祈りに行こう)は、アカペラで転調する、というチャレンジングな曲だったにも関わらず、リトライ、声も心も一致して難関をクリアーしました。

さらに、今回のゲスト、武義和さんが教えてくれたSeak ye first(神の国と神の義)を、会場にもシェアしてみんなで賛美。舞台のほうが圧倒されるほどの大きな歌声でした。

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ここで、ゲスト、武義和さんの賛美タイムに。
まずは、ノルウェーのさわやかでおおらかな讃美「デュー・アール・コンゲ」(イエス、あなたは王)からでした。
華麗なピアノと、スウィートな歌声に、会場からため息がもれることひとしきり。

つづいて、
「私の歩みがどんなにトホホであっても、
あなたがどんなに悲しみの中にある時でも、
それでも主はともにいてくださるから安心です」という証しとともに
「それでも主はともに」という武さん作詞作曲の歌を教えてくださいました。

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学校の先生をやめて、
心傷ついた少年、青年のためのちいさな学校、小国フォルケホイスコーレを始めると決めた時、
武さんのご家族には、生活費が一切断たれてしまう、という不安があったそうです。
それでも、始めよう、主がともにいてくださるから、
そう信じて、武さんとご家族は、その歩みをはじめた。
そして、なんと8年も続いている。
それは自分のちからじゃない、やっぱり主がともにいてくださるんだ、
そう武さんは断言します。

―うーん、「神の国と神の義をまず求めなさい、すべてのことは与えられる」(Seak ye first)とはまさにこのこと。
おまんま食えなきゃやってらんねぇや、なんてnikkouなら思っちゃうね。
でも、あのイエスのみことばは、本当のことなのねーと、驚く。

さらに、サプライジング!
「川崎リトルライトシンガーズのコンサートのために作曲しました」と、
詩篇41編から「鹿のように」という一曲をプレゼント!
おおお~とどよめきが起きました。
まるで小国の美しい野山が浮かぶような、風がとおりぬけるような、美しい歌。
リトライのレパートリー、決定です。

最後に、アルプスの少女ハイジから「おひさまのうた」を、会場のみんなと合唱して、コンサート終演となりました。

例の、開演前にこわーいことを言ったおじさん、「すばらしかった!たいへん感動した!」と力強くおっしゃって帰っていかれました。よかった~。

続けてきてよかったなあ、と思う一方で、
いや、武さんのいうとおり、主がともにおられたんだなーと、しみじみ思う。
一年前のあの小さなコンサートのときは、
こんなに充実したコンサートができる日がくるなんて、夢にも思わなかった。

これから、主がリトライにどんな道を開いてくださるのか、もう、不安はないもんね。
楽しみなばかり。ほんとです。
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September 22, 2007

トリニティ&久遠Nu Praise ゴスペルコンサート

主があなたに成し遂げるみざわに 期待してる
チュニ ムニトゲ ケウェカシニル ムルトゲ ハシム キデヘ

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17日(月)、トリニティ・久遠Nu Praiseゴスペルコンサート、無事終わりました。
今思い出しても胸ときめく、素晴しいコンサートでした。

コンサートのため来日したのは、アン・ソンジンさん、パク・ヨハンさん、ジュリさん、ユ・ウンソンさんの4名。
韓国ではトップアーティストの部類に入るそうです。

コンサート前、クワイアーで軽くリハーサルをしていると、彼らが到着。
歌っている最中だったので、横目でそっとみると、礼拝堂の後ろに静かに腰掛けるなり、それぞれが、一瞬、頭を垂れてじっとしている様子が見えました。
おそらく、それぞれで祈っていたのだと思います。

やがて、私たちが歌い終わるや否や、笑顔で立ち上がって、一緒に讃美。
仄聞するところでは、経済発展の著しい最近の韓国では、反日感情はだいぶ薄まっているそうで、たまちゃんのブログでも「いつまでも日本が韓国にしてきた罪を許さずにいる私たち(韓国人)の罪を謝罪します。」という韓国のクリスチャンの方々が紹介されていました。
日本人からは「罪を赦さない罪」なんて絶対言っちゃいけないせりふですが、
それでも不思議なことに、「赦し」の前では素直な謝罪の思いが湧いてくるというのも、事実であります。

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コンサートでは、Oh Happy Dayなどのブラック・ゴスペルもありましたが、おおかた韓国オリジナルの讃美。字幕も出ました。ストレートに神への愛の表明をした歌や、「父なる神」の父のイメージがじつに豊かな物語性を帯びているというか、具体的に描かれているように感じる歌などが多く、韓国の讃美は、感情表現が非常に豊かであるように思います。

とくにnikkouは、「期待(キデ)」という歌が好き。

主イエスにあって われらひとつ
姿は別々でも 互いに愛し はげましあい あたたかく包みあおう
主がわれらと一緒だから 兄弟の心を感じる
君のうちに 主を見る
喜んでいる 主を


主がわれらを出会わせて 足りない唇に讃美をくれた
主があなたに成し遂げるみわざに 期待してる

この歌は、日本のクワイアーも、一生懸命覚えたハングルで一緒に讃美しました。
この歌が本当なら、
生まれた国が違っても、互いのうちに主をみることができるのなら、
主が目の前にいる人にみわざを成し遂げようとしている、ということを期待することができるのなら、
決して、世に争いは起こりえない。
というか、相手を損なうことは、主のみわざを押し留めることなので、神への冒涜なんだろうと思います。
主があなたになしとげるみわざに期待してる…うまいことを言ったものです。

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nikkouは、アンソンジンさんの後ろで手話讃美をしておりました。
コンサート後のパーティで、アンさんに「チュワ、Good」(手話、よかったよ、という感じ?)とほめてもらったので、
おぼつかない英語でもって、「韓国に行った時、同じ手話を、教会で見ましたよ」ということを言ってみたところ、「本当?」とおどろいて、それから、ぎゅっと肩をハグしてくれました。言葉でうまく伝えられなくても、親愛の情はあふれんばかりに伝わりました。
コンサート後のパーティでは、浴衣をプレゼント。
男物は、nikkouのセレクトです。

コンサート後ではありますが、ハングルのテキストを購入。遅ればせながら、好きになってしまいそうです、韓国(…ではなく、アン様?)。

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September 15, 2007

Joyful Noise Singers

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先週の日曜日、池袋中央福音教会にて、
Joyful noise singers(略してJoy-noi)のライブがありました。(わが友、Tamaちゃんのブログもご参照あれ。)
リトライのリハのあと、nikkou、直行しましたよ。
だって、もう、大ファンなんですもん。

Joy-noiは、美女4人組のゴスペルコーラスグループ。

Piano KOJIプロデュースの4人組R&B女性ユニット。TCAで音楽を学ぶ同級生だったが、当時の講師であったMeg(粟野めぐみ氏)との運命的出会いにより、教会音楽に触れる。その後、Meg & Piano KOJIと活動を共にし、その音楽面、精神面の両方に影響を受け、1999年Joyful Noise Singersを結成。ハーモニースキルにあふれたヴォーカルテクニックは唯一無二。ポップ+R&Bテイストを横断したキャッチーな曲調に、ストイックかつクリスチャニティーを基盤に据えた芯のあるスピリチュアルな女性グループ。

歌はうまくて
表現力も豊か、
そろいの黒いスーツがとってもセクシー。
なによりも、歌の合間合間にはさまれる主イエスとの出会いの話に気負いがなくって、
心にことんと落ちる感じ。
CDも持っているけど、やっぱり生演奏はいいね。
たっぷり聴きひたって見とれて、一緒に歌って踊って、泣いて笑って、たまっていた毒が全部ぬけちゃった気分。
すっかりデトックスな2時間となりました。

nikkouが彼女たちの歌を初めて聴いたのは、
アメリカのオークランドでした。
毎年6月、40~50人ばかり日本中のゴスペル・ファンを大編成して、
オークランドはLove center church、
日本でもOh Happy Dayの作者として知られるエドウィン・ホーキンズが牧師を務める黒人教会の
ゴスペル・ワークショップに参加するツアーがあります。
nikkouがこのツアーに参加したのは2003年、27歳でありました。
日本からの讃美チームとして大きな教会の舞台に立ったとき、
まず歌ったのが、このJoy-noiのメンバーたち(当時は5人でした)。
そのとき、思ったよ。
なんて、綺麗な人たちなんだろう。

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その後、いつ見ても、何度見ても、飽きることなく見とれる。
讃美するときの、うなずきひとつ、笑顔ひとつとってみても、
美しい。
心から、讃美が、いや、主イエスが好きなんだと、分かる。
讃美の歌が、説得力にあふれている。

人間って、中身が顔に出るね。
女30年以上やってきて、ようやく悟った。
生き生きした心をもった人は、
顔…もっと正確にいうと、表情や体の動きが、とても美しい。
逆に、顔のつくりはきれいなのに、なんかブスだ、って人もいる。
(先日、バスの中でそういう女の人を見て、すごく怖かった。
眼が合わないようにしよう、と思って逆に泳いじゃったよ。)
nikkouも疲れているとブスになるらしく、
相方に「最近nikkouさんブスだからゴスペル歌ってきたほうがいいよ」
とまで言われる。
そんでもって、歌って帰ってくると「あ、かわいくなって帰ってきた。やっぱりゴスペル歌ったほうがいいね」と言ってもらえる。
別に、そ~んなスウィートな新婚生活デスッてお話じゃなくって、
人間の心と体ってそんなふうに作られているもんなんだ、ということがいいたいのだ。

Joy-noiにあこがれてゴスペルを始めた、という女の子も少なくない。
あこがれて始めて、そして今なお歌っている、という仲間も多い。
そう、いまなお歌っているよ。
おばちゃんになっても、おばあちゃんになっても、生き生きと、綺麗いたいと思う。
ゴスペル歌い続けて50年、というおばあちゃんたちが出てくるころの日本が楽しみじゃない?

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September 10, 2007

天国の“先触れ”

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川崎リトルライトシンガーズ、HP効果で、じわじわメンバーが増えてきました。
一年前にはじめた当初は、
ピアニストもいない、
ディレクター(指揮者)もいない、
練習の仕方も、
曲の選び方もわからない、
のナイナイ尽くし、
あるのは、ただ場所(川崎教会)と、メンバーの想いと、周囲の祈りと、神様のみこころのみ、という状況でした。
nikkouが慣れないディレクション(指揮)をし、
ほとんどがアカペラ。
当然、うまくいかないこともたくさんあって、一回で挫折した歌、メンバーがだれも来なかった日、メンバーが来てもなんだかぱっとしないリハーサル等、何度もありました。
そしてあまりの緊張に、最初の半年は、毎回リハが終わって帰宅すると、床に倒れこんでそのまま寝こんでしまうこともありました。

なのに、1年たってみれば、なんだかまとまりがついているし、
歌の意味も共有できるようになってきたし、
アカペラだけでも全然だいじょうぶだし、
1時間半の練習時間があっという間なくらい、充実している。
奇跡ですよ、これは。

のみならず、
新しくメンバーになった人、見学に来た人が、「楽しかった」と言ってくれる。
そして、それが本心だった証拠に、つぎのリハーサルにも来てくれて、一緒に歌ってくれる。

昨日はつくづく思った。
やめなくて、よかった。
ただただ愚直に、賛美し続けてきただけだけど、
主はリトルライトを見捨てなかった。

先週の久遠Nu Praiseのリハーサルに、もとオアシス・ゴスペル・クワイアーのディレクター(指揮者)で、現在リトル・ロック・ゴスペルクワイアーのディレクターをしている寛子ちゃんが遊びにきた。
久遠Nu Praiseのディレクターえっちゃんと並んで、
寛子ちゃんも一緒に賛美したり,ディレクション(指揮)をしたりしてくれた。
その横では、やはりかつてオアシスでピアノを弾いていたみゆきちゃんが、伴奏をしていた。

オアシスは、nikkouが初めてゴスペルに出会ったスタジオであり、主イエスを受け入れたクワイアーである。
オアシスのディレクターは、このえっちゃんと、寛子ちゃん、そしてみゆきちゃんと、なんちゃんという、綺麗で若い女性4人組だった。
ピアノは、ピアノコージさん(いまや、ゴスペル界の大御所)、
オーナー兼マネージャーが、羽田さんという屈強な体に熱いクリスチャン魂を持った男性だった。
この豪華な布陣の「オアシス」に、
たくさんの同世代の仲間たちが、仕事帰りへとへとになりながらたどり着き、
賛美を歌い、心を解き放ち、
ストレスを「ゴスペル(福音)」に入れ換えて、帰っていった。

久遠で歌いながら、
ふと、オアシスを思い出した。
あの場所は、nikkouにとって、天国の“先触れ”だった。
ホンモノの天国は、たぶん、あのオアシスをもっとすばらしくした世界なんだと思う。

もう一度、天国に浸りたい、そういう思いで、リトルライトを始めた。
そういう場所を知っているって、とても幸せなことだ。
オアシスと、リトルライトと、そして、その両方を創られた主に、感謝の気持ちでたえない。

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August 30, 2007

ハングルの賛美はスウィート

Above All
十字架にかかられて死なれた
薔薇のように 孤独で踏みつけられても
私を思ってくださった…
十字架で背負われた 私の罪のすべて
ありがとう誰にもまさって私を愛してくださって…


9月17日(月・祝)、久遠Nu Praiseゴスペルクワイアーに、
韓国より「トリニティ・ワーシップチーム」を迎え、
ゴスペルコンサートを行います。

9月17日(月・祝)

午後4時半開場

午後5時開演

入場無料(席上献金あり)

場所:久遠教会

出演:トリニティ・ワーシップ・チーム

アン・ソンジン

パク・ヨハン

ユ・ウンソン

ジュリ

Tokyo Voice of Praide
Great Joy Gospel Choir
Kuon Nu Praise Gospel Choir

Piano 原美由紀

メッセージ 吉田moTomu師

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nikkouも歌います。ハングルで歌います。
ぜひ、聴きにいらしてください。
(写真は、「アン様」こと、アン・ソンジン)

現在、久遠Nu Praiseでは、コンサートにむけての練習が佳境を迎えております。
nikkouもトリニティのCDを聴く毎日。
しかし、韓国の賛美ってのは、スウィートですなあ。
韓流ドラマのクライマックス・シーンでバックに流れていても、きっと、まったく違和感がないよ。
歌い方にせよ、節回しにせよ、ハングルの響きにせよ、
なんとも、切ない感じ。
これはなんでしょねー。

黒人ゴスペルクワイアーが来日すると、コンサートの宣伝文句は、たいがい「魂をゆさぶる歌声」とか「魂にひびくリズム」となる。
ヨーロッパ系の聖歌隊が来日すると、それが「心洗われる歌声」とか「清らかなハーモニー」とかになります。
韓国系賛美の場合、「胸がときめく」「心が震える」なんてのがいいんじゃないかと思うね。
最近、胸がきゅんとしてない、という方は必聴です。

しかも、nikkouは手話賛美までやります。
ハングルで歌い、日本語で歌い、さらには英語もまじるだろう、というコンサートなので、
訳のほかに、サイン・ダンスみたいなのがあったほうが、分かりやすいんじゃないか、ということになったわけ。
サイン・ダンスってのは、黒人教会でよく見かける、賛美をモチーフにしたダンスなのだけど、
まあ、そこまではいかなくても、手話があると、たしかに、外国語で歌われていても、分かりやすいように思います。

昨夜は、「風の音」のリハ日だったのですが、
早めに行って、先生のTさんに、nikkouの手話賛美を見てもらいました。
手話で歌詞を追ってみると、あらためて、もう、むひょむひょのスウィートさ。
イエスキリストを「踏みにじられた薔薇のように」なんて表現しちゃいますからね。
日本語の賛美じゃあこのフレーズは出てこないね。
素敵です。
「薔薇」という手話も素敵です。
聴くのみならず、見にいらしてください。ぜひ。

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August 17, 2007

As the Deer(鹿のように)

As the deer panteth for the water
So my soul longeth after Thee
You alone are my heart's desire
And I long to worship Thee

You alone are my strength, my shield
To you alone may my spirit yield
You alone are my heart's desire
And I long to worship Thee

谷川の流れを慕う 鹿のように
主よ、我が魂 あなたを慕う
あなたこそ我が盾
あなたこそ我が力
あなたこそ我が望み 我は主を仰ぐ

今回、無教会全国集会で賛美することになった歌。
歌いやすく、きれいなメロディで、名曲だなあと思う

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ドニー・マクラーキンが来日したとき、日本語で歌ってくれた。
なぜか、「あーなーたこそ、わーが、たてっ!」と、「盾」のところでこぶしを振り上げ、
「あなーたーこーそ、わが、ちからぁぁぁ」と、「力」のところで脱力し、ひれ伏すようなしぐさをした。
英語を見ると、その理由がわかるね。
譜割で、日本語の「盾」にあたるところが、
「my strength, my shield」(わが力、わが盾)になっていて、
「あなたこそわが力」にあたるところは、
「To you alone may my spirit yield」(あなただけには、わたしの心を許せます)になっている。
だれか、ドニーさんに教えてあげて。

おととい、You Tubeで検索したら、中国教会での賛美映像が次々出てきた。
中国共産党公認教会の映像なのか、アメリカの中華系教会なのか、わからないけれど、中国人も好きなのね、As the deer。
そういえば、鹿って花札にも出てくるもんね(関係ないか)。

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さて、やはりYou tubeにて、もうひとつ、素敵な映像を発見した。
英語圏の国(アメリカ?)の学生たちが、息も白い冬の路上で、こづきあったり、ふざけあったりしながら、ふいにアカペラで「As the deer」を歌い出すのだ。
それが、とても上手で、ときどき、ちょっとふざけたりしながらも、息が合っていて、なんだか、懐かしい気持にさせられる。
最後に、東洋人の男の子がこちらをむいて、ぺこっと頭を下げるのが日本人っぽくて、たまらなくかわいい。
毎日、もう何度でも見ちゃう。

留学したこともないのに、この映像のなにが、こんなにノスタルジックなのだろう。
学生時代の、屈託のなかった日々を思い出すのか、
ゴスペルをはじめたころの、わくわくした気持ちがよみがえるのか。

そうそう、無教会の友人の高橋さんが、毎朝の個人でささげる礼拝(「デボーション」と言う人たちがいるが、なんか、専門用語ぽくて好きじゃない。だれか、こなれた、良い訳語を考えてください)をブログにアップしているんだけど、ときどき、朝の散歩の途中で口ずさんだ讃美歌を載せている。黙想、聖書、祈りだけじゃなくって、散歩までが礼拝の一部なのね。
Keep on praising.
そうやって、日々の生活のなかで、何気なく歌えることが、一番幸せなんだと思う。

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August 12, 2007

川崎Little Light Singersコンサート

今日は、リトルライトのリハーサル日。
いっとき、開店休業状態でしたが、10月14日にコンサートが決まってからは、練習も充実してきました。つねに4~5人はそろって、讃美の声を磨いています。
1年たって、このメンバーで歌うのも、ようやく慣れてきた感じ。
今日も、「Down in the river to pray」(川辺で祈ろう)や、「Steal away」(イエスのもとに逃れていこう)などを歌いましたが、もう、当初のころのような、おずおずとした弱々しい歌い方ではなく、歌の輪のまんなかに、ふわっと主イエスが座っているような、明るさとたしかさにあふれていることに、思わずはっとしました。
いつのまに、リトライ、こんなに歌えるようになったんだろう。

最近は、ホームページができたおかげで、ぽつん、ぽつんとお問い合わせも来るようになりました。
新メンバーも入りました。

ほんと、不思議。
指導者もピアニストもいない、まったくの素人集団で、1年間、歌い続けることができた。
そして、「教会」にも、「キリスト教」にも、縁もゆかりもなかった、という人たちが、ゴスペルを歌う、という1点において、仲間になり、ともに祈りあうようになった。
自分自身、ゴスペルクワイアーを通して主イエスに出会ったので、ゴスペルというのは、そういう力をもったものだ、ということはよく分かっていると思っていたのだけれど、
こんな不安定な状態から始めたゴスペルシンガーズでも、ちゃんと歩みを進められている、ということには、小さな奇跡を感じる。

というわけで、成長しつつあるゴスペルシンガーズのコンサート、ふたたび、ご案内です。

川崎リトル・ライト・シンガーズ ゴスペルコンサート

10月14日(日)

午後2時から3時半

於 川崎教会

ゲスト 武義和さん(小国フォルケホイスコーレ代表)

曲目 「Steal away」「This little light of mine」

「Amazing Grace」「Down in the river to pray」

「Seek Ye first」「おひさまのうた」

乞うご期待!

