November 24, 2006

煮凝りがでそう

『眠られぬ夜のために』第二部
「11月27日
もしわれわれが、自分にたいしても、また他人にたいしても、十分真実で純朴な態度でのぞむ習慣を身につけようとし、また実際そうすることができたならば、非常な進歩をとげるであろう。(以下略)

(岩波文庫:大和・草間訳)

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もうすこし、韓国の話、続けます。
日曜日は、新一教会にて、午前の礼拝、お昼の「日本語礼拝」そして、夕拝の三回、礼拝に出席しました。その三回とも、特別讃美をさせていただきました。

この日は朝からカルチャーショックの連続。教会に向かう地下鉄の中では、物乞いをする身障者の方に出会い、強いショックをうけました。
新一教会の大きさにもびっくり。そして午前の説教内容は、とても政治的。聴衆を見渡すと、食い入るように聞いていて、この国では、キリスト教会の政治的な影響力は大きいんだろうなあ、と思いました。

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ここでも「we are one」と「主は道をひらかれる」の二曲を讃美しました。(みなさんやっぱり、手拍子がすこぅしずれていた。)
二曲の間に、リーダーのえっちゃんが
「DMZを見学して、朝鮮半島の人びとが負ってきたことを何も知らなかった自分を恥じ、悔いあらためました。」
と証し(スピーチ)をしました。nikkouも同感。DMZ見学から一夜明けて、自分が言えるのは、やはりそれ以上でもそれ以下でもないんだよな、と思った。それでも、この教会の長老さんは「素晴らしい証しだった」とおっしゃっていた。「知る」だけで、溝が狭まる、ということは確実にあるんだと思う。

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昼の日本語礼拝は、日本語のできる年配の方と、それから、日本の興味のある方たち20人ほどが出席していました。日本語礼拝では「大切な人」を手話つきで歌ったのですが、涙ぐむ方もおられて、今回の聴衆のなかで、一番反応が良かった。
メッセージをされた伝道師の趙さん(写真右)は日本で育ったとのことで、一日中、通訳もしてくださいました。彼がそばにいると、ほっとしました。言葉が通じるだけで、こんなにも心理的な距離感がなくなるんだなあ、と実感しました。やっぱり、外国語はできたほうがいいなあ。ハングルも勉強してみようかな。

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新一教会のおもてなしも、とても手厚く、もう、おもてなし「攻撃」だね、とおもわずささやきあってしまったほど。
たとえば、
韓国のりをダンボール一箱ずつ(!)お土産にくださったり、
長老さんのおひとり(金大中元大統領の防衛省副大臣だったという方)が、全員をホテルのディナーに招いてくださったり、
「韓国の十字架のネオンが見たい」とだれかが言えば、バスに全員を乗っけて高台まで連れて行ってくれたり、…もう、「おもてなし」に上限というものがありません。「おもてなし」をどぼどぼ注がれて、あっぷあっぷしちゃう感じ。
今後、nikkouの身近に、韓国から来日した人がいたら、思いっきりおもてなししてやるからな、とリベンジ(?)を誓いました。

そんなこんなで、本当に充実の3泊4日。ピアノのみゆきちゃんが、「濃すぎて、毛穴から煮凝りがでそう」なんて言ってた。同感です。
毎日カルチャーショックで気の休まる暇もなかったけど、カルチャーショックというのは、とても大切なことね。許容範囲が広くなるというか、自分の無知ぶりを知って謙虚になれるというか。
でも、これは、きっかけに過ぎないんだと思う。韓国に関する本をどんなに読んでも、韓国について報じたテレビを見ても、こんなにも強いインパクトを受ける事はないだろう。直接、韓国の生活に触れると、理屈などふっとんでしまって、ただ「真実で純朴な態度」にならざるをえない。
心底、韓国を愛し、韓国のために祈れるようになりたいと思いました。

