November 30, 2006

イワキさんのこと

『眠られぬ夜のために 第二部』

「11月30日
ある人間の生涯の最も偉大な日とは、みずからの歴史的使命、すなわち、神がこの世においてかれを必要としておられる所以(ゆえん)をかれがはっきりと悟り、かれがいままで導かれてきたすべての道がそこに通じていることを理解した日である。」

(筑摩叢書・前田敬作訳)

自分の「歴史的使命」なんて、死んで、天国行って、自分のない世を見て、ようやく分かったりするんじゃないか、と思う(最近、ヒルティに楯突き気味のnikkou)。たしかに、自分でそれが分かれば、とても幸せだろうな、とは思うけれど。

「のだめカンタービレ」を読んでいて、ふと、オーケストラを聴きに行きたいな、と思い、「そういえば、イワキさん、もう、いないんだ」と気づいた。

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イワキさん。岩城宏之。NHK交響楽団やオーケストラアンサンブル金沢の指揮者。nikkouがいま本を作る仕事に就くことになった原因の3割くらいはこの人の影響だ。

nikkouは最初、教師になろうと思っていた。順調に教員免許を取得する準備をしていた大学3年生の春に、小遣い稼ぎのため学生課に出ていた広告を見て、某出版社のアルバイトに行った。
そこの編集者さんが、岩城宏之のエッセイ集を作っていた。nikkouも、切り抜きをしたり、ワープロで清書したりしてお手伝いした。時々イワキさんから電話がかかってきて「今、N響の控え室なんだけど、今夜渋谷の喫茶店に来て、って言っといてください」なんて伝言を頼まれたりした。
作曲家の黛敏郎がなくなった当日、担当の編集者さんは上野の音楽堂の喫茶室に打ち合わせに出かけ、帰ってきて「イワキさんが、大きな声でぼくの名前を呼ぶから、喫茶室中の注目を浴びて恥ずかしかった」なんて言い、nikkouはバイト仲間と「黛さんが亡くなった日にイワキさんとお話しているなんて、どこのバイオリニストかピアニストかって思われたんじゃないの?」ときゃあきゃあからかったりして、まあ、不謹慎ながら、いたってミーハーなのでありました。

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エッセイ集が出来た朝、会社に行くと、nikkouのバイト机に、わざわざ封筒にいれたエッセイ集が載っていて、じーん…とした。

そして、そのとき、初めて知りました。
本って、最初から書く人がいて、それを印刷する人がいて、出来上がって本屋に並ぶんだと思っていた。
でも、なにもないところから、編集者が企画をたて、執筆者に依頼にいき、それから執筆が始まるということもあるんだ。編集者になれば、読みたい本は、出るのをただ待っているんじゃなくって、自分で「書いてくれ」って頼みに行けるんだ。

それから、イワキさんの本は、全部読んだ。「のだめカンタービレ」も顔負けの抱腹絶倒芸大青春記「森のうた」と個性的な音楽家が楽しい「フィルハーモニーの風景」が、とくに大好き。

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コンサートにもせっせと通った。イワキさんが「『不調法でクラッシックはわかりません』なんて言うな。『楽しい』とか『楽しくない』とか言いなさい」と書いていたので、素直に「今日はへんてこりんな音楽で疲れた」とか「へんてこりんだけど面白かった」とか「なんだか胸がきゅんとする音楽だった」とか「眠かった」とか、素朴に楽しんだ。実際、イワキさんは、現代音楽の初演魔とかでへんてこりんな音楽が多かった。でも楽しかった。特にオーケストラアンサンブル金沢は、こじんまりしていて、お客さんと距離が近くて、わくわくした。

いつか、nikkouもイワキさんの本を作ろう、と決意して、教職を蹴って出版社に就職した。就職したら、新しいことを覚えるのに必死で、イワキさんは忘却のかなたへ。
昨年の年末、テレビをつけたら、イワキさんが一晩でベートーベンの交響曲を全部振る、という特集をやっていた。そのお顔を見て、「すごい老けた!」とびっくりした。どうしよう、忘れてた! 早くイワキさんのところに行かなきゃ! と思っていたら、まもなく訃報を聞いた。

イワキさんがきっかけで、ここまで来た。それが良かったのか悪かったのか、さっぱり分からないけど、今、こうして思い出して書いているだけで、本当に楽しくて楽しくて、ああいいときを過ごせてたんだな、と思う。それだけでも、いいかな、って思う。

世界の歴史にとって、岩城宏之が偉大な音楽家であるかどうか、nikkouには分からないけれど、―イワキさん、nikkouの歴史には、とっても大きな意味を持っている人。

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August 30, 2005

フジ子・ヘミングの信仰

8月27日『眠られぬ夜のために』第一部

「神とその支配とはゆるぎない事実であり、
また自分の内的生活におけるあらゆる真の進歩も同様に一つの出来事であって、
獲得された知識や、まして単なる観念では決してないということが、
自分の経験によって分かったときに初めて、人は本当の信仰に到達するのである。」
(岩波文庫:草間・大和訳)