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July 25, 2007

川崎リトルライトのホームページ開設

川崎リトル・ライト・シンガーズのホームページが開設されました。
メンバーのS兄ががんばって作ってくれました。ありがとー。

川崎・リトル・ライト・シンガーズ
(Kawasaki Little Light Singers)

リトルライトは、音楽の専門家が指導してくれているわけではありません。川崎教会牧師(兼・ソウルシンガー)まこと先生が、歌の意味を解説してくれたり、雰囲気や歌い方や英語をチェックはしてくれるけれど、
おおかたは、素人集団のメンバーで額をよせあって、ああでもないこうでもない言いながら、ハーモニーを作り上げていっています。お稽古事や習い事というより、学生時代のバンドやサークルに近い感じね。
でも、だからこそ、一曲仕上がったときの喜びはひとしお。
歌がお好きな方、ぜひ、遊びにきてください。

ちなみに、今度の日曜は、川崎教会にて、賛美礼拝(午前10時半から11時半)です。
nikkouたち若手メンバーが司会をして、みんなでいろんな賛美をしながら礼拝をします。

リトライは、冒頭で、黒人霊歌「Steal away」を歌います。
あとは、「鹿のように」とか、新垣勉さんの歌とか、アルプスの少女ハイジで歌われている賛美歌とか、バラエティ豊かなプログラムを用意しました。
川崎界隈にお住いで日曜日の教会の礼拝というものを覗いてみたい方、リトライはどんな歌を歌っているのか見学したい、という方、ぜひお気軽にどうぞ。

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July 14, 2007

讃美いろいろ

ハレルヤ。
わたしの魂よ、主を讃美せよ。
命のある限り、わたしは主を讃美し
長らえる限り、わたしの神にほめ歌を歌おう。(詩篇146篇)

先週土曜日の、武義和さんの「讃美とお話の会」から始まって、この一週間、讃美三昧でありました。
振り返ってみると、じつに讃美の形はさまざま。

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日曜日は、リトル・ライト・シンガーズの練習。武さんから教えてもらった「主よ、わがいのち、わがほめ歌」のほか、黒人霊歌の「Steal away(イエスのもとに逃れていこう)」と、同じくトラディッショナルの「Down in the river to pray(川辺に祈りに行こう)」を讃美。トラディッショナル系がリトライの十八番なのです。

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月曜日は、久遠Nu Praiseゴスペルクワイアーのリハーサル。久遠は今、ハングルの讃美が大ブームであります。というのも、9月に、久遠教会にて、韓国のシンガー「トリニティ」を迎えてライブをする予定なのです。申し訳ないけど、まったくのカタカナの羅列にしか見えないハングルを、噛みそうになりながら歌いつつ、神様ってすごいなあ、全世界の言葉を聞き分けるんだなあ、と感心する。

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水曜日は、手話讃美「風の音」の練習。レーナ・マリアさんのCDをバックに、「いつくしみ深き」と「明日も生きよう」を讃美。思い起こせば、手話讃美なるものを初めて見たのが、レーナ・マリアさんのコンサートだったかも。「翼をください」の手話で、本当に空を飛んでいるような手話に目を奪われたのを覚えています。主は当然、手話も聞き(見)分けているんですね。

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木曜日は、シャローム・ゴスペル・クワイアーのリハーサル。ここの讃美が、コードもリズムも一番コンテンポラリー(現代的)。「天使にラブソングを」を見て、ゴスペルが歌いたくって、見学に来ました~という方が、大喜びしていました。「Count it All Joy(喜びと見なそう)」の複雑な構成を乗り越えて、「Joy! Joy! Joy!」の繰り返しが決まったとたん「Hu~~~!!」「yeah!」と歓声を挙げてしまいました。

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そして、金曜日と本日土曜日は、川崎にある「招待キリスト教会」にて、北海道在住のKiKiさんWillieさん夫妻によるワークショップでした。明日、コンサートです。nikkou歌います。18時開演。招待キリスト教会にて。曲目は、「アメージング・グレイス(おどろくばかりの恵み)」と、「プレシャス・ロード(親愛なる主よ)」を、現代ゴスペル風にアレンジしたもの。楽しいです。nikkouの通う川崎教会とは道路一本へだてたところにある教会ですが、ゴスペルが縁で、親しく付き合うようになった。それこそトラディッショナルな雰囲気の川崎教会とは違って、どちらかというとワーシップ中心、そして韓国の方の多い教会です。讃美は個性のちがった教会の兄弟姉妹もひとつにする証しですな。

明日、ライブに出たあと、月曜日は、クリスタル・ビーズのゴスペルライブに行く予定。13時から、新宿シャローム教会にて。パワフルなママさんクワイアーです。

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うちに帰ると、nikkouの相方が、Michiru(みちる)さんの「Love Song」という讃美CDを聴いている。相方に言わせると、Michiruさんの歌い方、声、コード進行、ドラムの入り方、曲の終わり方にいたるまで、「70年代後半生まれ、80年代育ちの男子にはツボ」だそうです。80年代?ビックリマンチョコとスーパーマリオとガンダムな感じでしょうか。ちょっとアニメソングっぽい。80年代男子の方、ぜひどうぞ。

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そういえば、最近、わがゴスペル仲間、美由紀ちゃん、京子ちゃん、ギルバートの三人で、「演歌ゴスペル」のCDを出しました。nikkouも早速購入。なんかのパロディみたいなのではなく、ちゃんと演歌で、ちゃんと讃美でした。

MichiruさんのCDを聴きつつ相方がいうには、「普段の自分のままの音楽で讃美ができると、気持ちがリラックスできる」とのこと。

言うまでもなく、讃美歌は輸入ものなわけで、「めでた、めでた~や~、はぁ、よいよい」な音楽を歌っていた日本人には、ちょっとめずらしく、ともすると気取った音楽だったんでしょう。「めでた、めでた~や~、はぁ、よいよい」な讃美歌が生まれていれば、日本でのキリスト教の位置もまた変わっていたかなあ、と思ってみたりもする。黒人さんたちが、自分の音楽で、讃美を始めたようにね。

こんなにいろんな讃美を歌っていて、じゃあ、nikkouはなにが好きなんか?と言われたら…どれも好き。というか、そのときの気分による。
で、そのときの気分の一番リラックスできる音楽で讃美するのが、一番、自分にあっている信仰のありかたな気がするのです。だから、「マタイ受難曲」もすばらしいですが、たまには演歌だったり、80年代ポップス風だったり、コンテンポラリー洋楽風だったりしながら、「とこしえに喜び歌い」(詩篇5篇12節)たいと思うのであります。

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July 08, 2007

両手を挙げて歌う

わがいのち わがほめ歌(ノルウェーの讃美 武義和:日本語詞)

主よ わがいのち わがほめ歌
すべて あなたにささげます
主よ わがいのち わがほめ歌
すべてを あなたに

Jegvil prisedeg
両手をひろげて たたえます めぐみの主を
かなしみの日も なやむときにも
わたしには あなたがいる
どんなときも


7日は、今井館聖書講堂にて、武義和さんによる「讃美とお話の会」でした。
ノルウェーで歌われている讃美を武さんが日本語詞に訳したものとか、水野源三の詩に、武さんが曲をつけたものとか、すごく気持ちのよい歌をたくさん歌いました。
讃美は、本当に、心を解放するね。
歌いながら、胸がいっぱいになりました。

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nikkouは「わがいのち わがほめ歌」という歌が一番よかったな。
泣きそうになった。
その中の一節「Jegvil prisedeg(ヤイビル プリーセダイ…主をたたえます、という意味)両手をひろげて たたえます めぐみの主を」というところで、ノルウェーの人は、本当に両手を挙げて、天にひろげて歌うんですって。
アメリカの黒人教会の人たちと同じだ。
そういえば、韓国教会の人も、手を挙げるよね。

nikkouは、ゴスペルを始めたとき、あの、手を挙げて歌う、というのが、どうも恥ずかしくってできなかった。まだ、曲の振りつけとしてみんなと一緒に「手を振る」というのならできるのだけれど、歌いながらクライマックスのところで、両手なり片手なりを、天に差し伸べる、という動きが、どうしてもできなかった。これは振り付けじゃなくって、あくまでも自主的な表現、歌っている自分の心の表明なわけなのだ。

ひろこちゃんというディレクターが「わたしも、最初のころ、手を挙げると、わきのところがなんだか無防備な感じがして、すごく歌いにくかった」と言っていた。ひろこちゃんは、いつも、讃美の気持ちで胸がいっぱいー、という感じで手を挙げるから、意外な気がしたものだ。

考えてみれば、日本の音楽文化って、手を挙げて歌う、ということが、まったく、ない。
学校の音楽の時間は当然、カラオケだって、ポップスだって、両手を天にさしのべて歌う、ということはない。本当に、文化として、全然ないんだ。黒人教会では、大人が総立ちで手を挙げている間を子供たちがちょこちょと歩き回っているから、手を挙げて歌うのは、まったく自然なことなんだろう。
だから、日本人が讃美のときに、手を挙げて歌うのに、抵抗がある、というのはごくごく当たり前のことだと思う。

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nikkouは、クリスチャンになってから、だんだん、手を挙げて歌うようになった。ゴスペルの歌詞や旋律が、そういう表現によく合うようにできている、ということが、頭と体で理解できるようになってきたんだと思う。
一度友人から、「コンサートで客席から見ていると、nikkouちゃんってすぐわかるよね。手、挙げてるから」と言われた。あとで、ビデオを見たら、ほんと、一番最初に手を挙げていた。っていうか、くねくねとへんな踊りを踊っているように見えたよ。ひええ、これが、nikkouの心の表明か。

そういえば、ノンクリスチャンのゴスペル仲間から「手を挙げるのはなんで?」と聞かれたことがある。
なんでだろうね。
今日、武さんに「わがいのち わがほめ歌」を教えてもらって、一緒に讃美しながら、nikkouは、もう、立ち上がって、手を挙げて歌いたくって、仕方なかった。アメリカの歌でも、日本の讃美歌ですら、ときどきそういう気持ちになることがある。
そういう歌に共通するのは、たんに、歌詞で「I lift my hands」と言っているだけじゃなくって、歌詞や旋律が、空に、というか、天たかく存在する主に向かっている、ということだ。

手の届かない、あのかなたに、手を伸ばそうとするような、
天におられる、わたしの大好きな、あのひとに手を振るような、
天から光のようにふりそそぐ、あのひとからの愛を体いっぱいに浴びようとするような、
そんな気持ち。

あるゴスペル仲間は、歌がクライマックスになると、胸をひらいて、両手を斜め下に、まるで風を受けるような姿勢になる。この人はクリスチャンじゃないんだけれど、でも、たしかに、なにかを受けとめているんだなあ、というのがよくわかる姿勢だ。すごく気持ちよさそう。日本人のジェスチャーとしても自然だし。

歌詞や讃美歌集を両手でお行儀よく持って、きちんと立って歌う、という歌い方に慣れていると、なかなかやりにくいんだけれど、
手を挙げて歌う― 一度やってみると、気持ちよくって病みつきになるよ。

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June 25, 2007

稲荷町食堂ブルースバンド

『眠られぬ夜のために』第一部


「6月22日
堂々と品位をもって人生を渡り、とくに、ありきたりなやりかたで生活を維持するだけでなく、さらに偉大な目的を眼中から失うまいとすれば、どうしてもある種の感激ないし熱狂が必要である。
(中略)
しかし、熱狂や感激だけでなく、健全な、冷静な常識の相当量がこれとむすびつかなくてはならない。…」

(筑摩叢書:前田敬作訳)

昨夜、川崎リトル・ライト・シンガーズのメンバーで、nikkouの通う川崎教会の牧師、愛称Teacherのブルースライブにいってまいりました。

Teacher & 稲荷町食堂ブルースバンド

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ライブハウスに少々遅れて到着すると、戸の隙間からもれ聞こえてくるのは、まごうかたなきTeacherの歌声。金管楽器が鳴り響くような、やや高めの張りのある歌声であります。
戸を押し開くと、薄暗い地下の、たばこの煙たちのぼる向こうに、巨体をくねらせるようにモータウンっぽい甘いラブソングを歌っているTeacherがおりました。

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じつは、nikkou、ソウルやブルースはあまり詳しくないのですが、
それでも、いっとき、あるソウルバンドにはまったことがありました。
ゴスペル仲間が組んでいたThe Basementsというグループで、まあ、こっぱずかしいのを覚悟で告白しますが、歌っていた男子三人組のみ目麗しさが目当てでありました。
おかげで、The TemptationsとかThe Stylisticsといったゴスペル以外のブラックミュージックを知るにいたるのであります。

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稲荷町食堂ブルースバンドのホームページを見てみると、Teacherが、The Temptationsのリード・ヴォーカリスト、アリ・オリー・ウッドスンに命じられてThe TemptationsをバックにSomeone歌ったことがある、って書いてあるんだけれど、The Temptationsって、あの「マイ・ガール」(左図)のサントラの!?と目を疑った。
灯台もと暗し。
濃ゆめのゴスペルをマニアックなレベルで知っているのもかくゆえか。

さて、稲荷町食堂ブルースバンドでありますが、The Basementsと比べるまでもなく、ビジュアル的ではないけれど(失礼!)、大人のバンドの凄味というか、重みただよう、大人のソウルでありました。
苦い短編小説のような、あるいは切ない失恋の歌をつぎつぎ歌いたおしながら、
独特のリズムのMC(語り)をはさみつつ、
Teacher、じつに自然な流れで、
しかし突然、客席に問いました。
「So, what do you think about Jesus?」(で、きみたち、イエスのこと、どう思う?)
ん? 今Jesusって言った?
とnikkou、ぽかーんとしていると、すかさずTeacher
「He is Goooooooooood !!」
わお、ここはブラックソウルちっくに、エイメーンッ!だろうか、と突然のゴスペルモードにあわてていると、
フロアーから、「Yeah!」と、渋~いおじさんたちの熱いコールが。
「He is Goooooooooood !!」「Yeah!」
「He is Goooooooooood !!」「Yeah!」
そして始まったのがお得意のナンバー「Jesus Gave Me Water」(イエスはわたしにいのちの水をくださった)
教会のクリスマス会で、ちびっこを前に奥さんとデュエットしてくれる素朴なアカペラ・バージョンではなく、
コテコテのブラックソウル味、Ah------------!というシャウトも絶妙で、これがゴスペルライブだったら、nikkou間違いなく立ち上がってAme-----n ! Hallelujah!って叫んでいるね。
…ではありますが、ここはまず周囲の空気優先のニッポン人女子、ロマンスグレーの大人にまじって、精一杯の拍手をおくったのでありました。

胸元に大きな十字架をきらめかせつつ歌うソウルシンガー牧師、みなさま必聴、必見です。
次回の東京でのライブは2007年9月23日 (日) 都営新宿線瑞江駅 HOTコロッケにて。詳細はホームページでどうぞ。

そして、突然ですが、川崎リトル・ライト・シンガーズのライブも決定いたしました。

10月14日(日) 午後2時~3時半予定
川崎教会にて

Teacherはもちろん、
nikkouのワン・オブ・ザ・ベスト、武義和さん(小国フォルケホイスコーレ代表)をゲストにお招きすることができました。武さん、ありがとう!!
豪華なライブになりそうです。

リトルライトのほうは、最近、集まりが悪く、ときにはnikkouひとりぽっちの哀しいリハになることも多いのですが、めげすに、ライブにむけて、改めてメンバー募集したいと思います。ホームページも近日公開予定。
こんな不安定な状況で、よくやるよなあ、と、我ながらあきれつつも、リトルライトはまだまだつぶれない、という確信めいたものがある今日この頃。
だって、みんなと歌うと、やっぱり楽しいもんね。
そう言うのはnikkouだけじゃない。
喜びのあるクワイアーは、決してつぶれない。

ヒルティいうところの、感激と熱狂、そして相当の冷静さと常識。
くわえて、喜び。
歌って楽しいということは、神様が、十分祝福してくれているからと信じる。
みなさま応援してください。

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February 19, 2007

川崎リトル・ライト・シンガーズ、今井館聖書講堂でライブをします!