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November 22, 2006

DMZ(非武装地帯)でみたもの

『眠られぬ夜のために』第二部

「11月20日

地上における神の国とは、
ありとあらゆる困難と戦いながら、
しだいに一定の民族と国土との国民史になり、
さらにずっと後になってはじめて、
すべての真の文明諸民族の普遍史(世界史)にまで伸展していく
ひとつの家族の歴史である。(以下略)」

(筑摩叢書:前田敬作訳)

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金網のむこうは、北朝鮮です。

二日目に、DMZ(非武装地帯)を見学してきました。
DMZとは、韓国と北朝鮮の間に引かれた緩衝地帯のこと。
板門店が有名ですが、私たちが見学したのは、野原にえんえんと引かれた鉄条網のほうでした。


Dscn010200011953年に、北朝鮮の捕虜になっていた兵士が釈放され、自由主義陣営である韓国を選んで、「自由万歳」と叫びながら渡ったという自由の橋。橋の対岸は北朝鮮で、鉄条網の上に、たくさんの祈りのことばが貼り付けられている。
1978年、北朝鮮から掘り進んで、ソウルから車で一時間ほどの距離までに及んでいたという地下トンネルや、
望遠鏡で北朝鮮が望める展望台、
そして、統一すれば南から北まで一気に朝鮮半島をつなぐという鉄道の駅も見学しました。

じつは、たーくさん、ブログの原稿を書きました。
なぜ朝鮮半島がそんな状況になってしまったのか、
現在の状況のことを、韓国人のガイドさんがどう説明したのか、
各地点で出会った若い兵士たちの様子、日本語ができる兵士がつぶやいたことば、それを聞いて感じたこと、韓国と北朝鮮の将来…。

でも、読み返してみたら、なんだか、我ながらあまりにも小ざかしくって、恥ずかしくなって、嫌になっちゃった。
だから全部、破棄しました。

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ただ、ふたつだけ、思いを改めさせられた事を書く。

まず、nikkouは、戦争など、もう、はるかかなたの昔のことだと思っていた。
でも、この朝鮮半島は、今もなお「休戦状態」でしかない。
nikkouが「もはや戦後ではない」といわれて以降の社会を豊かに育ってきた、まさにその時期に、
あたらしい戦争の火種を抱えながら、つい最近まで、いや、今もなお、戦争の後片付けをしている国があって、
その「戦争」に、わたしが育った国が、密接に関わっていたんだ。

ふたつめに、自分が「ニッポン」を背負って韓国や中国に「謝罪」する、というのはいまいちぴんとこない、と思っていた。
謝罪すべきは、そのとき、その場で、悪逆非道なことをした本人たちであって、
わたしではない。
だから、「ニッポン人」としてではなく、「人間」として、彼らの隣人になりたい、
「人間」として、「怒り」と「悲しみ」を分かち合いたい、と思っていた。
しかし、この場合に限って言えば、それは、不可能なんじゃないか、と思った。
「ニッポン人」であるという立場であるがゆえに、果たす事のできる「隣人」の責務、というものもあるのかもしれない。

鉄条網に触れながら、ひとり小声で「Make us one」を口ずさみました。
今回のツアーのリーダーのえっちゃんが、ふとわたしの傍らに立って、
やはり小さな声で、和してくれました。

Make us one Lord, make us one.
Holy sprit make us one.
Let's your love flow,
so the world will know,
we are one in You

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韓国の銭湯

『眠られぬ夜のために』第二部

「(前略)
まことのキリスト者の生活は、最後には、内的および外的な勝利の連続となるにちがいない。
けれども、人生の最後の瞬間にいたるまでは、
決定的な勝利―といって悪ければ、そのあとに講和条約がつづくような勝利は、けっしてない。
(中略)
それまでは、敵をあいてに、子々孫々にいたるまで戦いあるのみ!(以下略)」

(筑摩叢書:前田敬作訳)

われわれが宿泊したのは、ちいさなゲストハウス。お風呂はユニットバスなので、11人が順番に入る余裕はありません。
やむなく、お風呂屋さんに向かうこととなりました。
ハングルのできるメンバーが、通行人に「お風呂屋さんはどこか」とたずねたところ、ここから10分くらい歩いたところに24時間営業の銭湯があるとのこと。