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イングリッド・フジ子・ヘミングの「天使への扉」(光文社 知恵の森文庫)を読んだ。
正直、暇つぶしの気持ちで手に取った一冊であったのだが、
読み始めて、おもわず、うめいた。なんとまあ。
これほどにも篤い、
・・・いや、熱い熱い、信仰告白の書であったとは。

フジ子・ヘミングは、いわずと知れた、波乱の人生を乗り越えてきた名ピアニストである。
その半生はNHKの特番から始まって菅野美穂主演でドラマ化もされた。

戦時中に、建築家でスウェーデン人の父と、ピアニストで日本人の母との間に生まれるが、
手続きの不備でスウェーデン国籍を喪失、無国籍となる。
母親との確執、ハーフゆえのいじめ、音楽の世界でのねたみ争い、そしてついに難民ビザで留学したドイツで聴力を失い、帰国もできず砂糖水で飢えをしのぐほどの極貧…と、次々に試練を受ける半生なのである。なるほど「ドラマ」である、見所満載である。
50代で帰国後、聴力が40%回復した右耳で、友人の求めに応じて聖路加病院でのチャリティコンサートなど続けていたところ、ふと、NHKに取り上げられて、アルバム「奇跡のカンパネラ」がベストセラーとなり、今に至る。

nikkouはさほどクラシックにくわしいほうではないが、それでも、
ある日CDショップで頭上のスピーカーからすごい面白いカンパネラが聴こえてくるので驚いて、
カウンターで確認したらフジ子だった、ということがあるので、
素人にもわかる、豊かな表現力のある人なのだと思う。

彼女は言う
「…途中、何度も思いました。
なんで神様は私をこんな目に遭わせて平気でいるのだろう、と。
だけど、そうではなかった。
まるで、私の人生は神様にプログラミングされていたかのように感じます。」
(「天使への扉」)

有名になったからではない、自分の音楽をだれかが聴いて喜んでくれるから、うれしい。
お金は、寄付をしてしまう、自分は古着を着ていればいい、天国に貯金したほうがいい。
コンサートでは、「イエス様、イエス様」と心で祈りながら弾く、
耳が遠いから「牧師」の声が聞こえない、だから教会に行かず、家で聖書を何度も何度も読む…。
別の本によると、彼女が受洗したのはカトリックだというが、本人は「神父」だろうが「牧師」だろうが、頓着しない。
教派も神学もない。
ただ、心に、聖書が生きている。
試練をくぐりぬけた人の持つ、主に命を捧げる覚悟だけが、どっしりと据わっている。

ああ、そうでありたい、とnikkouは切に願う。

クリスチャンになる前は、「教派の争い」は外国のお話だったし、
とりとめもない議論のことを、洒落て「神学論争」と呼んだものだけれど、
主を信じる人の群れに身を投じれば、それが外国のことでも、シャレでもなんでもない人があることに愕然とする。
そんな中で、フジ子の信仰に、はっと目を見張るおもいだ。

nikkouも、今はただ、イエスに従い、神の国へ帰ってゆくことだけを目指したいと切に思う。
普段の生活のなかで、淡々と、されど熱く、み言葉を実践していきたいだけ。

(注)「フジ子・ヘミングウェイ」で検索してこられる方が多いのですが、正しくは「フジ子・ヘミング」ですよ。

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March 17, 2005

自由な人


さきほど、フジテレビのバラエティ番組「アンビリーバボー」で、
北田康広さんという全盲のピアニストを取り上げていた。

幼い時に視力を失った北田さんは、
音楽的な才能が優れていたということで、独学でピアノを学び、
高校生のときには音楽家を夢見たそうである。
しかし、視覚障害者の将来はマッサージ師か鍼灸師、と決め付ける大人たちに理解を得られず、
夢をほとんどあきらめかけていた、ともいう。

そんな中でひとり、盲学校に、彼を叱咤激励して、音楽家になることを薦めた教師がいた。
その先生の薦めに従い、彼は筑波大付属盲学校の音楽専門コースに進み
武蔵野音楽大学に入学、
そして、いま、ピアニスト声楽家として、活躍しているというのである。

「素人にも、すばらしい才能だ、と思ったから。」と、テレビの中で、その先生が淡々とした表情で答えていた。
彼を励ましたという盲学校の先生は、
ヒルティの言う、「善への道」(北田さんの音楽の才能を生かすこと)に気づいたからこそ、
「視覚障害者はマッサージ師」という周囲の「常識」から「自由」になって、勧めることができたのだと思う。

当時を振り返る先生の後ろの棚に、聖書が見えた。
その先生―吉村孝雄さんは、今、徳島で聖書集会を開く、無教会の伝道者だそうだ。
そして、うれしいことに、
徳島聖書集会のホームページには、ヒルティの言葉もありました。

http://pistis.jp/

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