『眠られぬ夜のために』第二部

「2月19日

わたしの生涯で、自分が不本意ながらも他から促されてしたことは、ほとんどいつでもうまくいったが、みずから自発的にやりはじめ、非常によいとおもったことは、かえって良い結果にはならない。」
(筑摩叢書・前田敬作訳)

先日お知らせしました、今井館聖書講堂でのシンポジウム「若者と語る信仰と現代」で、わが川崎リトル・ライト・シンガーズが讃美をすることになりました!みなさん、応援にきてください。

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(写真は、打ち合わせをした「春風学寮」―無教会の学生寮―にて、ピアノで遊ぶスピーカーの一人のKさんのお子さん。かわいい。)

話は先週の、シンポジウム打ち合わせの席にさかのぼります。
司会をなさるOさんに言われました。
「たぶん、観客のほぼ全員が、ゴスペルを聴いた事がないと思う。」
Oさん自身、ゴスペルを聴いたことはないそうです。
そう、無教会は、ゴスペル未開拓地帯。
Oさんも無教会クリスチャンですが、プライベートではバンドのドラマー、YMOのコピーなんかもしている、という陽気な40代の兄貴なのに、なんとももったいない。
ぜひぜひ川崎リトルライトのドラマーになってください!と、取りすがりそうになるのをぐっとこらえて
「では、一度、聴いてみてください。」
と言うと、
「では、今度のシンポジウムで歌ってください。」

…え。
だれが? って、nikkouがだよね。
「あっ、じゃあ、nikkouがシェアしますから、みなさんも一緒に歌いましょうか」
「いいですね~」と
その場は、楽しく盛り上がりつつ、
nikkou、内心、アセっておりました。
ゴスペルを初めて聴く、無教会の(おそらく年配の)クリスチャンとともに、なにを歌うんだ。

そこで、翌日のリハで、川崎リトルライトのメンバーにおそるおそる「急な話なんだけど、ライブをやらない?」切り出してみました。すると、
「おー、いいねー」
と思わぬ好感触。
川崎教会の行事内コンサートじゃないですよ、初のアウェーですよ、みなさん。
しかも、ゴスペル初体験の人たちにむけて、ゴスペルデリバリーをするわけであります。
やるでしょう、川崎リトルライト。

というわけで、みなさま、お願いです。
応援に来てください。
歌うのは1曲ですが、
会場から一緒に讃美して、無教会クリスチャンのみなさんにゴスペルのあったかさ、気持ちよさを感じてもらえるよう、手伝ってください。
もちろん、nikkouも一生懸命、讃美&ディレクション&スピーチをします。
どうぞよろしくお願いします。


日時 2007年2月25日(日)14時~17時
場所 今井館聖書講堂(東急東横線 都立大学駅 下車徒歩7分)

参加費 500円
主催 「ウィークデイの集い」 女性の企画グループ
連絡先 今井館聖書講堂 東京都目黒区中根1-14-9
電話 03-3723-5479

リトルライトとnikkouの証しは、最初のほう、
たぶん、14時10~15分くらいからです。
最初の1時間で、三人がスピーチをして、
あと2時間は、ディスカッションと質疑応答だそうです。

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January 14, 2007

前方を見続けるための歌

『眠られぬ夜のために』第一部

「1月14日
後方を見ないで、つねに前方を見つづけること、
それどころか、結局はこの生をも超えてかなたをみやること。
後方をふりかえるのは、なんの役にもたたないことである。
ただし、まだ改められることをつぐなうためと、いままでに犯した過誤をこれからはくりかえさないよう気をつけるためと、受けた好意に感謝してむくいるためにそうする場合はべつである。」

(筑摩叢書・前田敬作訳)

今日の礼拝は、使徒パウロの話。
厳格なユダヤ教徒だったパウロが、キリスト教徒迫害にむかう途上で劇的な回心体験をして、一転、熱心なキリスト教伝道者になるくだりを読んだ。
つくづく真面目なひとだったんだろうなあという気がする。
地図を見ながら、彼の伝道旅行の足跡をたどったのだけれど、これがまたすさまじい距離なんである。地中海の沿岸をぐるっと一周してしまっている。

今日のヒルティのメッセージは、パウロの生涯を言い表している感じです。
過去に拘って罪の意識に一歩も動けないというのではなく、前方を見続けるため、
全生涯を伝道にかけた。
前を向いたほうが、過去をつぐなえる、ということもあるのかもしれない。

今ちょうど、仕事が忙しい。
でも、ストレスが高い時期のほうが、ゴスペルの練習が楽しいのが、また不思議であります。現実逃避ですかね。いや、ふたたび現実の戦いに出て行くため、「前方を見続けるため」の休息の地だ。

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月曜は久遠ゴスペルクワイアーでは、主要メンバーのひとりだったタックが転勤ということで、追い出しコンパならぬ追い出しリハ。やはりさびしいですよ。リトルライト結成のときも楽譜をたくさんくれたり、アイディアをくれたりして、ほんと、助けてもらったタック。でも、どこへ行っても讃美の心でつながっているもんね。
長いこと休んでいたメンバーもたくさん来て、久々に大合唱となりました。

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木曜はシャロームゴスペルクワイアー。ミュージカル映画「レント」から「Season of Love」を歌った。HPの予告編で聴けるので、ぜひ聴いてみてください。

「525,600分 あなたは一年をどうやって数えますか? 朝の数? 夜の数? コーヒー何杯? 笑った数? 喧嘩した数? 愛はどうだろう? 愛で数えてみようよ」

直接「神の愛」という言葉は出てこないけれど、ディレクターのまりりんが、この映画を見て、この愛は「聖書の愛に基づいている!」と判断したらしい。実際、いい歌です。
Nikkouは昨年、たくさん「愛」を受け取ったなあ。あらためていうと照れるけど。愛の数で数えるなら、出色の一年でありました。もちろん、クリスチャン的に言えば、毎年たくさん愛されているんだろうけれど、昨年は特に感じた。

そんなふうに、直接的には「神」とか「イエス」とか言わないけれど、そこはかとなく「匂う」歌ってあるよね。nikkouが個人的に好きな「匂う」歌で、「Lean on me」ってのがあるの。nikkouはクラブ・ヌーボーが歌っているのとドロシー・ノーウッドが歌っているのを持ってる。(ビルウィザーズが歌っているものはこちらで視聴できる)

「If there is a load you have to bear that you can’t carry. I’m right up the road I’ll be your friend if you just call me」 (負わなくてはいけない重荷があって、自分ひとりじゃ運べないなら、私がきみのいく道へ行って、君の友となろう 君がわたしを呼ぶならね)

今日、リトルライトのリハで、たまたま、メンバーがこの歌のパート譜をくれた。
いつか、リトルライトでも歌ってみたいと思います、「Lean on me」。
ちなみに今日は、リトルライトの今年初の練習日。
アメージンググレイスのアカペラに挑戦しました。
昨夜、ひとりでキーボードに向かって、ソプラノ、テナー、アルトの各パートを20~30回ずつ歌ってみて、「あ゛―――、だめだあー、むずかしーい」とへこんだのですが、実際みんなと歌ってみると、みんなと一緒にあっさりマスター。キーボードとハモるよりも、人の声とハモったほうが何十倍も楽だということを発見しました。すばらしいね、人の歌声ってのはね。最高の楽器だと思うよ。

今年のリトライの目標は、「人に聴かせられるようになる」であります。
…ちょっとかっこつけると、「ゴスペルのメッセージを伝えられるシンガーズになる」であります。メンバーは随時募集中なので、参加ご希望の方は、ぜひどうぞー。

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December 13, 2006

リトルライトのちょっとした危機

『眠られぬ夜のために』第二部

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「12月5日

ふりかえるな、なつかしの谷を、ふるき日のよろこびを、すぎし日の苦しみを。

み空に青く、新しき国は見える、おまえの手で、あそこに、神の宮をきずこう。

いまはかたく 舵をはなすな、目標を見失うな、顔をそむけるな。

ひたすらにすすむ あこがれのくにへ、 はや霊のひとみに 見ゆる岸辺、

神の国は近づく― 地はすでに消えた。」
(岩波文庫・草間・大和訳)

詩の訳のほうは、圧倒的に筑摩叢書の前田敬作先生よりも、岩波文庫の草間・大和ペアに軍配が上がる。nikkouはドイツ語はわからないけれど、日本語の感覚だけでいえば、名訳だと思う。

み空に青く、新しき国は見える、おまえの手で、あそこに、神の宮をきずこう。

いいねー。誰か曲をつけてよ。賛美歌ふうじゃなくって、どちらかというとコンテンポラリーふうなの。トータルプレイズみたいな感じで荘厳に、かつドラマチックに。

 こないだの日曜日はリトルライトの練習日。
ところが、いきなり当日、ギターのM牧師が「ボク、今日、自分のライブがあるんだ」と言うではありませんか。えー、聞いてないよー。伴奏は思いっきりギターに頼るつもりでいたnikkou、あわてて往復1時間半の家までカラオケCDをとりに戻りました。
 さらに唯一のテナーのメンバーから「今日はお休みします」の連絡。たしかに年末で忙しいのはnikkouだけじゃありません。やれるのか、リトライ…!? と、にわかに不安に襲われました。
思い余っていつもnikkouを応援してくれる友人にメールしたところ、「なんとかなるよ。自分も祈ってるから、主にゆだねよう」…と、一瞬、とっても無責任に聞こえる返事がきた。まあ、とはいえ一応nikkouも数年間ながらクリスチャンをやってきております。だから、それが無責任どころか最善の手段であることも、経験上、分かってはおります。腹くくって祈りました。「イエス様、リトルライトを、どうぞあなたの好きにしてください。リトルライトをあなたに任せます」。

そうしたら、少し冷静になった。リトルライトの基盤はnikkouじゃなくって主ご自身だ。主が「歌って」というなら胸をはって歌おう。
そもそもリトルライトは営利目的のゴスペル教室でなければ、教会の広告塔でもない。ただ、讃美する仲間の輪(サークル)だ。だから別にキリキリする必要なんてないんじゃないか。思い悩むなnikkou、ちょっと肩に力入ってるぞ。

やがて、メンバーがひとり到着。デュエットできる歌ということで、アメージンググレイスのアカペラにチャレンジしてみました。やがて、もうひとり到着。3人でハモるアメージンググレイスはなかなかいいもので、人の声っていいなあ、アメグレって名曲だなあと、自分らの声で自分がしみじみ癒されている1時間になりました。nikkouの舵取りでは23日のクリスマス会用の歌を練習するつもりでした。主の舵取りはまた別の方向だったみたい。

ひたすらにすすむ、あこがれのくにへ、

ギターなくても大丈夫、カラオケCDさえ不要でした。それどころか、楽しかったよ、アカペラ。
「これ、リトライのレパートリーにしようー!」と急に調子づいているnikkouでありました。

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November 20, 2006

韓国に行って参りました!

『眠られぬ夜のために』第二部

「11月17日

(前略)
神の信奉者たるものは、あくまで善の領土にとどまるべきであって、悪の領土にも留学してみようなどという気を起こしてはならない。でないと、悪の吸引力に負けてしまうからである。(以下略)」

(筑摩叢書:前田敬作訳)

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17日金曜日から本日まで、ゴスペル仲間11名と韓国親善旅行に行って参りました!
濃厚濃密3泊4日! 熱かったです、韓国。
4,5回連続で、韓国旅行のご報告、させてください。

初日、ソウル到着後、即行、新林洞南ソウル中央教会へ。
金曜夜は祈祷礼拝とのことで、礼拝の特別讃美をしました。
夜9時であります。
でありながら、席数100人ばかりの教会が満杯でありました。われわれが到着したときには、すでに讃美が始まっておりましたが、その讃美たるや…。

…早稲田大学校歌…? 

つまり、ッタタラー、ッタタラー、タッタカ、タッタッターなリズムの、2拍子でクラッピング、正面に立ったおじさんが握りこぶしを上下に振りながら、朗々と歌っておりました。そんな讃美が続けざまに3曲。讃美がおわって、さっそくわれわれがみなさんの前に呼ばれました。「あにょはせよー、ハレルヤー!」とご挨拶すると、一同そろって、「あーめーん」と返ってきてこれまた、びっくりでした。どうも、この教会では、「ハレルヤー」と言うと、「あーめーん」と返す習慣らしいです。

韓国語に翻訳して覚えたメンバーのえっちゃん作詞作曲の「We are one」と、やはりメンバーのまりちゃん作詞作曲の「主は道をつくられる」を讃美いたしましたが、みなさんあの、タッタカタッタッターのリズムで手拍子をなさるので、ゴスペルのリズムとビミョーにずれながらのハートウォーミングな讃美でありました。

われわれの讃美のあと、説教台に立ったのは、若い副牧師。彫りの深いハンサムな人でありました。聖書の一場面、ダビデとゴリアテの戦いをひとり芝居し、強調するところでは、「カーーーーッ」と喉を鳴らす。…これは、まさに黒人教会の黒人牧師の礼拝説教にそっくりであります。黒人教会と違うのは、聴衆が立ち上がってわーっとならないところだなあ…と思いながら聴いておりましたら、…
突然!
「キドヘヨー!チュヨー、チュヨー、チュヨー!」(祈祷しましょう、主よ、主よ、主よ)という副牧師の絶叫とともに、バチバチバチッと電気が消えて(まさに「消灯!」という感じだった、とあとで仲間たちと衝撃を語り合いましたが)、そこは、絶叫の海。「チュヨー、チュヨー、チュヨー」という叫びに満たされました。
…しかしnikkou、もう驚きませーん。
黒人教会で十分、免疫ができております。熱いなあ、すごいなあ、と感動に包まれて、暗がりにうごめく人びとを眺めていると、そっと通訳の方が来られて「これが深夜まで続きますので、どうぞ、日本の方は食堂においでください」とおっしゃいました。
深夜までですか、深夜ですか、そうですか、…すごいエネルギーであります。
チュヨー、の叫びの海の真ん中を、出口に向かって歩いていくと、まるで非日常、まるで異次元、ああ、異文化…でありました。

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November 16, 2006

神の恵みはむだではなかった

『眠られぬ夜のために』第二部

「11月1日

『コリント人への第一の手紙』
わたしは、神の恵みによって、今日あるを得ている。
そして、わたしにあたえられた神の恵みは、むだではなかった。(以下略)」

(筑摩叢書:前田敬作訳)


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先日のリトルライトの練習のとき、伴奏担当の牧師先生が「プレゼントでーす♪」とみんなにCDを配ってくれた。彼のライブラリーから、リトルライト向けの音源を29曲も集めて、マックで一枚一枚焼いてくれたらしい。
 帰宅後聞いて、おおおー、と思った。
これは新鮮。

今までnikkouは、人数が20~50人くらいの大規模のクワイアーに所属していることが多かったし、クワイアーのディレクター(指揮者)も若い人が中心だから、聴くゴスペルも、その影響をもろに受けて、コンテンポラリーの大編成ものが多い。そのほとんどが、ダイナミックな音量とハーモニーで、個性的なソリストが濃厚に聴かせるタイプ。カーク・フランクリンとか、ヘゼカイア・ウォーカーとか、さもなければ、マリーマリーとか、映画『天使にラブソングを』のサントラミュージックみたいに、おしゃれなの。

でも、先生オリジナルCDは、たぶん、ちいさな黒人教会で、ふる~くから歌われてきたんだろう、と思うような、シンプルで、素朴な歌ばかりだったのでした。
ほとんどがアカペラで、時々ギター伴奏つき。
黒人のおばちゃんおじちゃんが、だみ声で、「う゛え゛ぇぇぇ~」って感じで歌ってるのとか、
カントリーっぽい伴奏で「じゃんじゃかじゃかじゃか、じゃんじゃかじゃかじゃか、ヘイオーレ」なのとか、
あるいは、アカペラ一本ハーモニー勝負、これがすごーく若々しい素直な声で、おもわずウルっときちゃうようなシンガーズとか。
ひとことでいうと、…シブい。

じつはM先生、市販のゴスペルオムニバスCDの解説とか歌詞カードとかを書いたり、自分でもバンドを持っているアマチュア・ソウル・シンガーだったのであります。

「これ、リトルライトでもやりたいな」「あ、これも」と、曲名リストに○をつけながら、つくづく思った。
「神様って、すげー。」

リトルライトのみんなには、申し訳ないんだが、立ち上げた当初、
友人たちから「うちの教会に歌いに来てよ~」とか「コンサート楽しみにしてる!」とか言われるたびに、
「いやー、しょぼいんでね~」と申しておりました。
どこのクワイアーも専門知識を身につけたゴスペルシンガーをディレクター(指揮者)や伴奏者として招聘(しょうへい)しているのに、リトルライトは、最後までそういう人が見つからなくって、なにもかも「自前」だもんだから、およそ他人様に見せられるもんじゃないんだって思っていたのでした。

でも、今になって思います。

まちがっておりました、nikkou。

「自前」であること、それこそが、リトルライトにとって、主からの祝福だったのでありました。
だって、そのおかげで、どこのクワイアーでもシンガーズでも歌ってないようなゴスペルを、
アカペラやギターのアコースティックな音で、自由にやれるんだもの。
そう、どこにもないシンガーズ。
リトルライト・オリジナル。

かつてnikkouは、
主イエスの「野の花、空の鳥をみよ」というメッセージとか、
パウロの「主の恵みはわたしに十分である」という証しとかを、
「足るを知れ」「分相応でがまんしなさい」っていうことかな、って思ってた。
でも、それは違ったのかも、と、最近思う。
nikkouが望むようなことなんて、ちっちゃいちっちゃい、
もっと大きなことを、神さまは考えているんだよ、
ちっちゃいところにこだわってないで、神さまのでっかい計画に気づきなさいよ、
気づかないのは、「恵みを無駄にしている」ってことだよ、
…ということなのかもしれない。
実際、主イエスも言ってる。「求めなさい、そうすれば与えられます」―それって全然、がまんしろ、って話じゃない。
求めていたら、世界にたったひとつのシンガーズが生まれていたよ。

Sweethoneyintherock_1
ちなみに、今のとこ、nikkouの夢は、
「Sweet Honey in the Rock」というシンガーズの「Beatitudes」(マタイ福音書5章をそのまんま歌詞にしたそれこそスウィートなゴスペル)をアカペラでハモれるようになることです。
(といったら、M先生「簡単だよ~」とあっさり。意外に早く実現するかも!?)

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October 16, 2006

リトル・ライトの輪を忘れないでいよう

『眠られぬ夜のために』第二部

「10月16日

神を愛するすべての人びとにとっては、
神は人生のいくつかの事実を通じて感得し、経験することができるであろう。」

(筑摩叢書:前田敬作訳)


お祈りくださったみなさま、応援してくださったみなさま、
本当に、ありがとうございました。

昨日、リトル・ライト、初コンサートを終えました。

リトル・ライトの名にふさわしく、ささやかな、でも暖かなコンサートでした。
nikkou自身はあがってしまって、オタオタしっぱなしだったにもかかわらず、
出演したメンバー5人、みごと全5曲歌いきりました。
ちいさいけれど、ゆるぎないともし火、でした。

ゲストのチョイス・ノイズ・シンガーズにも、本当にありがとう。nikkouが最後に聴いたときより、格段に腕があがってました。
でも、なによりもすばらしかったのが、リーダーのともちゃんのMC!堂々たるPreacherぶりでした。シンガーズを始めるとき、ともちゃんは、
「大事なのは、自分を、シンガーズのみんなと神さまの間にいて、みことばを通す管にしてください、って祈る事だ」と教えてくれました。
昨日は、身をもって示してくれていた。ありがとう。

目をつぶれば、お客さん全員を思い浮かべることができる。どこにだれが座っていたかも。お客さんは全部で14人。お客さんみんなと、チョイス・ノイズと、リトル・ライトで、最後に、「主我を愛す」を手話讃美しました。
手のひらがくるくると舞って、とてもきれいだった。
これがきっと、リトルライトの原風景になるんだと思う。
ひとりひとりの顔が見える、ちいさくても確実な、人の輪。忘れないようにしよう、と思った。

・・・実は、帰り道、漠然と、この先、どうなるのかな、という不安に襲われました。

主は、なにをしたいのだろう。
こんなにもささやかなのに。こんなにも小さい光なのに。なにができるのだろう。

いま、nikkouがしたいこと。
ただ、恩返しをしたい。
わたしは、ゴスペルを通じて、主イエスを知った。
主イエスに出会えて、本当によかった。
だから、同じように、だれかに主イエスを伝えたい。
べつに、教会を大きくしたいとか、クリスチャンを増やしたい、とか、
そんなことは、全然、考えていない。
ただ、どこかで、だれかが、讃美の歌が伝えることを聴いたり、口ずさんだりして、
なんとなく、勇気付けられたり、安心したり、してくれれば、うれしい、と思う。
そんなふうに、用いてもらえるのだろうか。

帰宅して、録音しておいた、コンサートを聴きました。
数回の練習だったにもかかわらず、歌詞もハーモニーも見事でした。
神さま、もし、みこころにかなうのであれば、このシンガーズを祝福してください。

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October 14, 2006

いよいよ明日!