そこで、厳寒のソウルの夜道を、ぞろぞろと銭湯へと向かうと、なんと、そこは…
…いわゆる「赤線地帯」のど真ん中でありました。
いくつも並んだ細ながーいガラス戸のむこうには、赤い照明が薄暗く灯っていて、ガラス戸に張り付くように半裸の女性たちが2,3人ずつ、こちらを伺っておりました。目のやり場に困るなあ、といいながら、おもわずちらちら見てしまったnikkouでありました。

銭湯は日本だけの習慣だと思っておりましたが、どうしてなかなか、韓国人も銭湯は好きなようです。中はえらく繁盛しておりました。おたがいに、わっしわっしとあかすりで背中を流し合い、ひとりであかすりしている方も、すさまじく真剣。わっしわっし、がっしがっし……ここでも、なんだか迫力がちがう。

脱衣室のテレビでは、なんと、韓国の若者グループが、ドニーマクラーキン「I’m walking」を熱唱中でした。しかもうまい! 今日のビミョーな反応に「ああ、韓国ではゴスペルはまだまだ流行っていないんだなあ」とnikkouちょっとがっかりしておりましたが、「これは、ゴスペルブーム、これから来るね」と仲間たちとうなづき合ったのでありました。
ほんと、いつの日か、韓国の若者たちやアメリカの若者たちと合同クワイアーでドニー・マクラーキンやエドウィン・ホーキンズを歌いたい。かつて同じ戦争に巻き込まれ、傷つき傷つけた3つの国が、ともに主を讃美するなんて、ちょっといい感じじゃないですか。

さて、入浴後、ふたたび「赤線地帯」を抜けてゲストハウスに戻りました。
実はnikkouの教会も、一本、通りをまたげば、「赤線地帯」であります。夜、教会の前に立てば、ビルの間からけばけばしいネオンが見えます。国は違えど、いずこもおなじ風景であります。彼女たちと同じ性を持つ者としては、つらいですね、あれはね、どうしてもね。

主を讃美する喜びと対極にある世界。この世に生きているかぎり、直面せざるをえない現実、ヒルティのことばを借りれば直面しなければならない「戦い」であります。
ああ、なんとかならんものかなあ、と、到着早々、思い巡らしてしまう韓国初日なのでした。

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November 20, 2006

韓国に行って参りました!

『眠られぬ夜のために』第二部

「11月17日

(前略)
神の信奉者たるものは、あくまで善の領土にとどまるべきであって、悪の領土にも留学してみようなどという気を起こしてはならない。でないと、悪の吸引力に負けてしまうからである。(以下略)」

(筑摩叢書:前田敬作訳)

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17日金曜日から本日まで、ゴスペル仲間11名と韓国親善旅行に行って参りました!
濃厚濃密3泊4日! 熱かったです、韓国。
4,5回連続で、韓国旅行のご報告、させてください。

初日、ソウル到着後、即行、新林洞南ソウル中央教会へ。
金曜夜は祈祷礼拝とのことで、礼拝の特別讃美をしました。
夜9時であります。
でありながら、席数100人ばかりの教会が満杯でありました。われわれが到着したときには、すでに讃美が始まっておりましたが、その讃美たるや…。

…早稲田大学校歌…? 

つまり、ッタタラー、ッタタラー、タッタカ、タッタッターなリズムの、2拍子でクラッピング、正面に立ったおじさんが握りこぶしを上下に振りながら、朗々と歌っておりました。そんな讃美が続けざまに3曲。讃美がおわって、さっそくわれわれがみなさんの前に呼ばれました。「あにょはせよー、ハレルヤー!」とご挨拶すると、一同そろって、「あーめーん」と返ってきてこれまた、びっくりでした。どうも、この教会では、「ハレルヤー」と言うと、「あーめーん」と返す習慣らしいです。

韓国語に翻訳して覚えたメンバーのえっちゃん作詞作曲の「We are one」と、やはりメンバーのまりちゃん作詞作曲の「主は道をつくられる」を讃美いたしましたが、みなさんあの、タッタカタッタッターのリズムで手拍子をなさるので、ゴスペルのリズムとビミョーにずれながらのハートウォーミングな讃美でありました。

われわれの讃美のあと、説教台に立ったのは、若い副牧師。彫りの深いハンサムな人でありました。聖書の一場面、ダビデとゴリアテの戦いをひとり芝居し、強調するところでは、「カーーーーッ」と喉を鳴らす。…これは、まさに黒人教会の黒人牧師の礼拝説教にそっくりであります。黒人教会と違うのは、聴衆が立ち上がってわーっとならないところだなあ…と思いながら聴いておりましたら、…
突然!
「キドヘヨー!チュヨー、チュヨー、チュヨー!」(祈祷しましょう、主よ、主よ、主よ)という副牧師の絶叫とともに、バチバチバチッと電気が消えて(まさに「消灯!」という感じだった、とあとで仲間たちと衝撃を語り合いましたが)、そこは、絶叫の海。「チュヨー、チュヨー、チュヨー」という叫びに満たされました。
…しかしnikkou、もう驚きませーん。
黒人教会で十分、免疫ができております。熱いなあ、すごいなあ、と感動に包まれて、暗がりにうごめく人びとを眺めていると、そっと通訳の方が来られて「これが深夜まで続きますので、どうぞ、日本の方は食堂においでください」とおっしゃいました。
深夜までですか、深夜ですか、そうですか、…すごいエネルギーであります。
チュヨー、の叫びの海の真ん中を、出口に向かって歩いていくと、まるで非日常、まるで異次元、ああ、異文化…でありました。

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October 15, 2005

ドイツ報告その5 原書は買えなかった

『眠られぬ夜のために』第一部

「8月17日

およそ安息は神から贈られたものでなくてはならない。
あなたが勝手に安息を取ってはならない。
老年においても、さらに病気のときもそうである。
しかし、一般に命じられており、たいてい今日ではだれにでも許されている休息、
すなわち、夜半前からの眠りと日曜日とを、一貫して利用しなさい。
これは十分な休息感を得るのにたいへん役立ち、また、そのうえ神の祝福が与えられる。」

(岩波文庫:草間・大和訳)

ヒルティの原書がほしい、と意気込んで出かけたのだが、
買えなかった。

理由はふたつある。
まず、書店がなかなか見つからなかった。
書店に限らず、わたしたちが訪れた街は、全体的に、とても娯楽的な場所が少なかった。

ドイツも、かつて、戦争で多くの街が破壊された。
日本は東京の焼け野原に、巨大なビル群を建設した。
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しかし、ドイツ人は、崩された瓦礫を拾い集め、そっくりそのまま、建て直したという。
文字通りの「復興」、「復建」だったわけである。
だから、ドイツには、いまだに14世紀、15世紀の街並みがそっくり残っている。
石造りと、木の家との違いかもしれないけれど、
結果的に、そんな街のなかに、
パチンコ屋も映画館もコンビニも入る隙がなくなった。
マクドナルドさえ、ひっそり、白い文字を掲げている。
東京によくあるような大型書店もCDショップもレンタルビデオ屋もなかなか目にしないのである。
もちろん、フランクフルトなどの大都会にゆけばまた違う、とのことであるが、
それでも、東京には遠く及ばない、大方のドイツの町はこんなもんだ、という。
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第二に、週末にあたってしまった、ということがある。
ドイツでは、安息日をきっちり守る、ということが、法律に明記されているそうである。
日曜日は、礼拝を守る日(実際に守っている人は、もう少ないそうであるが)。
だから、お店は開けない。
マインツでようやく見つけた書店も、日曜日だったので、しっかりシャッターが降りていた。