『眠られぬ夜のために』第二部

「10月14日
『エゼキエル書』第37章。
ここにいわれているようなことが、いまにふたたび起こるであろう。
「枯れた骨」とは、現代の教会を意味する。
しかし、上からの息が、すでにかれらの上に吹きわたり、
これらの死に果てたもののなかに、動く音がしはじめている。」

(筑摩叢書:前田敬作訳)

200610141206000


ゴスペルコンサートの前に緊張するなんて、
実に何年ぶりの経験だろう。

いよいよ、明日、川崎リトルライトの初コンサートです。
ウェルカムボードも、プログラムも準備できました。
少人数ながら、メンバーのハーモニーもスマイルもパーフェクトです。
ゲストのチョイス・ノイズ・シンガーズには、本当に感謝。
ひとりひとりのメンバーの上に「上からの息」が吹きわたるようにお祈りください。

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September 23, 2006

ゴスペル・コンサート、やります!

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日時:10月15日(日)午後2時~3時
場所:川崎教会 (川崎市川崎区本町1‐4‐13)
入場料 無料

いろいろと不安もあるけれど、
みんな祈っててね~

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September 19, 2006

Oh Happy Day!

「9月17日
神の恩寵にあずかっているという意識のほかに、義務をはたしたという意識も、この上なく強い幸福感をあたえてくれる。前者は、恩寵というものはつねに受ける資格もないのにあたえられるものであるから、自分でつくりだすわけにはいかない。しかし、後者は、自分でつくりだすことができる。それは、まったくあなた次第なのである。」
(筑摩叢書:前田敬作訳)

20060708223129
ごぶさたしておりました。
この連休は、ゴスペルの父、エドウィン=ホーキンズが来日、そのワークショップと月曜日のフェローシップコンサートに参加しておりました。
エドウィン=ホーキンズ氏は、かのゴスペル映画『天使にラブソングを2』に歌われた「Oh Happy Day」の作者で、日本にゴスペルをはやらせた張本人のひとり。
今年は、ゴールデンウィークにもドニー・マクラーキンが来日してたし、ゴスペルの大物来日の当たり年だね。

エドウィンの歌うゴスペルは、「Oh Happy Day」にも代表されるような、カラリとして平明な調子のものが多い。歌声も歌い口もさらっとしていて、何を歌ってもなんとな~く湿度のあったドニーと対照的。地味な色のジャケットを羽織って満面の笑みで指揮をする様子は、中学校の音楽の先生、って感じです。正直、nikkouは、エドウィンが大好きです。

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ワークショップの歌は、知っている歌も知らない歌もあったけれど、何を歌っても、なんだか胸がきゅーっとするような懐かしい感じがしました。そして、なぜか、オアシス・ゴスペル・クワイアー(わたしが初めてゴスペルを習ったクワイアー。もう今は解散しちゃって無いんだけれど。左がその最後のクリスマスコンサート。)の風景が、何度も何度も頭に浮かびました。なによりも、あの頃の気持ちが胸いっぱいによみがえってきました。
難しいこと、面倒なことをなーんにも考えないで、ただ、ただ、歌うのが楽しくてうれしくて仕方なかったころ。
ゴスペルが、わたしにとって「主からの、一方的な、無償の愛」というものを実感できる一番簡単な方法だったころ。
普段は理屈っぽい私が、「私からはなにもしてないのに、神様が一方的に私を愛してくれる」ということを、理屈抜きではっきり感じることができたあのころ。
主と自分との関係に思いっきり没頭していたころ。
……自分でもちょっと気づかなかったのですが、いつの間にか、そういう純粋な喜びから遠ざかっていたような気がします。最近は、どこで歌っていても、雑念が沸くのよね。周囲が気になったりね。なんでかね。

月曜日のコンサートはじつに2000人のゴスペル愛好者が参集。オアシス解散後、あちらこちらにちらばっていた友人たちと次々に再会して、これがまた、「初心」に帰る思いでした。

コンサートの最後は、みんなで「Oh Happy Day」を大合唱しました。「Oh Happy Day! When Jesus washed, my sins are washed away. He taught me how to watch, fight and pray」というシンプルな歌詞なのだけれど、 もう、結局、ゴスペル歌ってて幸せな理由はこれだけなのよね。

今回のコンサートのメッセージは、ドニーマクラーキンのときも大活躍だったあの波多康先生。「なんでOh Happy Dayなんか、ちゅーと、もう、自分はひとりやあらへん、イエス様、僕と一緒にいてはる、神さまが愛してくれてはる、って分かったからなんやと思います。」とおっしゃってました。アーメンです。主に命を与えられたから、わたしは、この世界に両足で立っているんでした。ゴスペルを通じて、わたしにはそれが分かったんでした。

ひさびさに本気でぴょんぴょん飛び跳ねながら、Oh Happy Dayを歌いつつ、「ああ、わたし今死んでも全然、悔いはないわ」と思いました。そう思ったのも、また久しぶりのことでした。

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September 06, 2006

Seek ye first

Seek ye first the kingdom of God
And His rightousness
And all these things shall be added unto you
Hallelu hallelujah

神の国と神の義を
まずもとめなさい
すべてのものは与えられる
ハレル ハレルヤ

川崎のゴスペルシンガーズの名前が決まりました。

川崎リトル・ライト・シンガーズ(川崎little light singers)

繰り返しますが、
毎月第二・第四日曜日 2時から3時まで
川崎教会礼拝堂にて練習中。
年齢・音楽経験・信仰の有無、問いません。
どなたでもどうぞ。

で、いま、練習しているのが、上の「神の国と神の義」。
ネットからダウンロードした音もひとつ持っているんだけれど、
どっかの黒人教会で、小学生くらいの子供のとなりにMDをおいて録音した感じの、すごーくアットホームで素朴でかわいらしい録音。
通勤車内で毎日聴いています。

初めて聴いたときは、「なんのこっちゃ」だった1曲ですが、
最近、妙にひりひりと沁みます。

じつは、最近、すごく親しかった友人が、すごくおっかない。
なぜだ。
原因は、nikkouか?…思い当たるふしがあるような気もするし、
それ以外に原因があるような気もする。

どーしたもんかなーと思っているときに、ふっとこの曲が分かった気がした。
今、この友の歓心を買おうと、あの手この手で媚びるよりは、
この場合の「神の国」でなされること、「神の(正)義」はなにかを教えてください、と
マジに祈ったほうがいいのかもしれない。
「神の(正)義」は「nikkouの(正)義」ではないんだろうな、というのも、うすうす分かっている。
あんまり直視したくないが。
まあでも、Seek ye first(まず探せ)であります、がんばります。
「すべてのものは与えられる」っていう約束はこの際、信じるしかないだろう。

初めてこの曲を川崎リトルライトでやったとき、
「なんのこっちゃ、という歌詞ですが、そのうち分かってくると思います」
と適当~な解説をして、横で牧師が吹きだしました。(でもいつも黙ってギターを弾いてくれるM先生、ありがとー!)
おかげさまで、ちょっと分かりかけてきました。
なんか、痛い分かり方ですが。

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August 25, 2006

いつでもどこでもだれとでも

『眠られぬ夜のために』第二部

「8月25日

この世の霊と不安とは、なおいぜんとして、ときには全く突然に、あなたを襲うであろう。
これらのものの地盤は不和であって、そこから養分をとって栄えるのである。
(中略)
この世の恐れに対して平安をうる道は、ただ、キリストと密接につながることのほかにはない。
(中略)
最もすぐれた哲学でさえ、いつも不安であるか、厭世的である。(以下略)」

(岩波文庫・草間・大和訳)

Sooners
わが教会の友人K子さんは、統合失調症を患って精神科に入院、毎週日曜日ごとに外出許可をもらって病院から礼拝に通ってくる。
そのK子さんに誘われて、今日、SONNERSというバンドのロックライブに行ってきた。といっても、おおがかりなものではなく、精神病の方のためのデイケアセンターの催しで、近所の市民会館の音楽室にて、アコースティックギターやハーモニカをかかえた爽やかなお兄さんたちの、ボランティア・ライブでありました。レパートリーは、財津和夫の「こころの旅」やら坂本九の「上を向いて歩こう」やらをはさみつつ、彼らのオリジナルソング中心。アマチュアとは思えぬなかなかの実力で、とても楽しかった。

SOONERS、地元ではたいへん人気のあるストリートミュージシャンだそうで、28歳のキュートな(と言っては失礼か。nikkouも、もうミソジなもんでつい。)5人組。20歳のときからバンド活動を始めて、バイトで生活費をかせぎつつ、ストリートライブで音楽活動を続ける日々、「8年間就職活動をしているようなものです」とはにかんでおりました。

いま思えばとってもあつかましいのだけど、デイケアセンターというのは、要するに、公共福祉サービスなわけですね。nikkouはこのデイケアセンターとは全く関わりがないのにもかかわらず、K子さんと一緒にすました顔で利用者さんたちにまじり、…というか、利用者のひとりのような気分で、ライブを楽しんでおりました。なぜか、誰何され、追い出される不安がなーんもなかったんであります。nikkouのあつかましさの勝利か、はたまた、K子さんへの信頼ゆえか。きっと、デイケアセンターのスタッフさんは、「なにもの?」と思っておられたにちがいありません。

そういえば、nikkouも時々、ゴスペル仲間と、病院やデイケアセンターに行って歌っております。今日は偶然、観客側だったわけでありますが、聞き手にまわってみると、ボランティア・ライブってのは、とても楽しいものだということが分かった。お金を払って楽しむいわゆる「コンサート」や「ライブ」よりもパフォーマーとの垣根が低くてとってもうれしかった。これは、まあ、SOONERSのメンバーの人柄やパフォーマンスの質にもよるんだろうけれど。彼らは、まったく気張った様子もなく、自然に観客と交わり、観客のほうがうれしくなっちゃうような気持ちのよい表情で粒ぞろいの素敵な歌を歌っていました。われわれゴスペラーたちも、気張らず構えず、いつでもどこでもだれとでも、ともに音楽を楽しむことができることができますように。

ちなみにK子さん、わが川崎のゴスペルシンガーズのメンバーのひとりなのですが、SOONERSのメンバーたちに「ゴスペルはやらないんですか?もったいない!とっても上手なのに!」とゴスペルを歌うよう盛んに薦めておりました。K子さんのゴスペル愛も伝わってきて、これもまたうれしいひとときでありました。

さて、その川崎ゴスペルシンガーズ、第3回目のリハーサル、あさってです。
「神の国と神の義」「Go Tell it on the mountain」「This little light of mine」と、できればアルプスの少女ハイジより「おひさまの歌」という讃美をやろうと思います。2時から3時まで。どなたでもどうぞ。

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July 30, 2006

ゴスペル・シンガーズ、スタートしました

旧約聖書・士師記7章2節3節

「あなたの率いる民は多すぎるので、ミディアン人をその手に渡すわけにはいかない。
渡せば、イスラエルはわたしに向かって心がおごり、
自分の手で救いを勝ち取ったというであろう。
それゆえ今、民にこう呼びかけて聞かせよ。
恐れおののいているものは帰り、ギレアドの山を去れ、と。」

(新共同訳)

みんな、ほんとうにありがとう。
今日、一緒に讃美してくれたみんな、
お祈りしてくれたみんな、
アドバイスをくれたみんな、
励ましてくれたみんな、
ありがとう。

とうとう、本日、舟出いたしました。
ちいさな、ちいさなシンガーズですが、
神さまが祝福し、用いてくれる事を祈ってやみません。

思いがけず、11人もの友人たちが集合。
讃美の歌声も、初めて集った同士とは思えないほど一致していました。
「わたしたちはキリストの身体」ということばを思い出しました。
だれが手で、だれが足で、だれが目で、だれが耳で、だれが鼻かしら。
これから、ひとりひとりの賜物がきらきらと生かされることと思います。
とっても楽しみ。

nikkouは朝から緊張しっぱなし。
教会のコピー室で歌詞のプリントをコピーしながら、ドキドキわなわなしていました。

でも、みんなの前で、
「主我を愛す」や、「Go tell it on the moutain」をリードながら、
ふと、最前列で歌っている70代のわが教会の長老さんを見たとき、
はじめて、「ああ、神さま、ありがとー!始めてよかった!」と思えた。
すっごい笑顔だったんです、おじいちゃん。

アドバイスをくれた友人のTOMOちゃんも、
あまたの難関をのりこえて自分の教会でクワイアーを立ち上げた一人なのですが、こんなことを言ってました。

「もー、毎回がけっぷちョ。
でも、振り返ると、いつも思うの。
『かみさまーっ!ありがとー!』って」

いま、nikkouはその心境です。
かみさま、ありがとーっ!

上記の士師記、たまたま先日、聖書通読で行き当たった箇所です。
ギデオンという戦士に、神さまはあえて兵力を減らすよう命じます。
自分の力で勝った、と思うことのないように。

これが、
「nikkouがおごらないよう、わたしにすべて任せることができるようになるよう、
お前の乏しい能力だけで、シンガーズの舟出をさせる」
という神さまの愛の言葉に聞こえました。
OK,がんばりすぎないよ。
神さま、あなたにゆだねる。
約束します。

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July 23, 2006

不安になったり、悲しんだりしないがよろしい。

『眠られぬ夜のために』第二部

「あなたが、しばらくの間、真にたのしい気分になれないことがあっても、
なおその時、神とわれらの主に対して、完全に愛と信頼の正しい間柄にあるのだったら、
不安になったり、悲しんだりしないがよろしい。
それは、精神的進歩の新しい良い段階への、生みの苦しみなのだから。」

(岩波文庫:大和・草間訳)

水曜日、会社を休んで、
八王子の無教会の礼拝に出席。
というと、すーごく熱心なクリスチャンって感じですが、
実は、かなりミーハーな理由で出席してきたのであります。

先日、徳島聖書キリスト集会の独立伝道者である吉村孝雄さんが、北海道から礼拝しながら南下中との情報をゲット。
この「吉村孝雄」というお名前は、無教会クリスチャンの友人たちの間では、ほんとによくささやかれるので、
どんな人だろう…という好奇心で出かけてみたのでした。

お話は詩篇の32編と33編。
正直ありふれた詩だと思っていたものを、生き生きと喜びに満ちた詩として解説されたことに感動を覚えつつも、
一番おどろいたのは、吉村さんの讃美のありかたでした。

無教会の方は、直立不動で歌詞を凝視しながら讃美をする傾向がある、…らしい。
でも、吉村さんは、手話を使って、全身で讃美をしていました。
もともとろうあ学校の理科の先生だったということもあって、手話が体になじんでおられるんでしょう。
讃美歌集は片手に持ちつつも、「主よ」という歌詞になると、さっと天に手を差し伸べる様子は、ゴスペル仲間の歌い方そのままで、うれしい気持ちでいっぱいでした。
みんなにも手話讃美をシェアしてくださいました。

さらに、ノートパソコンをスピーカーにつないで伴奏も自由自在。
そのノートパソコンには、「讃美歌」「聖歌」「リビングプレイズ」「こども讃美歌」などから数百曲の讃美がプログラムされているとのこと。
しかもそれは、重度の障害をもっている方が、口ひとつで8年の歳月をかけて入力したそうです。
「だから、ぼくは、どんな曲でも自在に弾けるピアニストをつれて歩いているようなものです」とにっこり。

このプログラムをされた方は、男性で、
医師の誤診のため、処置が手遅れになって、首から下は動かないという障害を負われたそうです。
障害を負った当初から7年間は、激しい怒りとうらみに燃え、ヘルパーさんもなかなか居つかないという恐ろしさだったとのこと。
しかし、病院で同室だった方、病院スタッフの方にクリスチャンがいて、
彼らに導かれて、主と出会い、怒りから解放され、
讃美をパソコンに入力する、という働きを与えられるに至ったということです。

それも、とても見事なプログラミングで、
伴奏のハーモニーもかっこよければ、音もきれい。

いやはや、不思議なものだわーというお話でした。

ちなみに今日は、やはり無教会の「北野台聖書集会」に出席。
キルケゴール『死に至る病』をサブテキストに、
絶望ということと、信仰を通じての解放、ということを学びました。

なんか無教会づいてますが、
来週は母教会にて、シンガーズ、スタートです!

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July 20, 2006

ゴスペルシンガーズをはじめます!

『眠られぬ夜のために』第二部

「7月20日

自分勝手にいろんな計画をめぐらしたところで、たいていはなんの役にもたたない。
待つこと、そして、神があたえられる機会に注意をおこたらず、
それが訪れたならば、すばやく、よろこんで、十分な心がまえをもってそれをつかむこと
――こうすれば、成功が得られるのである。」

(筑摩叢書:前田敬作訳)


そうなのよ、そうなのヒルティ翁、nikkouもほんとそうだと思ってたのよ~という今日のメッセージであります。

というわけで、みなさま、勇気をもって公表いたします。とうとう、nikkouもはじめることにいたしました、ゴスペルシンガーズ。つまり「聖歌隊」です。以下、詳細でございます。

教会でゴスペル・讃美歌を歌おう!
―川崎教会ゴスペルシンガーズ結成のお知らせ&メンバー募集

Hallelujah!
このたびわたしたちは、川崎教会に場所を借りてあたらしく集い、ゴスペル・シンガーズを始めることとなりました。
そこで、随時メンバーを募集します。
ギター伴奏やアカペラの歌を中心に、子供たちから若者もお年寄りも一緒に楽しめる、愛らしい讃美歌、ゴスペル、ワーシップソングなどを歌います。
歌う人も聴く人も、こころが元気になったり気持ちが慰められるような、そんなグループをめざしています。
年齢、性別、クリスチャン・ノンクリスチャン、音楽経歴などは問いません。
楽譜が読めなくてもだいじょうぶです。耳で覚えてみんなと一緒に口ずさみながら自然に歌えるようになります。
歌が大好きな方お待ちしています。

名称    :募集中(候補 川崎Little light singers,川崎One Voice,川崎All Voices)
練習日時  :第2・第4日曜日 午後2時から3時
第1回練習日は、7月30日(日)午後1時半から2時半
(この日だけ、すこし早くに始めます。ご注意ください。)
場所    :日本キリスト会川崎教会 2F礼拝堂
住所    : 川崎市 川崎区 本町1-4-13
会費    : 一回500円

◎お子さんのいらっしゃるかた:託児室はありませんが、お母さんお父さんが歌っているそばで遊んでいる分には、まったくかまいません。
◎讃美歌やゴスペルの内容をよく理解するために、川崎教会牧師の高橋誠さんより、歌詞の解説があります。信仰を強制することはいっさいありません。
◎10月15日(日)午後2時から3時にこのグループでコンサートを予定しております。みんなで口ずさめるような、簡単だけれど楽しい歌をたくさん歌います。ご家族ご友人をお誘いください。
◎ご参加ご希望のかたは、このブログのコメント欄にメッセージをお残しください。追ってご連絡いたします。直接礼拝堂においでいただいても結構です。

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June 03, 2006

神の郵便配達人

『眠られぬ夜のために』第二部

「5月29日

・・・われわれが出会う人たちは、しばしばわれわれのもとにつかわされた使いであり、
神の郵便配達人なのである。
神は、通例こういう人たちを利用されるのがつねである。
しかし、むろん、反対の霊の使者であることもある。

しかしあなたは、かれらにたいして、
どちらの霊の使者であり、郵便配達人であるだろうか。」

(筑摩叢書:前田敬作訳)

200606031428000
今日は、今井館にて、月一回の「さんびとお話の会」(講師:武義和)。
前回もとても楽しかったけれど、今日はまたさらに楽しいひとときでありました。
今日はノルウェーのマグネさんという男性(写真)と、オーストラリアのレベッカさんという女性が参加。
ふたりとも、nikkouの出身大学・出身学部・出身学科の大学院生ということで、
先生の噂話などちょっぴり花がさきました。
マグネさんは大江健三郎を、レベッカさんは源氏物語を、研究中とのこと。
このブログを見てくれているわが日本文学科の友人たちには、おふたりを知っている人もいるかも。

今回賛美したのは、武さんが日本語に翻訳したノルウェーの賛美と、武さんの作曲した詩篇。
よく、こころが疲れているときなどにゴスペルを歌うと、ふっと泣けたりするものですが、
今回は結構元気な時だったにもかかわらず、うるっときてしまった。
nikkouのツボを押す曲だったようです。

Map
ノルウェーの歌は、マグネさんが原語でも歌ってくれました。
じつは、nikkou、ノルウェーの方には初めてお目にかかりました。ノルウェー語も新鮮。微妙な巻き舌とか、子音の感じとか、耳慣れない感じで面白かった。

ノルウェーのことに関して、今日武さんがひとつ、
とても印象深いお話をしてくださいました。

武さんが初めて家族でノルウェーに渡ったときのこと、
ある田舎町の教会を訪れると、
一人のおばあさんが、ぽろぽろと涙を流して歓迎してくださったのだそうです。
そのおばあさんは、ノルウェーの伝道者が日本に伝道に行くと聞くと、必ず献金をしてきた。
日本のためにも祈ってきた。
でも、日本人に会ったのは、今日が初めてだ。
とてもうれしい、とおっしゃったのだそうです。

Hyouhakunoruwanda_1
…このお話は、今、ルワンダのために祈っている自分にとってはひとつの「啓示」でありました。
ノルウェーと日本は遠い。でもそのノルウェーのおばあさんは、神様を通じて日本とつながっていたんだ。
nikkouも、ルワンダに行く医師団のために献金をしたり、祈ったりしている。でも、ルワンダの人に会ったことはない。
『漂泊のルワンダ』(吉岡逸夫)や、『哀歌』(曽野綾子)などを読んだけれど、
Aika_1
そこに書かれているのは、日本で産まれ育った自分には、にわかに信じがたく、また理解もしがたい混沌である。
というか、この私が、ルワンダの貧困や不安が「分かる」なんて、どこか傲慢な気がする。
「哀歌」の中でも、日本の修道女が現地の修道女に「先進国の人間になにが分かる?」と罵倒されるシーンがあるのだ。
しかし、「哀歌」では、修道女たちがくり返しくり返し、こうも言う。
「神様はぜんぶ分かっている」

一応クリスチャンのnikkouでありますが、
ときに、「『神様』って本当にいるんだろうか」という思いに襲われます。
それでも、時々自分に理解しがたい、と思うことを見聞きすると、
「すべてを分かっている」という存在に思いを馳せて、その壮大さにぞわっとする。
最も小さな者…ルワンダの赤ちゃんや、ノルウェーのおばあさんや、nikkouなど、…を「すべてわかっておられる」からこそ、主は、最も大きい。そう思うと、はるけきルワンダを祈る無力感が、すーーーっと遠のく。

さて、今日紹介したヒルティの、あなたが出会う人は「神の郵便配達人」だし、あなたも「神の郵便配達人」だ、という発想は、新約聖書に出てくるパウロという人の言葉に似ている。

「あなたがたは、キリストからわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。
墨ではなく生ける神の霊によって、
石の板ではなく人の心の板に、
書き付けられた手紙です。」(
コリント信徒への第二の手紙2章3節)

武さんファミリーは、ノルウェーのおばあさんにとって、神様からの手紙、神様の郵便配達人だったし、
ノルウェーのおばあさんは、nikkouにとって、神様からの手紙だった。
網の目のように、いろんな出会いが、いろんな心に届く。

200606031618000
先日、友人のたまちゃんが、ゴスペルを通じて思いがけない出会いがあり、思いがけないことが実現したりする、ということを書いてた。(出会い…神様の意図
それは、nikkouもよく経験するんだ。今日の出会いも、主がなんか仕組んでいる気がしたよ。

次回は、7月1日が、今年の「さんびとお話の会」最終回です。
1時半から今井館にて。参加費300円。
ぜひどうぞ。

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May 07, 2006

まさにゴールデン・ウィークwithドニー・マクラーキン

『眠られぬ夜のために』第二部

「5月4日

(前略)
『マタイによる福音書』第5章から第7章までを読んで、
『そうだ、これこそ宗教の永遠に妥当する真髄(しんずい)だ。
わたしは、これを実行しているという勇気はないが、これを実行することを願い、
また努めよう』
とみずからに正直にいえる人は、たとえ現存のいかなる教会に属していなくても、
これこそ真のキリスト者なのである。
(以下略)」

(筑摩叢書・前田敬作訳)

200605041633000
ゴールデンウィークの間、ドニー・マクラーキンのゴスペルのワークショップ(期間限定のレッスン)に参加していた。(写真は休憩時間中)。目の前で、ドニー・マクラーキンのナマ美声が聴ける日々。クワイアー(聖歌隊)の歌いだしもわすれて、惚れ惚れと聴きほれることもしばしばでありました。
400名強のクワイアーを一気にひっぱりこむエネルギーもまた圧倒的で、つい心が沸きたって、練習中、nikkouは、とりわけ飛び跳ねていたかもしれない。

忘れがたいのは、「Holy」という1曲である。
初めてドニーがこの歌を歌ったとき、メロディも歌詞も知らなかったnikkouは、ただ、目を閉じて聴いていた。
ドニーがアメリカから率いてきたシンガーたちがドニーに和して、
まるで風のようなハーモニーが、天から降りそそいでいるように感じた。
やがて、会場から、歌える人たちが声を合わせてゆき、
目を閉じていると、なんだか歌声の中に浮かんでいるみたいだった。
ドニーの声が、深い実感を持って神を讃えていた。

「最後の審判のラッパが鳴って天国が来る」なんてことが本当にあるのかどうか、わからないけれど、
このとき、すでに天国にいるような気がした。
音楽は―とくに、最上の存在を讃える音楽は―天の音楽のようだ、と思う。
とても幸せな一瞬だった。

今日は、ドニー・マクラーキンの説教で、礼拝。
ドニーがこぶしを握り締めて、なんともいえないうれしそうな顔で言った。
「ジーザスは、教会の四つの柱の中にこもっている方じゃなかった。
彼は、道を歩いているんだ。
歩きながら、悲しみ、苦しんでいる人を救うんだ。」

歩いているジーザス。
人びとと共に歩いている。

今日のヒルティも言う。
教会に属しているかどうかがクリスチャンの資格じゃない。
「『マタイによる福音書』第5章から第7章まで」というのは、イエスのメッセージのエッセンスが書かれているところであり、今回のワークショップで歌ったことでもある。
歌いながら、不肖nikkouも「ああ、本当にそのとおり」(=アーメン)と思わされたから、
さまざまに迷い、疑いながらも、やっぱりわたしはクリスチャンなんだと思う。

以下は、個人的な謝辞。

Continue reading "まさにゴールデン・ウィークwithドニー・マクラーキン"

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May 02, 2006

ドニー・マクラーキン コンサート

『眠られぬ夜のために』第二部

「5月2日

(前略)
…いまあるこの世界を真に救い得るものは、
いかなる科学的な啓蒙や教養でもなく、
分別ある愛が大いに増加することである。」

(筑摩叢書:前田敬作訳)

本日より、5月5日までの4日間、アメリカのグラミー賞シンガー、ドニーマクラーキンのゴスペルワークショップが行われる。nikkouも参加する予定。

ドニー・マクラーキン ワークショップ&コンサートin東京
Photo
ドニー・マクラーキンとは、ディズニー映画「Prince of Egypt」のサントラで「I am」を歌った人。
nikkouの個人的な印象では、甘くて耳なじみのいい美声の持ち主である。
作詞作曲もするのだけれど、難しい単語が無くて、素直な、美しい歌が多い。
ニューヨークの教会の牧師でもあり、近々ゴスペルシンガーの活動を停止して、牧師業に専念するらしい。
したがって、ニューヨークの教会に直接おもむかない限り、彼の美声をナマで聴けるチャンスは今回が最後かもしれない。

彼の歌で特に好きなのは、
「We Fall Down」というシンプルな1曲。今回のワークショップの曲目にも入っていてうれしい。

「倒れることもあるが また起き上がる

クリスチャンというのはひとりの罪人にすぎない。
倒れて また 起き上がる」

という歌詞のくり返しである。
かざりっけがないわりに、聴いているとなにかドラマチックな感じがする不思議な1曲である。

わがクワイアーでもよく讃美する「Just For Me」も彼の曲である。

「ただわたしのために、
ただ わたしのために、
イエス様は、ただわたしのために来て、十字架に架かられた」

というサビの部分のハーモニーがパートごとに複雑に重なって本当に美しい。加えてなんとも切ない歌詞で、いつも歌いながら涙が出そうになる。

明日の午前中はセミナーなのだが、
ヴォーカルレッスン、ピアノ、指揮者、歌詞の解説などあるなかで、
わたしは「ゴスペルの歴史」という講座を取ることにした。
午後はたっぷり2時間半、ドニー・マクラーキンを講師にゴスペルの練習である。
そして、今週土曜日の5月6日は、ドニー・マクラーキンとともに舞台に上って、コンサートをする。

Donnie_mcclurkin
日時 5月6日(土)
   17時 開場
   18時~20時 コンサート

場所 調布グリーンホール
   (調布市小島町2-47-1)
   京王線調布駅南出口より右手へ徒歩1分
   京王線新宿駅より特急で15分(交通費230円)

チケット 前売り 3500円
      当日  4000円
(ローソンチケットで購入可・前売りは、nikkouも多少持っています。ご希望の方はご連絡ください。)

nikkouも舞台に立ちます。
お時間とご興味のある方は、コンサートにぜひおいでください。

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April 06, 2006

新しい歌を主に向かって歌おう

『眠られぬ夜のために』第二部

「4月5日

(前略)
…キリストがたんに、いまから2000年前に生きかつ死んだひとりの高貴な人間にすぎないならば、かれはおそらく二、三の美しい主義・原則をわれわれにのこしてくれたかもしれないが、この原則を(しかも、いくらか異なった環境のもとで)守って生きる力や、それによってかれが経験したおなじような世俗との紛糾におちいったときの慰めは、のこしてくれなかったにちがいない。(以下略)」

(筑摩叢書・前田敬作)

19209102


4月1日(土)に、毎度のことながら今井館にて、「新しい歌を主にむかって歌おう」という講座に参加してきた。
下は1歳半のベイビーから上は定年後のおじさんに至るまで、のんびりと楽しい2時間だった。
歌ったのは、北欧で歌われている讃美の歌、そして、講師の武義和さんが作曲した水野源三の詩など。
ワークショップ形式で、5曲ほど讃美した。
合間合間に武さんの歌の解説などのお話が入るのだけれど、自然体でユーモアたっぷりで、よく笑った。

武さんご自身の、音楽大学に入って挫折を味わい「不登校」になった話、
高校で音楽の先生をしているとき、ノルウェーへの招致があって、すっぱり教職をやめてしまった話、
ノルウェーでの出会い、
帰国後はひきこもりや不登校の人たちのためのフリースクールを開いたこと…

「今でこそ笑い話」と武さんはいい、みんなもつられて笑いながら聞いたのですが、その場その時ではきっと、とても大きなチャレンジだったろうと思う。
そんな想いをもって紹介された1曲1曲は、とてもおだやかであたたかくて優しい気持ちになるものばかり。
中でもnikkouのお気に入りは、水野源三の「あなたをよんでおられるから」と、ノルウェーの歌「ジーザス・ドゥ・アール・コンゲ(=ユー・アー・キング)」。
また、成井豊・作詞、林あずさ・作曲の「ハッピーバースディ」という歌も歌った。
この歌に、「神」や聖書のことばは出てこないけれど、武さんいわく、「この歌は究極の賛美だ」。

ハッピーバースディ 生まれてきてよかったね
ハッピーバースディ 君にあえてよかったよ

大きな宇宙の小さな地球で
君は生まれた
きょう生まれた
僕のすぐそばで生まれた

君の目 君の声 君の笑い顔
みんなすてきだよ
ハッピーバースディ 生まれてきてよかったね
ハッピーバースディ 君にあえてよかったよ

なんか、親の歌う歌みたいだな~と思ったら果たして、あるダウン症障害児の会のテーマソングなんだそうだ。
そして、武さんが言うには、これは、神様がひとりひとりに対して思っておられることではないのか、と。
nikkouは韓国の有名なゴスペルソング「君は愛されるため生まれた」を思い出した。

歌っている間、それこそ「生まれてきてよかった~」といわんばっかりに、1歳児がきゃっきゃと走り回っていて、ぴったりな効果音でした。

もうひとつ、武さんのお話で印象深かったのは、
「新しい歌を主に向かって歌え」という、旧約聖書「詩篇」のことばの意味である。
これはただ単に、「新しく歌を作って歌おう」という狭い意味じゃないんじゃないか、
「新しくされた私たちが、賛美を歌おう」という意味じゃないか、とのこと。

と、いうことは、だ。
何度も歌ってきた歌であっても、そのたびに新しい感動をもって歌えば、「新しい歌を主に向かって歌う」ことになる。じゃ、毎週クワイアーでわたしたちは「新しい歌を主に向かって歌っている」わけよね。

ワークショップはあと3回。
1回300円
まだ人数は増えても大丈夫、とのことなので、
ご興味のある方はぜひ、どうぞ。
無教会研修所(新しい歌を主に向かって歌おう)

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March 22, 2006

デイ・ケア・センター讃美

『眠られぬ夜のために』第二部

「3月20日

愛がなければ、この世界は、どんなに多くの自然美や芸術や学問が存在していても、まことにみじめな不満足なものにすぎないだろう。
(中略)
…愚かな人は、神への愛がなくても、人間たちを、すくなくても二、三の人を「永遠に」愛し、そこに生涯の幸福を見出すことができる、と信じている。
(中略)
それがやや卑俗的な形をとる場合ですら、この方が神の赦しを受けられやすい。」
(岩波文庫・草間・大和訳)

ちょっと略しつつ引用したけれど、20日のヒルティの格言で言いたいことは、
神への愛が、一番、
まあ、でも人間を「永遠に」愛する、というスタンスも、享楽的に生きるよりは全然いいし、神様も赦してくれる、
…ということだと思う。

「神への愛」ってのはどういうことか、クリスチャンになるまで、さっぱり分からなかった。
「人を愛する」ってのも、恋愛とか家族とか友情なら分かるけれど、聖書のいう「愛敵」や「隣人愛」てのは、まったくの偽善だと思っていた。

最近、キング牧師の説教集や「白バラ」関連書をぼつぼつ読んでいるのだけれど、
なるほど、彼らは、「神を愛する人」たちなんだな~とつくづく思う。
「神を愛する人」にとっては、「愛敵」も「隣人愛」も偽善じゃない。
与えられる限りの理性と感性を総動員して可能にするんだと思う。
…可能に「してもらえる」、といったほうが、正確かな。
人間の力じゃ、やっぱり、不可能だ。

さて、今日は、中央線沿線にあるデイ・ケア・センターで、ゴスペルを歌ってきた。
「主われを愛す」や「君は愛されるため生まれた」、「Make us one」「大切な人」など、お年寄りの方たちにも耳になじみやすい歌を数曲、讃美した。
「主われを愛す」は、お年寄りのみなさんと一緒に歌った。
席の間に入って、顔を見合わせて一緒に歌い、握手を交わすと、
ふいにぽろぽろっと涙をこぼされる方が何人もいらして、
ついつられて、涙ぐんでしまった。

「大切な人」を讃美しているとき、ふと、こりゃー、すごいことだぞ、と思った。

彼らは、nikkouの2倍から3倍ちかくの歳月を生きてきた人たちである。
nikkouは、クリスチャンなので、神が、彼らひとりひとりと、その歳月を共に歩んでこられた、といういことを信じている。目の前の20人ほど方たちの、70年、80年、90年の歳月、ということを思ったとき、
こりゃー、すごいことだ、と思った。
天地創造の昔から主はおられる、といわれてもピンとこないけれど、
この彼ら全員と、主は共に歩んでこられた、と考えると、神とはでかい存在だーと思うね。
nikkouは、ちっぽけであります。

神を愛する、というのは、
身近な人たちを通して、神の大きさを知るということでもあるかな、と思った。

讃美のときを終えて、一緒にお茶などいただきながら、
雑談を交わした。
かつて東京外語大で英語を教えていました、という男性の方に、
「外国にはよく行かれたのですか?」と聞くと、
「戦争で、中国に」とのお答え。
ひゃーと息を呑んでいると、
「いや、敗戦前の2年間だけね。
内地に着いたとたん、中国兵は、さーっと逃げちゃったから、戦闘はなくって、ずーっと暢気だったのよ。
日本軍てのは、強かったのよ。(←これを三回ほどリピート)。
くーにゃんがね、あ、売春婦じゃなくって、普通のくーにゃんがね、
全然怖がりもしないで、駐屯地を横切ったりしてましたよ。
でも、敗戦が伝わったとたん、中国兵がだーっと攻めてきて、
初めてドンパチやりましたよ。
背中を向けるとやられちゃうから、じりじり撤退して、戦死する人もたくさんいて、
…九死に一生ってまさに、ああいうのを言うんだねー。
今ね、こうやって、窓の外を電車が走ってるのをみるでしょ。
もう、それだけで、平和っていいなーって思うよ」
ということを、トータルでも3回くらい繰り返してお話しておられた。
nikkouの祖父も、中国に戦争に行ったが、
正直言って、実の祖父からも聞いたことのない、ナマの戦争体験談だった。
不謹慎な言い方ですが、戦争って、本当にあったのね、と思った。

「人生の年月は70年ほどのものです。
健やかな人が80年を数えても
得るところは労苦と災いにすぎません。
瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。」
(詩篇90編10節)

詩篇にアーメン。だから時間と場所を超越した存在に、世代を超えて共に目を向けることって、本当に必要だと思う。今日は、本当に、感謝。

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December 16, 2005

なつかしくて耐えられぬように

「祈       八木重吉

ゆきなれた路(みち)の
なつかしくて 耐えられぬように
わたしの祈りのみちをつくりたい」

「無題     八木重吉

神様 あなたに あひたくなった」


毎晩毎晩、残業で遅いので、
今日は、えいっと決意して、仕事をはやめに切り上げ、残った分は明日に先送りすることにして、
シャロームゴスペルクワイアーに歌いに行った。
久しぶりにみんなと歌う賛美である。

行ってよかった。
八木重吉の詩に節をつけて歌った。
こんなにも簡単なことばに、胸うたれて、声がつまった。

「ゆきなれた路(みち)」とは、きっと、家路、ふるさとへの道、そしてそれは天国への道、祈りの道。
あまりのなつかしさに、胸がつまって、泣きながら、ゆくのだ。

もうひとつ、八木重吉の詩を。

「こども

きりすとを おもひたい
いっぽんの木のように おもひたい
ながれのように おもひたい」

(『八木重吉全集』筑摩書房)

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November 20, 2005

世代超えて主をたたえる

「You are good

Lord You are good
そのめぐみ とこしえまで
すべての国々は世代超えて主をたたえる」

(Isael Houghton & New Bread
日本語訳 Michiru)

昨日、シャローム・プレイズ ゴスペルコンサートに聴きにいらしてくださったみなさま、ありがとうございました。
そして、お祈りに覚えてくださったみなさま、励ましてくださったみなさま、ありがとうございました。
昨日、みなさまとともに、主を讃美するひとときを持てたこと、本当に感謝します。
そして、なによりも、讃美を通して、今回もまたnikkouに多くを示してくださった主に、心から感謝。

写真は、まだ用意がないので、後日掲載予定、乞うご期待。
(追記:祖父ネットが写真をたくさんとってくれました。祖父上、ありがとう!nikkouがいっぱい写ってる!)