ツアーのガイドさんに言わせると、
休日祝日関わりなく、複数の映画館で複数の映画がかかり、コンサートが開かれ、演劇が見られ、書店とCD店とレンタルビデオ屋とコンビニが深夜まで開いている、という街は、
世界でもまれだそうだ。
日本でも、東京と大阪くらい。
ましてや、世界のほとんどの街は、キリスト教だろうがユダヤ教だろうがイスラム教だろうが、
夜の休む時間と、週の休む日は、きっちり守るんだそうだ。
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だから、ドイツでは娯楽が少ない。
子供たちは時おり回ってくる移動動物園やサーカスを心待ちにしているし、
大人たちは、年に一度のビール祭りで、
芸能人が来るでもない、豪華な景品が出るでもない、ただ「飲む」という一日を、心から楽しむという。

おお、that'sスローライフ!
そんなにはたらいて、どうすんのさ、ってか。


と、感心したのも、ドイツにいる間だけ。
日本に帰るやいなや、
祝日の夜更け、コンビニで調達した食品で夕食を済ましてしまって、あわれnikkouは軟弱なトーキョーっ子なのでありました。

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October 14, 2005

ドイツ報告その4 グーテンベルク博物館にて

『眠られぬ夜のために』第一部

「10月11日
どんな大きな成功にも、神は必ず一滴の苦味を添えずにはおかない。
それがあなたを損なうことのないために。」
(岩波文庫:草間・大和訳)

さて、そんなこんなでとうとうグーテンベルク博物館到着である。ishinoseisyo
hirasawa

これが、平澤さんの本の表紙になっていた、石の聖書。
どうやら、たんなるベンチに利用されているらしく、
写真をとる我々を、周囲のドイツ人が笑ってみておりました。


博物館内には、ボランティアのおじいさんが、
「a little」(ちょっとだけ)しゃべれるという英語で、ルターの聖書に案内してくれました。
カラフルで、そして、とっても大きい。
14世紀の聖書が、よくまあ、残っていたものである。
42行聖書も実物を目にする事ができた。
これも、でかかった。

平澤さんが寄付した活字であるが、
…無かった。
学芸員さんに尋ねてみたところ、
にっこり笑って案内されたのは…「大日本印刷 寄贈」の立派な活字。
あ、いや、そうじゃなくって、あの、日本のクリスチャンで、ヒラサワって人の、えーっと、えーっと、なんていえばいいんだ…。
結局、ふたりで隈なく博物館のケースを探し、
「展示換えがあったんだ」ということで、断念いたしました。

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これは、みやげ物の、世界一小さい聖書。「主の祈り」が、英語ドイツ語イタリア語フランス語などで書かれています。ちゃんと活字で組まれているのよ。
ルターのでっかい聖書から、技術はここまで進んだ、という証明であります。
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ところで以前、niikkouは、「ルターが翻訳した聖書を、グーテンベルクが印刷した」と書いたが、
グーテンベルクは、ルターの宗教改革の半世紀前に、すでに印刷業を開始している。
つまり、グーテンベルクはカトリックのクリスチャンだったのだ。
グーテンベルク博物館には、日本語版パンフレットもあって、
それによると、ルター以前に、すでに聖書はドイツ語に翻訳されていた、とのことである。

もちろん、グーテンベルクの技術が、宗教改革に果たした役割は大きい。
しかし、nikkouの、キリスト教史の理解には偏見が入り込んでいるかもしれない。

団体との待ち合わせ場所に向かう帰り道、
ふたたび切符の自販機の前でおろおろしている我々ほ背後からそっと手をのばし、
黙って切符を買ってくれた、お腹がDの字の形のおじさん、ありがとう。
無事、ツアー団体と合流できました。
添乗員さんの顔を見たとたん、ふらっと貧血を起こしてしまった軟弱なnikkouでありました。