今回nikkouは、2組のご夫婦を、コンサートにご招待した。
2組とも、nikkouよりずうっと年上の友人である。
お誘いしたものの、ゴスペルコンサートは、歌い手も観客も、20~30代の若者中心で、礼拝で歌う賛美歌や聖歌よりずっと音も大きくテンポもにぎやかなので、驚かれるのではないか、…とご招待したときから、コンサート中も、終わってからも、ずっと不安に思っていた。
それでも、お誘いしたかったのは、
わたしたちゴスペルを歌う若い友人たちと、年かさの先輩たちとが、
同じ主のぶどうの木につらなる枝同士として、互いの接点を見出せたら、
そして、そこから何かが生まれるのではないかと思ったからである。
コンサート後、あたたかい言葉をかけてくれて、また新たな示唆を与えてくれた愛する友人たちに、心から感謝している。

ゴスペル音楽は、ひょっとしたら、一生聖書にも福音にもふれずに終わったかもしれない日本の若い人たちに福音を伝えるために、大きな役割を果たしてきた。
nikkouも、その恩恵にあずかった一人である。
神様がゴスペル音楽を生み出してくださったことに、深く深く感謝している。

また、ゴスペル音楽は、アメリカの黒人奴隷の人びとが、深い悲しみと苦しみの中で与えられた希望の光である。
そのような音楽に、わたしたちが強く惹かれるのは、この音楽のもつ信仰が本物だからだと思う。

しかし、クリスチャンとなった今、nikkouは、思うのである。
わたしたち、日本でゴスペルを歌う人たちは、そろそろ、もっと、広い年齢層について考えてもいいのではないか。
今、この日本でコンサートをするにあたっては、やはり「世代超えて主をたたえ」ていきたい。
そこで、「世代を超える」ゴスペルコンサートという観点からいくつか提案をしたい。

1.今の日本人にも馴染み深い賛美を歌う。

たとえばひとつのコンサートのなかに、子どもたちがくちずさめる易しい歌、年配の人たちになじみのある古い歌も1曲2曲取り入れてゆけないだろうか。そして、「新しい歌を主にむかって歌え」(詩篇149)とあるように、わたしたち日本人のスタイルに合う、新しい讃美を作り出してゆけないか。

2 英語の歌を歌うときには、英語がわからない人に配慮を

コンサートによく来てくれる私の母は、「英語の歌が多くて、何を言っているのかよく分からない」という。意味のわからない歌を2時間聞き続けるのは、けっこうストレスだと思う。
歌詞カードを配ったり、OHPに映したりするけれど、そうすると、歌っている人の表情や踊りに目が向かなくなってしまうという欠点がある。

わたしたち歌う人たちは、歌詞の訳やその背後にある聖書のメッセージについて十分話し合ったり教えてもらったりしてから歌う。このプロセスの中で、福音に深く触れ、癒されてゆくのだけれども、はじめてゴスペルに触れる人たちには、そういった時間を十分にとるのはむずかしい。
サビの歌詞だけでもひとこと歌う前に触れたらどうだろう。

3 日本語賛美がもっと増えるよう祈る

そして、日本語のあたらしい讃美がもっと歌われるようになるといいな、と思う。メグ&コージ夫妻はじめ、あたらしい讃美をつくり歌っている人々は少なくないけれど、彼らにより多くの力が与えられますように。そして、広く歌われるようになりますように。

またアメリカのゴスペルを日本語に訳す試みも進んでいる。むずかしい作業だと思うけれど、訳者のひとりひとりにさらに豊かに智恵が与えられるよう祈る。
ただ、英語のために作られた旋律を日本語にあわせると、必要な語が落ちてしまったり、譜割がおかしくなってしまうことがある。英語を母語とする人の気持ちが、的確に表現されるよう工夫された歌は、そのまま尊重したい、と思ったりもする。


コンサートの最後にメグ&コージの「大切な人」を歌った。

「あなたを愛しています
主が愛してくれたように
あなたはわたしの大切な人

あなたに出会ってよかった
愛しています」

この歌を、世代を超えた親愛なるわが友人たちにささげる。

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November 17, 2005

踊りをささげて御名を賛美し(詩篇149-3)

『眠られぬ夜のために』第一部

「11月19日
神に仕えるということは、自分の生活のすべての瞬間に、持っているすべての力と手段とを、神のみ心の成就のために用いることを意味する。このような生活が、まさにこのような生活のみが、決して曇ることのない晴れやかさを与える。(以下略)」

(岩波文庫・草間・大和訳)

ライブの練習が盛んで、昨日は通しリハーサルだった。
今回のライブの見所は「プレイズダンス」だ、と勝手に思っている。
ダンスの振り付けをしたみずえさんのことは、玉ちゃんのブログにくわしい。

Tama’sゴスペラー日記

最近手話を習い始めたnikkouにはときどき見覚えのあるしぐさもあるので、手話も参考にしているのかもしれない。ダンスがあると、歌のメッセージがより鮮明になって、いいな、と思う。ダンサーたちが美しいこともあって、ついみとれてしまう。

今回プレイズダンスがつかない歌も何曲かあるのだが、うち一曲は易しい歌詞なので、覚えたてのなんちゃって手話をひらひらとつけてみた。
そうしたら、あることに気づいた。

声だけでなく、体も賛美したがっている。
手話をつけると、そんな体も解放される気がする。

1曲手話をつけよう、と勝手にひとりぎめして、ろうあ教会の手話通訳者の方に、リハーサル中こっそりメールしてみた。「急な話で恐縮ですが、土曜日までに手話を教えてくださいませんか。」
すると、すぐに、「今度の金曜日に、ろうあ者の方のお宅で家庭集会をします。いらっしゃいますか。」と返信!
200511172342000
おおおーハレルヤ!
家庭集会というのは、おうちでやる礼拝で、nikkouは礼拝堂の礼拝より好きだったりする。
ああ、でもあつかましくて恐縮。
200511172343000
先日「積極的」というのは習ったが(左参照)、「あつかましい」ってどうやるのだろう。
通訳者のTさん、家庭集会のお宅のAさん、ありがとう。

今夜のヒルティいわく
「持っているすべての力と手段とを、神のみ心の成就のために用いる」
19日は、nikkouのもちうるすべての手段と力をもって賛美する。
当日券、出ます。
乞うご期待。

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November 12, 2005

お知らせ

昨日書いた、「友人のクワイアーのピアニスト」が、明日のNHK小さな旅で取り上げられるそうです。
NHK小さな旅(13日・日曜・8時から8時25分)
偶然、彼と一緒にゴスペルを歌っていた、という方が教えてくださいました。
お時間あるかたはぜひ。


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November 01, 2005

豊橋・ホザナ・ゴスペル・クワイアーに行ってきた!

『眠られぬ夜のために』第一部10月30日

「ルカによる福音書11章36節について。
われわれに起こる最もよい かつ 最も決定的な事柄は、
つねに雷光のような性質を帯びるものである。
それは、恩寵の光線であり、別世界から来る光の輝きであって、
たいてい、真理の洞察を与えるばかりでなく、
同時に積極的な行為への励ましでもある。
その時、すばやく決意して、すぐさま実行するのが、
人間のなすべき努めである。
そうでないと、恩寵の閃光はすぐ消え去ってしまう。」
(岩波文庫・草間・大和訳)

nikkouの親しい友人がスタッフをしている豊橋ホザナ教会で、ゴスペル・クワイアーを立ち上げるというので、オープニング・ワークショップに行ってまいりました。

豊橋ホザナゴスペルクワイアー、ホームページ

praisethelord
ディレクター(指揮者)は兼松弘子さん。
失礼ながら、nikkouはこれまで知らなかった方なのだけれど、今回ワークショップに参加して、一緒に歌ってみた感じ、相当の歌唱力と指導力のある人とお見受けいたしました。
「ゴスペルは初めて!」という人たち大勢を、見事にひとつにまとめておりました。

豊橋方面で、ゴスペルをやってみたい、と思っている方は、このクワイアーにはかなり期待してだいじょうぶ。

練習日は、毎月第1・第3金曜 19時~21時
月会費は、3,000円
営利は目的とせず、市民サークルのような感じで、今後、コンスタンスに練習を続けて、いずれコンサートなどもしたい、とのことです。

今夜、ヒルティは言う。
「最もよい、最も決定的な事柄」は、きらりん!とひらめきのように訪れる。
そうしたら、もう、すぐに行動に移せ!積極的に、そのひらめきを実行に移せ!
さあ、勇気を出して!

nikkouも、4年前にゴスペルをやろっかな~と思ったのは、ふとした思い付きのようなものだったけれど、そんな「思いつき」をひらりん、きらりん!と与えてくれた神様に、いま、すっごく感謝している。
…  当時はクリスチャンじゃなかったから、神様が与えてくれた思いだとは想像もつかなかったけどね。

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October 29, 2005

Lord I Thank you for the morning

『眠られぬ夜のために』第一部

「朝、目がさめてすぐ、今日もまた自分が負わねばならぬ十字架のことを思うと、それが自分にはあまりにも重いように思われることがしばしばあろう。
また、その日に、さらに将来に、どんなことが一体起こるかを想像すると、すべての感情のうちで最も不愉快な恐怖感に容易におそわれることがあろう。

しかし、今日もわれわれを目覚めさせてくださった神の恩寵を思い、
また神の国のために果たすべき奉仕について考えるならば、
活動的な人間は、そのために自分がなすことができ
かつ許されている事柄を心に描いて、
喜びの感情がわき起こり、
それが一日中持続することであろう。」
(岩波文庫・草間・大和訳)

「REJOYS」なんて、できない!
という朝がある。

だから、ヒルティのように、「いやなことがあっても、とりあえず、目覚めた事に、そして、今日一日、神様の国のためにがんばれることを、喜ぼうじゃないか」というメッセージはもっともだけれど、nikkouは、まだ、それを説得力のある言葉で語れない。

ただ、「この朝をありがとう(Lord I Thank you for the morning)」という歌を知っている。
初めて聞いたのは、アメリカのオークランド、ラブ・センター・チャーチにて。
その朝の話を書きたい。
一緒にオークランドに行ったみんなには、ネタの使いまわしでごめんよ。

2003年。nikkouが、クリスチャンになって、一年にも満たないころ。
ゴスペルのワークショップのため、ゴスペル仲間と、アメリカのオークランドに渡った。
ワークショップが行われたのは、「OH Happy day」で有名な、ホーキンズファミリーのいるラブ・センター・チャーチである。日夜、感動的な出会いや、すばらしい音楽に、新鮮な思いをしていたけれど、
それにも増して、nikkouにはけっこうしんどいツアーであった。
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わずか一週間の滞在であったが、慣れない食事やホテル生活、おぼつかない語学力に、カルチャーショックを上回るショッキングな黒人さんたちのトランス状態、深夜まで続く賛美礼拝…と、最終日を迎えるころには、へとへとになっていた。
そんな嵐のような一週間の、最終日は日曜日で、朝の礼拝に出席したら、すぐにわたしたちは空港へと向かわなければならなかった。

教会へと向かうバスの中から、オークランドの町のブロックごとの教会で礼拝が行われているのを見た。
カトリックの大きな教会、ヒスパニックのためのバラックのような教会、そして、体育館のような、わたしたちの向かう黒人教会…。
人種ごとに、そして、階級ごとに、通う教会が違う、この国。

オークランドの街並みはとてもまずしい。なのに、教会だけがとても盛んだ。
そういえば、ワークショップの合間を縫って観光に行ったサンフランシスコでは、ナンパしてきた白人の男の子に「オークランドに泊まっている」と告げると、目を丸くして、銃を構えるしぐさをし「こういうところだろう!?」と言った。
そして、「教会でゴスペルを歌うためにきた」というと、胸に手をあてて、取り澄ました顔で賛美歌を歌い、からかうように笑った。
美しいサンフランシスコと黒人街オークランドのえらい違い。
この国では、キング牧師が没して30年以上たった今でもなお、人種差別が色濃く残り、白人の住む町と黒人の住む町に、明確な線が引かれている。


主日礼拝が始まって最初の歌が、
200510290101001
「Lord I  thank you for the morning」であった。
疲労困憊しながら、nikkouは、それをとても憮然とした思いで聴いていた。

「なにが、『主よ、この朝を感謝します』だ。

もし彼らが、アフリカからつれてこられなければ、
きっとこんなに苦労することもなかっただろうに。
神はなぜ、そのような歴史を人類に許したのだ。

そして今なお、差別が残り、
今なお、貧しいこの人たちは、なぜ、こんなに熱狂的に主を礼拝し、賛美するのだ。

黒い人も、白い人も、黄色い人も、
ともに席を並べて、主を賛美する日がくるのか。

…来ないのではないか。
もう、絶望的なのではないか。
主は、なにをしているのだ。
なにも、していないのではないか。」

歌が明るければ明るいほど、nikkouは、空しくて、悔しくて、ぽろぽろと涙を流した。

そして、日本からの客人たちの、最後の歌、ということで、
わたしたちは壇上に上り、
「make us one」を歌ったのである。

涙を拭いつつ、歌っているとき、なぜかふと、あることを思い出した。
「→Sanctuary」というプレートである。
この教会の駐車場から、礼拝堂に向かう階段には、このプレートがところどころに貼りつけられていて、この矢印をたどって、わたしたちは礼拝堂へ入る。
この朝も見た。

200510290101002
「Sanctuary サンクチュアリー」
それは、単に、「礼拝堂」という意味の、道順を示すプレートにすぎなかったのかもしれない。
でも、nikkouは、そのとき、はっとしたのである。

本当に、ここは、サンクチュアリー、聖域だ。
教会を一歩出れば、
スーパーで、100ドル紙幣を出してはいけない、
街中にたむろっているティーンエイジャーたちと目を合わせてはいけない、
…といわれたこの街で、
教会の中だけでは、100ドル札を両替できるし、
子供たちは転がりまわって遊んでいるし、
大人たちは熱い抱擁を交わしている。

この危険で貧しい街の中に、
神様は、サンクチュアリーを築いている。
神様は、なにも、していなくなんか、ないじゃないか。

「神の国はあなたがたの間にある。」(ルカ福音書17章21節)というのは、本当だ。
そして、イエス様が
「アーメン、わたしはすぐに来る」(ヨハネ黙示録22章22節)
と言ったのは、
「絶望しないで、あきらめないで、すべての人種がひとしく生きる神の国は絶対来るんだよ」という希望の宣言だったのだ。

「Lord Thnak you for the morning」を歌うとき、この朝のことを思い出す。

サンクチュアリーが広がりますように。
Rejoys!毎日がどんなにささやかであっても。
アーメン、主イエスよ、来てください。

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October 20, 2005

nikkou歌います! コンサートのお知らせ

nikkouが所属しているクワイアー(聖歌隊)で、コンサートを行います。

chior

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SHALOM PRAISE!
日時:11月19日(土)
   16:30開場、17:00開演(19時終演予定)
場所:ペアレ新宿ホール(300席+立見)
   http://www.peare.or.jp/peare/f/sinjuku/01.html
   JR新大久保駅 徒歩10分
入場料:前売り 1800円/当日 2000円 全席自由
問い合わせ:SHALOM PRAISE事務局
メール連絡先:shalomsanbi@yahoo.co.jp(山本 )
電話:03-3363-6493

■ 出 演 者 ■
Crystal Beads
Shalom Gospel Choir(←これが、nikkouが所属しているクワイアー)
Seeds Of God'S Love Choir
しーらぶダンス部(Praiseダンス)
Double Grace(Signダンス)
Trinity(シャズダンス)

■■■■■■■■■

特に、先日の無教会全国集会にいらした、クリスチャンの先輩方も、ぜひ見にいらしてください。
このようにして、主を礼拝する若いクリスチャンもおります。

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October 19, 2005

「Make us one」は、祈りの歌(Make us one3)

『眠られぬ夜のために』第一部

「10月14日

実際に敵を愛するということは、
われわれが神と結ばれることによって
人間を恐れる習慣を捨てた時にのみ、起こるのである。」

「10月7日

ひとたび完全に愛の国に入ってしまったら、この世はどんなに不完全であっても、美しくかつ豊かなものとなる。
なぜなら、この世はいたるところ愛の機会にみちているからだ。」
(岩波文庫・草間・大和訳)

「Make us one」という歌から、「主にあって」という言い回しの意味について、考えてきた。
ここで、もう一度、Make us oneの歌詞を見てみたい。

「Make us one Lord (主よ、わたしたちを一つにしてください)
Make us one(わたしたちを一つにしてください)
Holy Spirit(聖霊よ)
Make us one(わたしたちを一つにしてください)
Let Your love flow(あなたの愛が流れたなら)
So the world will know(そうすれば、世界は知るでしょう)
We are one in You」(わたしたちは、主にあって、一つだということを)

見てのとおり、これは祈りの歌であることがわかる。
懇願している、といってもいい。

ヒルティの言うとおり、人は、人を恐れる。
何を考えているか、分からないから。
ひょっとして、わたしを傷つけるかもしれないから。
だから、なかなか心を開けない。

Make us oneを
ちょっとクドク解釈すると、こんな感じだろうか。

「神様、わたしたちは、なかなか互いの垣根を取り払うことができないから、
あなたの力で、わたしたちの心の垣根を取り払ってください。
あなたの愛を、わたしたちが感じ取ることができるようにしてください。
そうすれば、わたしたちは、本当は、お互いに恐れることはない、
あなたとの関係の中では、
わたしたちは、お互いにただの、神様の被造物にすぎないんだ、
ってことが分かるんです。」

くり返しになるけれど、
神様からは、すべての人の心はお見通しである。わたしの心も、相手の心も。
世界中の男性も女性も、大統領もホームレスも、日本人もアメリカ人もドイツ人も韓国人も北朝鮮人も。
クリスチャンであるnikkouは、そういう存在を、信じている。
そんな存在は、どこの神社にも、いない。

だから、
「神様…。
あなたから、わたしたちの心は、どう見えていますか。」
そう、問いかけたとき、そのとき、初めて、わたしも、あなたも、対等になれる。

そのとき、戦争はやむ。
韓国と日本とどっちが悪い、どっちが正しい、なんていうくだらない水掛け論も終わる。
きっと、どっちも、同じように、自分は傷つきたくなくって、
どっちも、同じように、相手を愛したいのに、相手を信じられないんだ、ということが、分かる、
…んじゃないか。
nikkouは、神様じゃないから、分からないけど。
ね、そうでしょう?神様。
そう、思うよ。
ううん、祈りたい、と思う。そう、歌いたいと思う。

ちなみに、日本語訳は、ちょっと言葉足らずだなあ、とnikkouは思ってます。
「主にあって、ひとつ」では、
「クリスチャンであるわたしたちは、一致団結してまーす」という宣言のような、
みょーにおめでたい歌になってしまわないか。

これは、「一致団結」を宣言する歌ではない。
私たちの弱さを認め、神に懇願する歌である。
譜割の限界もあるんだろうけれど、
「主にあって、ひとつにしてください」のニュアンスが、どこかで入れられないかなあ、と思っている。
じゃあ、nikkouちゃんやってよ、と言われると、…ちょっと困るんだけどね。
いつも言いっぱなしでごめんよ。

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October 18, 2005

「主にあって」の意味について(Make us one 2)

『眠られぬ夜のために』第一部

「10月14日

実際に敵を愛するということは、
われわれが神と結ばれることによって
人間を恐れる習慣を捨てた時にのみ、起こるのである。

そうなった時はじめて、私たちの生涯において敵が実に大きな役割をはたしてくれたことを悟り、
相手がこちらの気持ちを誤解しなければ、
それに感謝して敵を抱くこともできるような気持ちになれるのである。」
(岩波文庫・草間・大和訳)

「主にあって」の意味を教えてくれたのは、相澤忠一氏である。
相澤氏は、無教会の独立伝道者で、
去る10月8日、青山学院大学で行われた無教会全国集会で講演に立たれた。
そのときのお話に、まさしく「主にあって」の解説があったのである。
nikkouにとっては、「ビンゴ!」な話。
やっぱり、なにごとも「待って」みるもんだ。

相澤氏も、
「主にあって」
(英語で「in Crist」、ギリシャ語の「ευ Χρισπω」)
が気になって、辞書で調べたそうである。結果、やはり、この言い回しは辞書のどの用例にもはあてはまらない、と感じたのだそうである。

そうなると、聖書の用例、もっと具体的にいうと、パウロの手紙の用例が特殊だ、ということになる。
「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である」(第二コリント 5章17節)
「神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちである。」(ローマ6章23節)
などなど、たしかに、パウロは「キリストにある」という言い回しをよく使う。
じゃ、パウロは、どういう意図でこの言い回しを使っていたのか。

相澤氏の講演をnikkouなりにまとめてみると、こういうことになる。

「in Crist」の逆、「out Crist」について、考えてみよう。

辞書で「キリスト」を引くと、「救い主という意味」とある。

これをもし、「out」の人が書いたんだとしたら、
「キリストってのは、ある種の人々にとっては『救い主』という意味らしいよ、わたしには関係ないけどさ」となる。
しかし、もしこれが、「in」の人の言葉だとすると、
「キリストとは、わたしにとって、『救い主』という意味だ。」となる。

つまり、inの人は、イエスと、個人的な関わりを持っている。
イエス・キリストは、「わたしの主」と、語りかける相手になる。
だから「in Crist」「主にあって」とは、
「主イエス(=神)と親しい関係の中で」という意味
になるのだそうだ。
そうすると、パウロの手紙も、するっと意味が通じる。

その「神」なる存在は、すべての人の心はお見通しである。わたしの心も、相手の心も。
「神」とは、そういう存在なのである。
「主にあって」って何?って聞いてくれた、わが友よ、こんな「主(神)」ってイメージできる?

ここで、「Make us one」の話に戻りたいけれど、
長くなったので、また明日書く。

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October 17, 2005

「主にあって」って、変な日本語じゃない?(Make us one1)

『眠られぬ夜のために』第一部

「10月14日

『敵を愛する』というのは、キリスト教の教義が大いに自慢のたねにする美しい言葉である。
しかし、キリスト教徒の実践を見ると、彼らが敵を愛するのを、必ずしもあまり多くは見かけない。」
(岩波文庫・草間・大和訳)

…というヒルティの言葉に、にやっとする人は少なくないだろう。
あ、nikkouは、にやっとしちゃいけないのか。
一応、「キリスト教徒」だし。

ところで、「キリスト教徒が自慢のたねにする美しい言葉」のひとつ、というか、
nikkouが以前から気になっている言い回しに、
「主にあって」というのがあった。
一年ほどまえ、ゴスペルの練習の帰り道、ノンクリスチャンの友人から、ふと聞かれたのがきっかけである。
「ねー、nikkouちゃん、『主にあって』って、どーゆー意味~?」
「えっ…?主にあって、ってのは、…、う……うぇっ?」
nikkouは、絶句した。

彼女はべつに、神学的な問題を投げかけてきたのではない。
ごく単純に、クリスチャン特有の言い回しを日常語に直してくれ、と言ってきたのである。
たとえば、「クリスチャンが言う『つまずく』ってのは、『あることがきっかけで神様を信じられなくなる』っていうことだよ」とか、
「『ハレルヤ』ってのは『神様を賛美します』って意味よ」とか、
そういうレベルのことである。
ちなみに、彼女がそう聞いてきたのは、ある歌の歌詞に、『主にあって』という言葉があったからである。

B00004TRY9
主にあって ひとつ
清いみ霊で ひとつ
主の愛が 今 流れ
主とひとつ」

原曲は英語で、こういう歌詞である。

「Make us one Lord
Make us one
Holy Spirit
Make us one
Let Your love flow
So the world will know
We are one in You

作詞作曲は、先日来日したブルックリンタバナクルズのキャロル・シンバラさん。
その名も「Make us one」(わたしたちをひとつにしてください)という歌である。
英語の場合は、「In You」が、「主にあって」にあたる。

さあ、ここで、クリスチャンのわが友たちよ、
「主にあって」(in You)を日常語で説明してみよう。

…できなくないか?
普通、「にあって」とは、
「自動販売機が、タバコ屋のかどにあって
というふうに使う。
「主にあって」というのは、かなり特殊な用例なのである。

先日、この「主にあって」という言い回しの語源と意味が、判明した。

結論から先に言うと、聖書の登場人物の一人、パウロの造語だそうだ。

くわしくは、長くなるので、また明日。

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September 11, 2005

だれも飢えることのないように福音の種まきをしないか

9月11日『眠られぬ夜のために』

「いわゆる人間愛は、すべて神に対する強い愛という根底がなければ、
単なる幻想であり、自己欺瞞にすぎない。

(中略)

このような人間愛では、一方に年々数百万の人たちが
精神的あるいは肉体的に餓死することも起こりうるし、
しかも、
人はそれをひどく悲しむこともなく、また自分はほんの僅かな不自由をも忍ぼうとしないのである。」
(岩波文庫・草間・大和訳*太字は原文では傍点)

「奈美(ちひろ)」さんのブログにショックを受け、数日間、ウンウンうなされた結果、
AV女優に関する本を読んでみることにした。

namaenonai

『名前のない女たち~企画AV女優20人の人生』(中村淳彦・宝島社)
AV女優へのインタビュー集である。
AVの宣伝に流されない秀逸なインタビュー集であった。

読んでいる間、ずーーーーっと、nikkouの眉毛は八の字になっていたと思う。

彼女らの告白をひとことでまとめると「絶望」である。
「お金がほしい」という言葉の裏には、人間への底なしの不信がある。
「セックスが楽しい」という言葉は、「それ以外はなにも楽しくない」という告白と抱き合わせである。
いくつかの暗い要素の組み合わせと重複のせいで、心にふっと入り込んでくる絶望感。
nikkouがAV女優にならなかったのは、たまたま運がよかったからではないか、と思うほど、
女性たちを襲う暗闇は唐突で理不尽である。
行間から立ち上る飢えと渇きは、あまりに痛々しく、哀しい。

ホワイトバンドプロジェクトが対象としている「飢えと渇き」は、お金によって、ある程度は解決できるかもしれない。
しかし、彼女たちの「飢えと渇き」はお金じゃ救えない。
お金はもうすでに、手にしているのだから。

hukuinn
『名前のない女たち』の中に、一人、クリスチャンのAV女優が出てくる。
8人兄弟と母親の9人家族で、父親が残した借金とりから逃れて各地の教会を転々とし、
「百万人の福音」で記事にされたために献金が集まって、家が借りられた、という生い立ちを持つ。(写真は今月号で、彼女の家族が掲載された号ではない。)
長じてから、ひとり借金の返済を決意、AVと風俗で荒稼ぎをするのである。

このインタビューでは、彼女の信仰について、突っ込んだ質問はなされていない。
だから、本当のところは分からないし、
クリスチャンへの身びいきなのかもしれないけれど、
nikkouには、彼女が唯一、「希望」を語っていたように感じた。
ほかの女優と違って、彼女だけがみずから精神科と産婦人科を受診、入院している。
「将来の夢は?」と聞かれて、多くの女優は
「夢などない」
「結婚して、ダンナに養ってもらう」と答えるのに、
彼女だけが「孤児を養子にもらって育てる」と答える。
AVの撮影で子宮外妊娠してしまい、子どもを産めない体になってしまった、ということさえ、
「孤児を助けるためには、むしろよかった」とも言う。
でも、子宮外でなければ、絶対産んだ、といいながら。

確かに、彼女の性生活には無茶なところがある。
「姦淫するなというママが信仰しているキリスト教の教えはどこへ行ってしまったのか、
彼女はクリスチャンだが、聖書のストイックな教えはまったく届いていないようである。」
とインタビュアーがちゃちゃをいれたくなるのも分かる。

しかし、nikkouには、彼女にはなにか、教条主義的なキリスト教でははかれない、神の影響力が及んでいるような気がしてならない。
ここに、nikkouは、か細いか細い希望の光をみる。

ひとつの価値観としてでもいい、
彼女たちに福音を知ってもらえないか。
たとえば、ゴスペルを、彼女たちの前で歌うとか。

もちろん、困難は予想がつく。
どうやって彼女たちに接触するのか。
たとえ出会えても、企業の飲み会で歌うよりもはるかに不毛な働きに感じるやもしれぬ。
いまだ、長い説教と文語の賛美歌を歌い、教養と品位の高い空気をただよわせている多くのキリスト教会のどこが、彼女たちを受け入れるだろう。
わたしたちの想像もつかない社会の暗黒部分に触れることもあるだろう。
多くの備えが必要だ。

しかし、主はわたしたちの必要を満たし、
あらゆる人を赦し、愛するのではなかったか、
そう、歌ってきたではないか。

愛するゴスペルの兄弟姉妹たち、
AV女優たちに福音の種まきをしないか。

nikkouは今、そのために祈る。
もし賛同するのなら、ぜひともに祈ってほしい。

主よ、哀しみの中にいる女性たちに、あなたの声を届けてほしい。
そのための必要を整えてください。

そして。

「奈美(ちひろ)」さん、わたしがあなたを知ったのは、主の計画であったか。
nikkouは、いつか必ずあなたに会って、あなたの手をとって祈りたいよ。
主よ、どうか「奈美(ちひろ)」さんの心と体の傷を癒し、
これから、新しい道のりを歩み行けるよう、祝福してください。
イエス様の名にあって
アーメン

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September 04, 2005

Calling My Name

9月1日「眠られぬ夜のために」第一部

「神はどんな後悔でも聞きいれてくださる。
ずっと後になってからでも、
また何度も悪へ逆戻りしてからでも、
赦してくださる。
われわれの主は、助力と平和を求めてくるどんな人間をも、突き放しはされない。
もう一度はっきり言うが、
どんな人間をも、
例外なくどんな人間をも。」
(岩波文庫:草間・大和訳)

ヒルティ、めずらしく、激しい口調である。
ここには引かないけれど、聖書の参考箇所も、今日は旧約から新約にわたって幅広く、複数個所にわたる。
さすが、裁判官であり弁護士であった人である。
こんなふうに、被告を諭したこともあったのだろうか。

Nikkouは、学生時代、このことが、どーしても分からなくって、クリスチャンの友人を見つけては執拗にたずねた。

「ねねね、キリスト教の神様ってさ、どんな罪も赦すんでしょ。
じゃあさ、クリスチャンになったら、窃盗でも殺人でも売買春でも強姦でも、なんでもやりほうだい、ってことなの?」

クリスチャンの友人たちのうち、
二人は「救われると、自分の罪がよく見えるようになって、あまり罪を犯さなくなる」と答えた。
一人が「そうそう、オレもノン・クリのとき、そう思ってた!」と、妙に喜んでいた。けど、彼自身から答えは得られなかった。
一人は「あなたは、『罪』というものが分かっていない!」と机を叩いて怒った。
一人は絶句した。
…ごめんよ、みんな。へんなこと聞いて。

gelmanium
当時、花村萬月の「ゲルマニウムの夜」が芥川賞を受賞した。
カトリックの修道院で孤児として育った主人公が、告解のあとに修道女を犯す、という物語だ。
罪を犯す前に告解しておいた、というわけ。
Nikkouは、そんな小説の前に、うーむと頭を抱えていたのである。
クリスチャンになったら罪を犯すな、というなら分かる。
しかし、際限なく赦してしまう神など、信じていいものか。
理不尽ではないか、不条理ではないか、そんなの、世界が規律を失う。

199910
そういえば、ヤクザに伝道しているアーサー・ホーランド牧師も、
どえりゃ~悪いことをあれこれやってきた男たちが
「オレの罪は赦された~」とか言って喜んでいるのをみると、
ちょっと複雑な気持ちになる、という意味のことを書いていた。正直な人である。

最近練習しているゴスペルソングに、「Calling my name」という曲がある。
ヘゼカイア・ウォーカー率いるザ・ラブ・フェローシップ・クルセード・クワイアーの名曲である。
“救われたったら救われた、神様ってばすばらしい!”という賛美に満ちたゴスペルソングの多いなかで、
この曲はちょっと異質で、
「わたしは、クリスチャンなのに、神様に恵みを受けているはずなのに、ああ、それなのにそれなのに、どうしてこんなに罪ばっかり犯しちゃうんでしょう」と泣きが入るのである。
Nikkouはとくに、「Knowing this」(わかっちゃいるんだけど)っていう歌詞が大好きで、ここにくると、思いっきり力がはいる。
「にも関わらず、主よ、あなたはわたしの名を呼ぶのか。わたしなど、あなたの子にふさわしくない、ひどい人間なのに。」
と歌は続く。

10年前のnikkouの問いに対する答えのヒントがここにある気がする。

神はどんな罪でも、赦すのか。
そうだ。どんな罪でも赦される。
君の罪深い心が、窃盗やら、殺人やら、売春やら、強姦(は、いくらなんぼでもないか)なんぞを引き起こしたとしても、きっと神は赦すだろう。
歴代のクリスチャンたちや、聖書の登場人物は、みんなそうやって赦されてきたことを証言している。

ただし、だ。
『ああ、わたしの罪は赦されているのだ』と気づいたときの痛みたるや、
きっと、『もう、こんなわたし赦さないでほっといてくれたほうがましだ、罰っしてくれたほうが楽だ』といいたいくらいの苦しみにちがいないよ。
…この歌は、そういって泣いているよって。

クリスチャンになって3年目のnikkouであるが、正直に告白して、この3年間にもうすでに何度か罪の味をなめております。
幸いにして(?)、「赦さないでください!」というほどの激しい悔恨はまだ与えられていないものの
さすがに泣いちゃうくらいの自己嫌悪には浸かるし、
そこから踏み出すには、必死に赦しを乞うこともあったりはする。
これ以上の罪との対面は、願わくは避けたいものである。

ただし、わが身を振り返って思うのだが、
人はクリスチャンになろうがなるまいが、死ぬまで罪を犯し続けるだろうと思う。
でも「これは、『罪』だ」と気づくのと気づかないとの差は大きいんじゃないかと思う。
その話は、また後日。

最後に、ヒルティはもうひとこと。

「このような経験をしたことのある人たちが、後になるとかえって、最も信頼できるひとになることがよくある。
というのは、彼らは一方で享楽生活のみじめさを、
他方で平和の幸福を、身をもって深く学び知り、
そのどちらがまさるかを悟っているからである。」

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August 19, 2005

バナナ君、また会う日まで

「彼自身(イエス・キリスト)、苦難を受けたときに試みにあったので、
試みられている人びとを援けることができるのである。」
(新約聖書「ヘブル人への手紙」2章18節 小林稔訳)

昨晩、バナナ君の「お別れ会」に行って来た。
「お葬式」ではなく、「お別れ会」である。
バナナ君の思い出の写真がスライドで映され
バナナ君のお友達がお別れの言葉を述べ、
バナナ君の好きだった歌をみんなで歌った。
お父様がご挨拶に立たれて、
ゴスペルを歌っていたバナナ君にお経は似合わない、と思って、こういう会にした、ということをお話なさった。

彼は、お父さんお母さんとお兄さんにとても愛されていたんだな、と思う。
何度も自分たちの場合と引き比べてしまうけれど、
仏式のお葬式は、疲れと悲しみでぼんやりしている遺族にとってはとてもらくちんだ。
葬儀屋さんが全部やってくれるし、
意味のわからないお経やお焼香の儀式も、
「とりあえず、なにかはやった」というけじめになるし。
そうじゃなくって、きちんと彼の生涯に向き合うときを設けたご家族の強さと賢明さを思う。