歴史と、そして語学を学ぼう、と思った一日でありました。

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October 13, 2005

ドイツ報告 その3 グーテンベルク博物館

『眠られぬ夜のために』第一部

「10月11日

実際の苦悩と苦痛に対しては、いつでも神の助けを得ることができる。
しかし、ただ自分で想像しただけの、
あるいは大げさに考えられた苦しみに対しては、
助けがえられない。
自分でできるだけのことは耐えなければならない。」

(岩波文庫:草間・大和訳)


nikkouは、今回、女友達とふたりで旅行会社の団体ツアーに申し込んで旅をしたのだが、
最終日だけ、団体を離れて、単独行動をさせてもらった。
行き先は、マインツのグーテンベルク博物館である。

ハイデルベルクでバスから降り、街中にふたり立ったときの心細さといったらなかった。
まずは、駅に向かわなければ。
ドイツは英語が通じる、と聞いていたものの、
行き交う人を呼び止めて、道を聞いても、なんにも通じない!
ようやくある中年女性がわたしたちの手にするガイドブックなどを見て、行き先を察し、
タクシー乗り場を示してくれた。

たどりついた駅で、今度は、切符の買い方がわからない。
むやみやたらと自販機の画面を押していたら、何かが買えた(笑)。
それを手に、時刻表好きの友人の解読に従って、乗るべき電車をつきとめ、
はらはらしながら、マインツに到着した。
怖くなって、駅のホームで二人で手を取り合って、声に出して祈った。
神様、わたしたちをお守りください。
まるで子どもの「はじめてのおつかい」である。
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マインツでは、屋台でホットドックとプレッツェルを購入。
ほおばりながら、博物館をめざす。
こうした昼食も、ツアーでは体験できないことだ。
歩きなれない石畳をふみつつ、グーテンベルクおじさんの銅像を発見したときは、
「きたーーーーー!」とふたりで絶叫してしまいました。

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October 12, 2005

ドイツ報告その2 魔女狩り

『眠られぬ夜のために』第一部

「10月6日

キリスト教がすべて不健康なもの、病的なものに打ち勝つためには、
それ自身があくまで健全でなくてはならない。
(中略)
このことこそ、あれほどしばしばキリストが弟子たちから離れて、
ひとり山上で新しい力を祈り求めなければならなかった理由でもある。」

(岩波文庫:草間・大和訳)

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ローテンハイムには、カトリックのヨハニス教会に付属して、中世犯罪博物館がありました。
時間がなくて中まで見られなかったのですが、
主に、魔女裁判の際に用いられた拷問具が展示されているとのこと。

魔女狩り、魔女裁判とは、
ルターの宗教改革をきっかけにローマカトリックによる異端審問が激しくなり、
さらには、時代の社会的不安が加わって
集団ヒステリーが起こった・・・というのが、nikkouの理解です。

しかし、案内してくれたガイドさんの説明は違った。
「魔女狩りは、段々宗教的意味を離れ、単なるイジメとなっていったようです。
すこしでも、外見や発想が、村の多数とちがうと、
あげつらわれて、
魔女の烙印をおされました。」

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(写真は、博物館のパンフレットより。礼拝中居眠りしたものの首に下げられた、とっても重いロザリオ。
…nikkouは、もうすでに何回か、かけられちゃってるかも。)

しかし「単なるイジメ」とは、単なる外国の話ではない。
nikkouの通った小学校でもありましたね。
ちなみに自慢じゃないけど、nikkouはクラスで一人だけ、いじめられっこをかばい、
いじめっこに報復の喧嘩を売って、泣かせました。
(しかし、ちくられて、先生にしかられました。
…いや、昔は、ツオイ子でした。)

しかし、「イジメ」を、キリスト教が防いだのではなく、後押しした、という事実には、戦慄を覚える。
それは、イエスの弟子のなすことではない。
イエスのみことばが、すぐ傍らにあっても、
人はたやすく、イエスから離れてしまう、という証拠のようなものだ。

だから、ヒルティは、イエスに学べ、という。
不健康なものに打ち勝つために、ひとり、喧騒から身を置いて、静かに祈る。
これは、ひとつ、肝に銘じておいたほうがいい方法かもしれない。

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October 10, 2005

ドイツ報告その1 豪華な教会

『眠られぬ夜のために』第一部

「10月4日

現代人が、キリスト教という永続的な心の平安にいたる道に背を向けるのは、キリスト教本来の証しが原因ではない。

(中略)

彼らが反感をもつのは、この宗教の人間的な担い手に対してである。

(中略)

まず、それら『周りにからみついている』一切のことをすてなさい。
さらに、それでもなおいくらか懸念を感じるならば、
今日の教会に頼らなくてもよい。
しかし、心からの願いをこめて、
『主よ、私をお助けください』といいなさい。
この祈りはすでに多くの人々を救ってきた。」
(岩波文庫:草間・大和訳)

観光地とはすなわち、旧所名跡であります。
日本に来た外国人観光客が京都の寺社を見物するように、
日本人観光客は、ドイツの有名な教会をめぐることになります。

と、いうわけで、nikkouも、
毎日、ひとつふたつ、古く由緒正しい教会を見て回ることになりました。
daiseidou

ドイツの教会を一言で言うなら、
「派手だなー」
って感じです。

カトリックはもとより、プロテスタントもルーテル派を多く訪れたせいか、
日本のシンプルな長いすと、シンプルな十字架に慣れた目には、くらくらしました。

人の持ちうる最上のものを主に捧げる、という考えは、nikkouも嫌いではありません。
むしろ、それが芸術の可能性を開いてきた、という一面もあるのかもしれません。

実際、はっと胸をつかれることもありました。
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ヴュルツブルクのノイミュンスター教会にあった荒々しい木彫りのキリスト像は、
てのひらに、ふとい釘をぶっさしたまま、
胸の前で、何か(誰か?)をかき抱くように、両腕を交差させていました。
この像から、無名の彫刻家の真剣な信仰告白を聞く思いでした。

その一方で、この教会では中世まで、身分によって座る席が決められており、
身分が高い人が座る前の席に行くに従って、装飾も手が込んだ、華やかなものになってゆく、
とのこと。
ちょっと興ざめいたしました。
たしか、栃木の日光東照宮でも、納めた石高によって大名の座る畳が違う、という説明があったような…。
古今東西、宗教と権力の繋がる方向は同じということか。

さらに、
中世に造られた司教の宮殿(レジデンツ)には、
ドイツの手工芸の技の限りを尽くした聖人像や、
世界最大級のフレスコ画、金箔を貼りこめた調度品、鏡の部屋、ベネチアングラスのシャンデリアに、ステンドグラス…。
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バカ殿で知られたルートビッヒ2世の、国庫を喰いつぶしそうになったという豪華な城にも、
金ぴかで、目にも彩な礼拝堂が完備。
イエス様は調度品か~!

プロテスタントが生まれた背景には、こうした文化的社会的土壌があったのだろうか。
イエス様は、物質的にはとても貧しい方だったのにね。

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October 04, 2005

ただいま戻りました

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9月30日『眠られぬ夜のために』第一部

「高き山よりの別れ

さらば、みどりの山地よ、
赤い花さく荒野よ、
自由のたのしい夢は消え、
はや秋が別れをうながす。

みじかい夏はすぎ去った。
牧者たちは谷へ降った。
すべての高い峰々はふたたび
白い雪におおわれている。

みどりの森よ、ありがとう。
聖なる処にいることができた。
私は森のきよらかな泉を汲んで、
新しいいのちにみたされた。

心もすこやかに空しい瑣事から解かれ、
意志も自由になった。
私の前途には約束の地と、
神の賜わる平安がある。

たのしい休らいのときは終り、
私は別人となって山をくだる。
別れはつらい―しかし私は
求めていたものをすでに見出した。」
(岩波文庫・草間・大和訳)

ドイツより戻りました。
日本は暑かったとのことですが、
ドイツはもう、寒いくらいでありました。
みなさま、お祈りありがとうございました。

くわしくは、また。

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