2003年のクリスマスコンサートで、彼が、
体調もしんどいだろうに、2時間舞台にたって、みんなと歌いきった姿を見たとき、
お父様は、彼の上に、
苦しみの中、十字架を背負って歩んだ、というイエス・キリストの姿が重なった、ともおっしゃった。

そうか、とnikkouは、ぐっとした。
イエス様は、
バナナ君と、ともに、歩んでおられたのだ。

ゴスペルを歌っていると、時々、とても純粋で素朴な「思い」に出会う。
既成の「宗教」や理屈ではない、純粋で素朴な「畏怖」の念というか、なにか、そういうもの。

霊前での「Oh Happy Day」、すごくよかった。
いつもは大はしゃぎで歌う歌だけれど、
この日は、とても優しくあたたかく聞こえた。
なによりも、nikkouが、ほっとする想いにつつまれた。

ああ、そういえば、黒人霊歌の多くは、天国に向かうブラザー・シスターたちを見送る歌だ。
天国へ凱旋してゆく友にむけて、ゴスペルはなんとふさわしいことか。

いつか、nikkouが、主のもとに帰る日がきたら、
もうしばし地上に残る友たちよ、
どうか、元気にゴスペルで見送ってほしい。
そうね、やっぱりJesus is the answerかな。
Oh Happy Dayもいいな。
歌声に乗せて、主が、地上に残る愛する人びとを慰めてくださいますように。


「神は人の目から流れる涙を一滴残らず拭い去ってくださる。
もはや死はなく、
もはや悲しみも嘆きも労苦もない。
古い秩序の事柄は消え去ったからである。」
(新約聖書「ヨハネの黙示録」21章4節)

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July 22, 2005

ブルックリン・タバナクル来日

先週から、アメリカのブルックリン・タバナクルというゴスペルクワイアーが来日している。
(正確には、人数が到らず「クワイアー」(合唱団)ではなく「シンガーズ」であったが)

昨日、nikkouもコンサートに行ってきた。
このクワイアーはグラミー賞を6度も受賞しているということで、
絶叫したり気絶したりするようなコテコテの黒人ゴスペルよりは、歌い口も洗練された感じ。
nikkouの好きな歌ももりだくさんで、音楽そのものはたっぷり堪能した。
「自由とはこういうものだったのか!」という歌など、涙が出そうになったよ。
ゴスペルというのは、救われた感動を反芻できるので、本当にいいものだ。

あの客席にいたひとたちの何人かがすでにレポートを書いているので、ご参照あれ。
それぞれ切り口が面白い。
つぶやき亭
http://tsubuyakitei.tea-nifty.com/luke/2005/07/post_0320.html
きゃっかるぅん日記
http://yaplog.jp/gumbo/archive/170#BlogEntryExtend
ヨコシのデボーション日記
http://devotion.269g.net/article/534720.html
そんなとこなのよ
http://blog.drecom.jp/zoo-mania/category_5/

さて、nikkou的に面白かったのは、コンサートにはさまれたビデオである。
現在、ブルックリン・タバナクルで歌っているある白人男性のドキュメンタリーなのだが、
これが、なかなか強烈であった。

ニューヨークで日に3000ドル稼ぐカリスマ美容師だったという彼が、
パリでヘロインを覚え、
薬物中毒で一気に路上生活者へ転落した、というお話。
それでも、どん底で「主の名を呼び求める者は、だれでも救われる」(ローマの信徒への手紙10章13節)という聖書の言葉がよみがえる、
という精神性が備えられていたためか、
「悔い改めて復活」という逆転劇をたどるのである。

薬物中毒時代のものか、うつろな表情の顔写真が何枚もスライドされ、
まるで法務省の薬物撲滅キャンペーンビデオであった。

で、nikkouは、「アメリカンドリームから路上生活者へ、しかしキリスト教によって救われる・・・とは、なんとまあアメリカ的キリスト教観」と、
自分はクリスチャンのくせに、こういうのを見ると、
いつもちょっと突っ込みたくなっちゃうのだけれど、
今回は、対岸の火事を眺める思いではいられないような気がしていた。

というのも、さっきまで『希望格差社会』(山田昌弘著 筑摩書房)という、世にも恐ろしい本を読んでいたからだ。

日本は、アメリカのように富豪から路上生活者へ、というような社会ではないけれど、
経済成長がとまった今、
どんなに専門性の高い学校に進もうが、どんなに学歴が高かろうが、
一定数はフリーターにしかなれず、
一部の人間が大きな成功をおさめていく、というふうに、
「勝ち組」と「負け組」(嫌な言い方だ)に、これまでにない大きな「格差」が生じる社会になる、という未来予測である。

日本がそんなんになっちゃった後に、アメリカ並みに薬物が出回っちゃったりしたら、ひとたまりもないんじゃないか。
しかも、日本には、「主の名を呼び求める…」的な、どん底を支える精神性がない。
クリスチャンは1%より増えず、仏教はお葬式以外縁がない。
あぶないぞ、これは。

もちろん、薬物がそんなに急速に浸透するはずもないのでnikkouの危惧はまったく突拍子もないことかもしれないけれど、
今後経済成長が望めないのならば、どん底を支える思想、すくなくとも教育くらいはそろそろ用意しておいたほうがいいんじゃないか、なんてことを考えながらの、コンサート帰り道でありました。

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June 23, 2005

種をまこう

6月24日『眠られぬ夜のために』

「…もしあなたが戦いにのぞんで、悪の霊を恐れるようなことがあれば、初めから戦いを断念するがよい。
なぜなら、恐れは敗北の予感であり、したがって、いやしくも戦士としては、到底ゆるしがたい欠点だからである。」
(岩波文庫:草間・大和訳)

今夜、nikkouは、某ファーストフード会社の内定祝賀会でゴスペルを歌ってまいりました。
nikkouが所属するクワイアー(ゴスペルの合唱団)のメンバーがこの会社の社員と親しくしている関係で、
会に華を添えるため、およばれしたのでした。

まさに「宴もたけなわ」というころ、
クワイアー一同、宴会場の前に出ました。
今、すっごく正直に告白すると、nikkou、そのとき、
「うわーこんな酔っ払いの前で歌うの、やだな~」と思っておりました。

ざわざわとした中、まず、英語で詩篇121編をモチーフにした「トータル・プレイズ」を歌いはじめました。

「わたしは、山にむかって、目をあげる。
わたしの助けはどこからくるのか。
わたしの助けは、天地を造られた主からくる…」

曲の最後、「アーメン」の輪唱が終わったとき、
会場は静まり返っていて、最前列で聞いていた若い男性が
「鳥肌が立った…」とつぶやくのが聞こえました。

続いて、英語で、詩篇89編
「わたしは永遠にあなたの慈しみを歌い、
わたしの口はすべての世代にあなたの真実を伝えます」
という歌、
日本語ゴスペルで「JOY」(絶えず喜び、祈り、感謝せよ、という歌)を会場の若者を巻き込んで歌いました。
会場はすぐにゴスペルの熱に巻き込まれ、
笑顔で手を叩き、とび跳ねる人もいました。

そんな中、ふっと、nikkouの脳裏に、聖書の一節が浮かびました。


「見よ、種まく人が種まきに出て行った。」(マタイ福音書13章3節)
イエスのたとえ話のひとつです。こう続きます。

  ある種は道端に落ちた。それは鳥たちに食べられてしまった。
  ある種は石の上に落ちた。芽は出たものの、太陽に焼かれて枯れてしまった。
  ある種は茨の上に落ちた。芽は出たものの、茨に邪魔されて伸びなかった。
  そして、良い土の上に落ちた種は、大きく成長して、100、60、30の実をつけた。

今、わたしたちは、この「種まき」をしているのではないか。
そして、この地は、…よい土ではないかもしれない。
でも…
  でも、わたしだって、よい土ではなかった。

そう、学生時代からずっと、イエスの考え方に、何度感動し、何度信じたいと思い、
そして、何度あきらめ、何度足をひっぱられ、何度、そっぽをむいたことだろう。

でも、神様はあきらめなかった。
貧しい土であったわたしの心に、せっせせっせと種をまき、
何度枯れようとも、しつこくしつこく、わたしの心を耕し続けた。

種をまこう。
たとえ、そこが道端であろうと、石の上であろうと、茨の中であろうと。
神様がきっと耕してくださる。

最後に、日本語のゴスペル「大切な人」を歌いました。

「あなたは愛されている。主の恵みで満ちています。あなたは主イエスの大切な人。
あなたを愛しています。主が愛してくれたように。あなたはわたしの大切な人」
(作詞・作曲:ピアノ・コージ)

最前列で聞いていた若い社長が、自分にそっくりな―小学校2年生くらいかな?―娘をぎゅっと抱き寄せるのが見えました。
鼻のあたまにぎゅうっとしわが寄っている。
泣いていたみたい。

それは、朝になったら、忘れてしまうような、ささやかな感動かもしれない。
ゴスペルが伝えている「神様の愛」に、そっと触れてはみたものの、
あわてて手をひっこめてしまうかもしれない。

でも、かまわない。
恐れないで、種をまこう。
イエス様がそうしたように。
荒地で育った種はきっと、温室育ちよりも、ずっと丈夫な実をつけるだろう。

(ちなみに、荒地に種をまく農夫は、どんどん賢くなるものらしい。
わたしたちのリーダーは、「宗教色を出さないで」といわれる場所で歌う方法が、ぐん、とうまくなった。
今日は歌詞の翻訳をあらかじめ配るなど、ゴスペルの本当の意味の伝え方もスマートかつ確実でした。
神様、これからもよき知恵を、彼女と、わたしたちにお与えください。アーメン)

追記
われらがディレクター、まりりんもブログにこのときの様子を書いています。
コンサートの詳細や裏話が分かります。
http://blog.goo.ne.jp/marisa050520maria_luisa/e/f987695f55468bb1fd822e9b09e81225

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June 22, 2005

アメイジング・グレイスinキャンドル・ナイト

6月21日『眠られぬ夜のために』

「神の子が完全に絶望しきって死んだという歴史上の実例を、私は一つも知らない」(岩波文庫:大和・草間訳)

本日、「100万人のキャンドルナイト」当日である夏至の夜でありました。
先日書いた池袋センターゴスペルクワイアーのキャンドルナイトに参加してきました。

とてもすばらしいひとときでした。

教会の通路に何本も立てられた灯火台のろうそくに火がともされ、
夜8時には教会の電気すべてが消されました。
オレンジ色の光があたたかく灯るなか、
古くて素朴な、まるで子守唄のようにやさしい歌を何曲も歌いました。

選曲がとてもよかった。
ろうそくの明かりでは歌詞が読めないので、一度耳にすればすぐ覚えられるやさしい歌ばかり。

くり返しくり返し、シンプルな歌詞とメロディとハーモニーを歌いながら、
はっと、気づきました。

18世紀、ゴスペルのルーツであるニグロ・スピリチュアルが生まれた時代は、
…そう、電気がなかった。
毎日綿花畑で激しい労働を強いられた人々が、
夜ごとに、薄暗い奴隷小屋の暖炉の明かりの前で、
こころを癒し、体の疲れを休めるわずかな時間に、歌われてきた歌。
それは、なんとも哀しい、けれどもゆっくりとした時の過ごし方であったことでしょう。

ゴスペルを始めてから、アメリカの黒人たちの歴史に関わる本をずいぶん読みました。
気持ちが暗くなるようなことばかり。
神様、どうして彼らを野放しにしていたのですか、と哀しい気持ちで本を閉じたことも少なくありません。

でも、ゴスペルを歌うと、気づくのです。
いいや、神様は、人びとの罪をほったらかしにはしなかった。
人が、隣人を傷つけ、貶めるような罪をどんなにのさばらせようとも、
神は、人びとに、互いに愛しあい、慰めあう心を根気良く授け続けた。
その武器として、ほら、ゴスペルがある。

彼らにとって、薄暗い炎のもとで、完全に自由な神の国を想い、歌いつづけることが、
絶望的なこの世での、唯一の戦い方だったのだろう。
神はその戦いを、ともに戦ったのだ。

この世界では、神の国を想うことと、人の罪との戦いが、なおも続いている。
たとえ小さな力であっても、歌い続け、祈りつづけよう、と思う。
アメイジング・グレイスが世界中にあふれますように。
この迷子の世界が道をみつけ、なにも見えていなかった目を開く日がくることを。

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June 19, 2005

100万人のキャンドルナイト

今年も、キャンドルナイトの季節になりました。
キャンドルナイトというのは、辻信一さんという社会学者の呼びかけで、夏至の日に電気を消しましょう、というエコロジー運動です。

20050619_2017_000


以下、転載します。


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私たちは100万人のキャンドルナイトを呼びかけます。
2005年の夏至の日、6月21日夜、8時から10時の2時間、
みんなでいっせいに電気をけしましょう。

ロウソクのひかりで子どもに絵本を読んであげるのもいいでしょう。
しずかに恋人と食事をするのもいいでしょう。
ある人は省エネを、ある人は平和を、
ある人は世界のいろいろな場所で生きる人びとのことを思いながら。
プラグを抜くことは新たな世界の窓をひらくことです。
それは人間の自由と多様性を思いおこすことであり、
文明のもっと大きな可能性を発見するプロセスであると私たちは考えます。
一人ひとりがそれぞれの考えを胸に、
ただ2時間、電気を消すことで、
ゆるやかにつながって「くらやみのウェーブ」を
地球上にひろげていきませんか。

2005年、6月21日、夏至の日。よる8時から10時。
でんきを消して、スローな夜を。
100万人のキャンドルナイト。

*****************

これに、わが友人たち、池袋センターゴスペルクワイヤーが参加していることを
キャンドルナイトのHPで知りました。

http://www.candle-night.org/2005summer/event/index.html
キャンドルの中で賛美。
いいな、楽しそう。
キャンドルはクリスマスだけ、と限る事はないよね、たしかに。
夏至の日のキャンドルナイトというのもさわやかです。

nikkouはさっそく今夜キャンドルナイトをしてみました。
キャンドルの明かりでご飯を食べ、お風呂に入り、友人に電話して…
なかなか濃密な時間となりました。
なにより、「あ、テレビなしでも退屈しないじゃん。」と思ったのが発見。
今日の月が綺麗だったのも、夕食をとりながら気づいたことです。
…でも、夜更かししてこんな記事書いているんじゃ、エコロジーになってないかも。

さて、聖書の中には、「ともしび」という言葉がよく出てきます。
電気がないから、夜が今よりもずっと暗かった時代。
そんな中、「目はあなたたちの体の中のともしびだ」「ともしびをつけて、台の下に隠すだろうか」
「わたしはくすぶる灯心を消さない」(聖書を引いてもぱっと出てこないのでうろおぼえで。)という言葉は当時なんと説得力があったことだろう、と思う。電気を消してみると、それがよく分かる。

キャンドルの中では大好きな読書もできない。
となると、役にたつのが『眠られぬ夜のために』です。
キャンドルのふもとで一節に目をこらし、
そして、しみじみ思い巡らせる。これもけっこうなスローライフだと思いますが、
…今日はちょっとムリクリな結論かな。

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June 04, 2005

ありがとう、アンドレ・クラウチ

6月4日『眠られぬ夜のために』

「ヨハネの黙示録三の二〇には、
神の霊が心の戸の外に立ってたたくとき、われわれがその戸を開ける
とされている。
つまり、
われわれの願いに応じて神の霊がより善き生活の戸を開けるのではない、
という意味であるが、
これは人間の意志の自由についての重大な見解である。」
(岩波文庫:草間・大和訳)

先週、アメリカのゴスペルシンガー、アンドレ・クラウチが来日、
そのライブを聴きに行った。

http://committed.jp/gospelfest/
現れたのは、でかいおじさんだった。
野太いガラガラ声、のったりのったりした黒人英語。
「日本には、友達のおかあさんのbirthday partyで来たんだ、
まさか歌わされるとは思わなかったから、バンドもないし、バックコーラスも少ないよ」
とコテコテのアメリカンジョークで会場を沸かせつつ、
アンドレらしい口ずさみやすい旋律の、明るい曲をいくつも聴かせてくれた。

そして最後に、アンドレは、こんなことを話した。

「一年九ヶ月前、突然、母が死んだ。

…その日、実家に寄ったら、母が今日は泊まっていけっていうから、
母の部屋で寝たんだよ。
でも、『いびきがうるさい!』ってたたき起こされて、
しかたないから帰ったんだ。(会場・笑)
次の朝、父から電話があって、『母さんが死んだよ』って知らされた。

その半年後には父が死んだ。

そしてその2ヵ月後、兄も死んだ。
兄が礼拝をめずらしく休んだんで、電話したら、おなかが痛いっていうんだ、
それから、すぐだった。」

こうしてパタパタと身内が亡くなってゆく中で、
アンドレ自身も癌になった。
信仰がゆらぎそうになった、という。

「神様がね、それでも、歌え、って言うんだ。
こうやってね、『聴いているから』って。」
と、アンドレは片頬に手を当てて耳を傾けるジェスチャーをして、会場はすこし笑った。

「癌は治った。だからこうして日本に来られた」
とアンドレは言う。

けれども、ふとnikkouは思った。
アンドレが地上で歌うことのできる日数は、もう長くないのかもしれない。

もしそれならば、どうか、神様、アンドレに伝えてほしい。
アンドレ、あなたの人生は神様に用いられていたよ、って。


  3年前の4月1日、お稽古事として始めたゴスペルのスタジオで、
  アンドレ・クラウチの「Jesus is the answer」を歌った。

  「もし、君の頭上に青空が見えないのなら、
  もし、目の前の山が高くって、とても登れないと思っているのなら、
  どうか、知ってほしい。

  イエスは答えだ。」


  nikkouに、この歌はこう聞こえた。

  人生は難題だらけだ。取り組むこともつらいだろう。
  でも、あきらめたり、分かったふりをしないで。
  答えはきっとあるから。
  イエスはそのことをわたしたちに教えてくれたんだよ。

  「求めなさい、そうすれば、与えられます。(マタイによる福音書7章7節)」

  そして、この歌が、
  イエスを信じられなかったわたしの背中をぐっと押してくれた。
  この歌こそ、神の霊が、戸をたたく音だった。

アンドレは、最後に「Lord I thank you」(朝ごとに、あなたに賛美をささげられる喜びを感謝します)
という歌を歌って、さっとステージを降りた。
nikkouは、会場が明るくなるなり、ひとごみをかきわけ、かきわけ、
ステージに駆け寄ったけれど、
「もうアンドレは帰った」と言われた。

伝えたかった。
アンドレ、あなたの歌は、海を越えて、一人の日本人に、イエスを伝えた。
きっとあなたの肉体がこの地上からなくなっても、
神様はあなたの歌を用いるだろう。
だから、アンドレ、あなたがこの地上に生きて、神様を伝える歌を作って、歌い続けてきた事に、
わたしはとても感謝している。
ありがとう。